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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

1.17

2015-01-28 09:38:56 | 日記
ちょうど昨日のブログ担当の方も書かれていましたが1995年1月17日5時46分に阪神淡路大震災が発生しました。
以前のブログにも書いた気がするのですが私は当時神戸市兵庫区という震度7地域に住んでいたこともあり20年ということで今年一発目の私のブログは再度震災についてにしようと思います。

17歳の高校2年生で修学旅行まであと1週間という状況で震災にあったのですが、20年たった今でもはっきりと当時を思いだすことができます。(当然修学旅行は中止でした。。。)
幸い自宅は半壊で瓦や壁が多少崩れたもののそのまま住むことはできたのですが震災当日の夜外に出ると、テレビなどで見た戦争の映像の様にあちこちが火事のため明るくなっており一晩中サイレンが鳴りっぱなしという今思い出しても震えがくるような状況でした。
あまりにもリアルな話などはテレビやニュースなどになりにくいですが、実体験としてそういう声も色々な人からたくさん聞いてきました。

今年、震災の状況を再現したドラマがあったのですがその中で私は非常にイライラした場面がありました。
家屋の倒壊がおき、人が生き埋めになっている状態で水も出なくなり救出しなければいけない市民が多いため住民が自分たちは何もしないで消防士になんで助けてくれないんだと詰め寄っていくシーンです。
実際に家が燃えてしまったり家族が生き埋めの状況で取り乱してしまう方も多くいたという話は聞きましたが、実際は助かった住民たちで必死に救助に当たり多くの人が助かりました。
私の家の周りは半壊程度で済んだためそのような状況に私は遭遇しませんでしたが、家屋が多く倒壊した地域に住んでいた幼馴染などは自分の家も全壊となった状況で近所の人たちを何十人と救助しました。
その友達が特に表彰されたりスポットを浴びてヒーローになることは全くなくそういうことがあちこちで行われていました。
燃えている家についても水が出ない状況でただ見ているわけではなく、昔の消防の様に延焼を防ぐために燃えるものを壊してしまったり川の水や場所によっては砂などを住民たちで協力してかけて少しでも火が消えるように神戸市民が協力し合いました。
消防やレスキュー、自衛隊などももちろん見ているだけではなく、私の同級生も生き埋めになった状態でレスキュー隊に助けられるなど大きな活躍をしてくれました。
確かに起こってしまった後で冷静に見れば政府や市がこう指示を出していれば、事前に準備ができていれば、ということもなくはないと思うのですが当時の状況では震災にかかわった人は100%考えてそれぞれ行動していたように思います。

調べてみると阪神淡路大震災の教訓で様々な点がその後の震災に活かされているようです。
昨日のブログにあった耐震基準もそうですし、政府の体制、消防等の全国の連携、ボランティアの仕方やその管理、救援物資送の割り振り、避難所についてなどなどその後に起こった震災に教訓として生かされたとこがたくさんあることがわかりました。
20年たって復興したかに見える神戸の街ですが現在は復興住宅での高齢化や孤独死など新たな問題も出てきているようです。
ただこういうことも教訓として今後にいかしていければよいと私は思っています。

このような経験とITの力での予測や予知など合わせて同様の災害が起きた時に被害が少しでも少なくなるような日本、世界になっていけばよいなと20年たったいまあらためて思いました。(の)


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