オバマ大統領への風当たりは相当に強いようだ。あれもこれもやりたい、できるんだ、そう思って大統領になっただろうオバマさんも、いざその場に立ってみると、いろいろな立場の人を気遣って思い切った政策が打ち出せないように「見える」。おそらく誠実な人なのだろう。大統領になってしまってからは、選挙の時に使っていた様々な「見せる」作戦をやめてしまった。現実的な手が打てないなら期待させるだけ期待させるのはただの人気取りだと考えたのかもしれない。
しかし、アメリカの大統領だ。もっともっと人気取りのパフォーマンスをして、多くの人々の気持ちをひとつに盛り上げて行く戦略をとっても良かった。市民の人気の後押しでやれたこともあっただろう。今回の選挙で目が覚めたように動き出せば、まだまだアメリカも本当に変って行けるチャンスがある。日本は、アメリカの活力が失せればともに活力を失う仲の国家である。アメリカが、秩序を保ちながら活性化してくれればありがたい。
ついこの間まで「Yes We Can」と叫んでオバマさんを応援していた人たちが、「オバマを追い出せ」と言う。それぐらいアメリカ市民は、アメリカの将来、自分達の生き方に対する具体的な指針を待ちわびている。自分達の生き方は自由に自分達で決める、決められる、ということに誇りを持っている国民であっても、根幹になる部分では強いリーダーシップによる具体的な方向性の提示を求めるものらしい。
学生や若い社員達にとって、「自分の好きなようにやっていい」とか「何でもやりたいことをやればいい」とか親や先生や上司に言われるのは、かなり大きなプレッシャーになるもののようだ。「好きなこと」「やりたいこと」が自分でもよくわからない。だが、自分にそう言ってくれる人の気持ちを裏切りたくはない。期待に応えたいが、自分には何をやればよいかわからない。自分には何の経験も力も無いことは自分が一番良く知っている。何をどうすればいいのだろう。もう何もわからない。そんな風に考えた結果、引きこもってしまったり、「うつ」になってしまったりする人もいるらしい。
アメリカの中間選挙の結果を見て、好きにやっていいと言われると困ってしまう日本人と重なるものを感じた。相反する意味を含む言葉ではあるが「具体的なイメージ」をいかに提示できるかが親や先生や上司それに政治家、の大きな課題になっているように思えてならない。
「具体的」とは、あくまで「具体的」であって、こまごまとした内容である。親や先生や上司は、自分の好きなようにやればよいとか、やりたいようにやればよいと言わずに、「具体的」に指示する。「これ」をやりなさい、と。ところが、最近は簡単に表層的な情報が手に入る世の中である。「これ」をやることには、多くのリスクやマイナスがあるという情報を指示された側は即座に手に入れることが出来る。途端に指示された「これ」をやることの元気が失せ、親や先生や上司に対する信頼も低下する。
そこで「具体的なイメージ」である。「具体的な想像を喚起する物語」と言い換えてもいい。親や先生や上司に対してもっと「具体的」な指導をして欲しい、と頼むと、本当に具体的な話として指導があるかもしれない。箸の持ち方や茶碗の持ち方のような具体的なものだ。しかし、本来欲しいのは、あまりにピンポイントな指示ではなく、自分がやれるかもしれないこと、自分がやれるかもしれないことを通してどのように変って行けるかを具体的に想像できる物語の提示を欲している。
親や先生や上司それに政治家は、これまで以上に物語を語る能力を問われているということだろうと思う。オバマさんも、菅さんも、自分で物語を生み出す力が不足しているなら、身近に何人か人を用意してもいい。自分の物語を語れる人々が増えれば、彼らの物語に喚起された人々がさらに新しい物語を生み出して行く。個人の物語はやがて企業や地域や国家の物語になって行くに違いない。
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製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
しかし、アメリカの大統領だ。もっともっと人気取りのパフォーマンスをして、多くの人々の気持ちをひとつに盛り上げて行く戦略をとっても良かった。市民の人気の後押しでやれたこともあっただろう。今回の選挙で目が覚めたように動き出せば、まだまだアメリカも本当に変って行けるチャンスがある。日本は、アメリカの活力が失せればともに活力を失う仲の国家である。アメリカが、秩序を保ちながら活性化してくれればありがたい。
ついこの間まで「Yes We Can」と叫んでオバマさんを応援していた人たちが、「オバマを追い出せ」と言う。それぐらいアメリカ市民は、アメリカの将来、自分達の生き方に対する具体的な指針を待ちわびている。自分達の生き方は自由に自分達で決める、決められる、ということに誇りを持っている国民であっても、根幹になる部分では強いリーダーシップによる具体的な方向性の提示を求めるものらしい。
学生や若い社員達にとって、「自分の好きなようにやっていい」とか「何でもやりたいことをやればいい」とか親や先生や上司に言われるのは、かなり大きなプレッシャーになるもののようだ。「好きなこと」「やりたいこと」が自分でもよくわからない。だが、自分にそう言ってくれる人の気持ちを裏切りたくはない。期待に応えたいが、自分には何をやればよいかわからない。自分には何の経験も力も無いことは自分が一番良く知っている。何をどうすればいいのだろう。もう何もわからない。そんな風に考えた結果、引きこもってしまったり、「うつ」になってしまったりする人もいるらしい。
アメリカの中間選挙の結果を見て、好きにやっていいと言われると困ってしまう日本人と重なるものを感じた。相反する意味を含む言葉ではあるが「具体的なイメージ」をいかに提示できるかが親や先生や上司それに政治家、の大きな課題になっているように思えてならない。
「具体的」とは、あくまで「具体的」であって、こまごまとした内容である。親や先生や上司は、自分の好きなようにやればよいとか、やりたいようにやればよいと言わずに、「具体的」に指示する。「これ」をやりなさい、と。ところが、最近は簡単に表層的な情報が手に入る世の中である。「これ」をやることには、多くのリスクやマイナスがあるという情報を指示された側は即座に手に入れることが出来る。途端に指示された「これ」をやることの元気が失せ、親や先生や上司に対する信頼も低下する。
そこで「具体的なイメージ」である。「具体的な想像を喚起する物語」と言い換えてもいい。親や先生や上司に対してもっと「具体的」な指導をして欲しい、と頼むと、本当に具体的な話として指導があるかもしれない。箸の持ち方や茶碗の持ち方のような具体的なものだ。しかし、本来欲しいのは、あまりにピンポイントな指示ではなく、自分がやれるかもしれないこと、自分がやれるかもしれないことを通してどのように変って行けるかを具体的に想像できる物語の提示を欲している。
親や先生や上司それに政治家は、これまで以上に物語を語る能力を問われているということだろうと思う。オバマさんも、菅さんも、自分で物語を生み出す力が不足しているなら、身近に何人か人を用意してもいい。自分の物語を語れる人々が増えれば、彼らの物語に喚起された人々がさらに新しい物語を生み出して行く。個人の物語はやがて企業や地域や国家の物語になって行くに違いない。
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