ぼくの時計

「父さん、あした一日、腕時計を貸してください。」
夕食を終えると、君は普段に似合わず、急にかしこまってそんなことを言いましたね。そうですね、時節柄と君の年齢を考えれば、どうして腕時計が必要なのか、すぐにわかりそうなものですね。だけどね、君の口から「腕時計」という言葉を聞いたとき、真っ先に父さんの頭に浮かんだのは、十年以上前の出来事だったのです。場所は、私の母、君のおばあちゃんの生家のある、新潟県のとある町、君はまだ小学校低学年の小さな、それでも気持ちの強い女の子でしたね。8月のとても暑い日だったのを、父さんは今もよく覚えています。

毎年8月になると、おばあちゃんは自分の故郷に家族を集めてましたね。その時もおじいちゃん、おじさんおばさん、いとこたちがみんないましたね。地方の町の、それでも日本一の呼び声も高い花火大会を君たちに見せたかったのでしょう。普段は静かなその町も、花火大会の時は駅前から大通にかけて、出店やいろんなアトラクションのブースが出ていましたね。
その日はとても暑い日でした。夜の花火の前に、昼間の、通りのお祭りにみんなで行きましたね。炎天下、あっちもこっちも見て歩いた後、みんな結構疲れていました。前夜にお酒を沢山のんだ父さんやおじさんおばさん、暑さに弱い母さんもへとへとになってしまいました。兄弟、いとこたちもいったん家に帰って休みたいという空気になっていましたね。君だけですよ、まだ遊びたいと言ったのは。ひとまず家に帰ろうと説得しても、君は頑として聞き入れませんでしたね。
結局、父さんが折れました、15時までに家に帰ってくること条件に。そして、君が時間がわからないというので、父さんのしていた腕時計を君の細い腕にしっかりと巻き、無くさないよう、壊さないよう言いくるめて、小さな君を町の中に残したのです。
君はちゃんと15時前に帰ってきました、約束の時間を守れて偉かったですね。でもなぜ、約束の時間を守れたのですか、今でもそれが不思議です。だって帰ってきた時、君の腕からは、見事に腕時計がなくなっていたのですよ。
父さんよりも、母さんが怒りましたね。借りたものを無くすとはどういうことか、責任感がなさすぎる、と。激しい叱責を受けながら君は泣いていましたね。そして一人になった後、どこに行き、なにをしたのか時系列での説明を母さんから求められましたね。そのやり取りを一編の詩にするとすれば、こんな感じになります。

母さん、私のもっていたあの時計、どうしたんでせうね？
ええ、夏、平潟(ひらかた)神社から長岡(ながおか)駅へゆくみちで、
いつのまにかなくなった父さんの腕時計ですよ。

母さん、あれは好きな腕時計でしたよ、
私はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、どこもかしこもお祭り騒ぎで楽しめるもんだから。

母さん、あのとき、向こうにトランポリンの係りのひとがいましたっけね、
祭りはっぴに、市役所の腕章をまいた。
そして、トランポリンで遊ぼうとする私に、危ないから腕時計は外してくださいってね。

母さん、ほんとにあの腕時計どうなったでせう？
そのとき傍らに咲いていた・・・
「トランポリンのところだよ！！」

腕時計は、すぐにみつかりましたね。そして、ちゃんと動いていました。祭りよりも花火よりも、あの出来事を父さんは、今でも昨日のことのように覚えています。

「父さん、あした一日、腕時計を貸してください。」
「いいよ、でも、どうし腕時計が必要なんだい。」
「大学の入試で、普段スマホで時間見てるから、、、だから腕時計が要るの。」
そうですか、君もようやくそこまで辿り着いたのですね。
君の今までの、たった18年の人生、それでも、長い長い18年、いろいろありましたね。でも、ちゃんと自分の時間を刻み続けているのですね。
明日、父さんの腕時計を使いなさい。万が一、無くして帰ってきても、父さんは怒りはしないよ。
時計はどこにあろうと、ちゃんと時を刻み続けてることを、父さんは知っているから。

「ありがとう、父さん。これって母さんからの誕生日プレゼントなんだよね。」
あ、やっぱダメ!!絶対なくしちゃダメ!!
(ま)

参考文献：西條八十「ぼくの帽子」

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