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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

杉原千畝

2016-06-10 09:04:04 | 日記
杉原千畝はここ最近、映画化され、私も映画「杉原千畝」を鑑賞させて頂きました。映画を鑑賞して杉原千畝の愛と勇気の姿に非常に感動し、涙が止まりませんでした。

杉原千畝は1900年生まれで早稲田大学高等師範部英語科予科に在学中、外務省留学生試験に合格。外務省採用後は、ハルビン総領事館二等通訳官、満州国外交部事務官等を歴任。モスクワ日本大使館二等通訳官に任命されるもソ連から入国拒否を受ける。駐リトアニア在カウナス日本領事館領事代理時代の1940年、ナチスから逃れるユダヤ難民からの要望を受け、一ヶ月半にわたり独断で約六千人に通過ビザを発給。戦後、イスラエルのヤド・ヴァシェム賞受賞。「日本のシンドラー」とも称されます。

杉原千畝はユダヤ人とは国籍や民族が異なり、更に日本はドイツと同盟を組んでいて、自身も命が危ういにも関わらず、六千人以上のユダヤ人の命を救いました。通常ではなかなかできない行動だと思いました。杉原千畝に感謝しているユダヤ人は限りなくいらっしゃるように思います。

ビザで救われた難民には、米シカゴの金融先物取引所(シカゴ・マーカンタイル取引所)を、世界最大の取引量へと押し上げる礎を築いたレオ・メラメド氏がいらっしゃいます。メラメド氏は当時について、「日本人は全く敵意が無く、両手を広げて我々を歓迎し、食べ物と住む場所を与えてくれた」と語り、現在も感謝の念を抱いているといいます。

杉原千畝は戦後、外務省を辞めさせられ、その後も左遍をさせられ、不遇な生活を送っていたそうですが、亡くなる前年にイスラエルで表彰されました。亡くなった後、映画化され、多くの人に名前を知られるようになりました。素晴らしいことをすれば必ずどこかで実ることを学ばせて頂きました。

与えられたレールの上を歩くことも大切ですが、多くの人の幸せを考える上でレールのルートを変えてでも勇気を持って行動する場面もありと考えています。もし、そのままトップの言いなりになっていたら、六千人のユダヤ人の命は助からなかったと思います。

杉原千畝一家は戦後、私と同じ地域に住んでいたこともあり、親近感を感じます。愛と勇気を行動で示して下さった、杉原千畝に心から感謝します。(横)

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