クリスマスや正月が近くなってきたこの季節、ふと昔のことが懐かしくなる。子供だった頃の私は何を思っていたろうか。今の私は年末までに「これもやらなければ」「あれもやらなければ」と多少欲張りなくらい雑多な用件に振り回されて日々を送っている。ただし残念なことに、きっちり完了出来ることは、ほとんど無い。「ま、こんなもんでいいだろう」という大雑把な完成度で次に進む。振り返って見れば一年中そうして来たのだから今さら手の込んだ精密さでピシッと決めるのも何だか。首尾一貫しているこれがいい、ぐらいのズボラ感である。そうやって目の前の諸問題をゆるく片付けているうちに飛ぶように時間が過ぎてゆく。
私はカトリック系の小さな幼稚園に通った。聖書の一節を描いた絵と言葉が書かれたカードをもらって大事に持っていた記憶がある。クリスマス前は賛美歌とキリスト誕生の様子を演ずる舞台の準備を行う忙しい季節だった。2年保育に通ったはずなので2回は舞台に出演していると思うが1回分の記憶しか無い。役の位置付けはきっちり思い出せないが天使の役だったろうと思う。母が天使役の私のために白いベレー帽と白い衣装を作ってくれた。クリスマスは奇跡が起きる日だ、という半ば洗脳のような教育を受けたのがその頃だ。今でもその感覚は抜けない。聖なる日。何か素晴らしいことが起きる日。そんな感覚が今でも残っている。
小学校の頃はクリスマスや正月の記憶は絵に描いたような昭和の家族の風景の中にある。電飾で輝くツリーが置かれた部屋で父が買って帰ったケーキを食べ、その夜サンタが何を運んで来てくれるのかワクワクしながら寝たものだ。正月には雑煮を前にして新年の挨拶を交わすときちんと正装した母が何処かから魔法のようにポチ袋に入った「お年玉」を出して渡してくれた。正月元旦の朝は寒くはあったが陽の光がキラキラ差し込む日ばかりだったように記憶している。
そうやって家族と一緒に過ごす年末年始は中学2年までだった。中学3年になると突如として友人達との集まりに興じるようになり、それ以降はクリスマス頃から正月2日か3日ぐらいまでの間、ほとんど家にいない生活を送っていた事を今ハッと思い出してしまった。よくそんな生活を両親が許してくれたものだと今思う。私が親なら許さないかもしれない。7〜8人の仲間達と始終一緒にいて、その内一人の家の屋根裏部屋を根城にしてクリスマスやら正月やらを過ごしたのだ。あれから半世紀が過ぎたが、その頃の仲間達とは集まってグズグズと意味も無い話しをしながら1日ほっつき歩き、深夜に解散するような集まりを続けている。
高校でも大学に進んでからも同じような仲間たちと同じような感じで年末年始を過ごした。それでもクリスマスが近づいてくると、小さな奇跡が起きるのでは無いかと期待していたことを思い出す。当時は全く気がつかなかったが、父や母や妹がいて、多くの友人が私を取り囲んでいた毎日が奇跡だとも思わずに暮らしていたのだ。気が付けば、今も。(三)
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センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
私はカトリック系の小さな幼稚園に通った。聖書の一節を描いた絵と言葉が書かれたカードをもらって大事に持っていた記憶がある。クリスマス前は賛美歌とキリスト誕生の様子を演ずる舞台の準備を行う忙しい季節だった。2年保育に通ったはずなので2回は舞台に出演していると思うが1回分の記憶しか無い。役の位置付けはきっちり思い出せないが天使の役だったろうと思う。母が天使役の私のために白いベレー帽と白い衣装を作ってくれた。クリスマスは奇跡が起きる日だ、という半ば洗脳のような教育を受けたのがその頃だ。今でもその感覚は抜けない。聖なる日。何か素晴らしいことが起きる日。そんな感覚が今でも残っている。
小学校の頃はクリスマスや正月の記憶は絵に描いたような昭和の家族の風景の中にある。電飾で輝くツリーが置かれた部屋で父が買って帰ったケーキを食べ、その夜サンタが何を運んで来てくれるのかワクワクしながら寝たものだ。正月には雑煮を前にして新年の挨拶を交わすときちんと正装した母が何処かから魔法のようにポチ袋に入った「お年玉」を出して渡してくれた。正月元旦の朝は寒くはあったが陽の光がキラキラ差し込む日ばかりだったように記憶している。
そうやって家族と一緒に過ごす年末年始は中学2年までだった。中学3年になると突如として友人達との集まりに興じるようになり、それ以降はクリスマス頃から正月2日か3日ぐらいまでの間、ほとんど家にいない生活を送っていた事を今ハッと思い出してしまった。よくそんな生活を両親が許してくれたものだと今思う。私が親なら許さないかもしれない。7〜8人の仲間達と始終一緒にいて、その内一人の家の屋根裏部屋を根城にしてクリスマスやら正月やらを過ごしたのだ。あれから半世紀が過ぎたが、その頃の仲間達とは集まってグズグズと意味も無い話しをしながら1日ほっつき歩き、深夜に解散するような集まりを続けている。
高校でも大学に進んでからも同じような仲間たちと同じような感じで年末年始を過ごした。それでもクリスマスが近づいてくると、小さな奇跡が起きるのでは無いかと期待していたことを思い出す。当時は全く気がつかなかったが、父や母や妹がいて、多くの友人が私を取り囲んでいた毎日が奇跡だとも思わずに暮らしていたのだ。気が付けば、今も。(三)
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