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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

サバイバルイベント

2015-08-03 08:27:35 | 日記
 明治35年1月末、吹きすさぶ雪に行く手を阻まれた陸軍第8師団、歩兵第5連隊の屈強な若者たち210名は本来の目的が訓練であったことを忘れて、恐ろしく寒く暗い八甲田山の山中で生き延びるための最後の戦いを繰り広げていた。後に新田次郎が『八甲田山死の彷徨』で書いた雪中行軍遭難事件である。結局199名が死亡している。
 
 この時、多くの若者は低体温症で幻覚を見たり精神錯乱とも言える状態を起こしていたらしい。上官がおかしくなってしまうと厳しい規律を要求される軍隊では多くの部下が盲目的におかしな命令に従う。もちろん部下も低体温症からは逃れられず、錯乱して奇声を上げて川に飛び込んだり周囲の木々を怪物だと思い込んだりし始める。どれだけ正気の人が残ったのかわからないが、その後捜索隊が凍死した彼らを発見した時、ほとんどの人が寒いというのに手袋を外し、靴を脱いで裸足だったという。
 
 あまりの寒さは人として生きる機能を失わせてしまうようだ。そして、暑さも。
 
 平成27年7月末、摂氏40度に迫る猛暑の中で、火を使った食事会いわゆるバーベキューを2週に渡って実施した若者たちがいる。本来の目的は懇親であったが、あまりの暑さが、その目的を忘れさせ、生きて帰ることが大きな目的に変わっていた。
 
 あまりの暑さからかビールによる錯乱か、奇声を発して水たまりに飛び込む者が現れたり、誰かれかまわず誰にでも「じゃんけん」を迫る者が現れたり。多くの者は全身水をかぶったように汗まみれで、かたつむりが歩いた跡のように体液が汗になって流れた跡が歩いた後に続く。
 
 1週目はドーム状になったテントの中で火を使い、こもった熱と煙で多くの若者たちが燻製になった。ししゃものように干からびた者同士が集まってバーベキュー場の脇でスイカ割りを行ったが、スイカを割るだけの力を出せる者がおらず何度も何度も殴られたスイカが痛そうに見えた。
 
 2週目は完全に炎天下で火を使い、猛烈な直射日光を直に受け、網の上で焼いている豚肉の匂いなのか自分の肌が太陽に焼かれている匂いなのかわからないぐらいジリジリと焼かれる暑さに見舞われた。網焼きセット2つの脇に小さな日除けテントを2張り設置し、生き延びるための小さな希望の日影を作ったが、その日影に死んだように倒れこんで起き上がって来ない年長者を横目で見ながら、若者たちの目には希望の日影とは映らなかったかもしれない。
 
 「旨い肉が食える」という甘い言葉に乗せられて社外から参加してしまった若い女性は、テントを出るやいなやサンダルの足が一瞬で赤く焼けて行くさまを見ながら声にならない悲鳴を上げた。帰りのバス停に向かう途中、彼女が焼けた足元を見ながら「肉は美味しかった」と「は」の部分をことさら強調して話しているのを多くの人が聞いている。
 
 クーラーボックスの中の氷も長く保たない暑さの中、春から育ててきた巨大なナスを収穫し炭火で焼く。厚切りの肉を焼く。特製豚肉ソーセージを焼く。豚のステーキ肉を焼く。焼きそばを作る。何かを焼いて何かを食べるたびに多くの若者の目の黒い部分の面積が減って行く。もう少しで全員が白い目になってしまう直前に、畑で育てたスイカを使ったスイカ割りで、目の覚めるような一瞬の一刀両断を目のあたりにして、皆少し正気に戻った。
 
 2回連続して実施されたサバイバル体験が終って帰路に着く途中、今年4月に入社してきた若者が冷房の効いた電車に乗り込むやいなや、薄っすら目に涙を浮かべて「2回やり切りました。やり切れました」と吐き出した言葉が印象的だった。全員が生還した。共に戦って生き抜いた仲間たちだ。皆強く優しく仲間思いだ。その気持ちが一層強くなった。(三)
 

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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
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