🔴「それにしても,何とアホな戦争をしたものか」作家,半藤一利は、
自著「昭和史」の中で,大東亜戦争を振り返って,そう書き記した。
そして「昭和史」の結論として、敗戦を「根拠なき自己過信と,不味く行った時の底知れぬ無責任」と書き加え,これを遺訓とした。🔴同じく作家の野坂昭如は、先の大戦の敗北について「戦争がいかに愚かか,数えきれない犠牲を出しながら,何も伝わって来ない」とした。🔴「八月や六日九日十五日」(詠み人知らず)敗戦の8月を象徴する名句だが、強烈な反戦への思いがひしひしと伝わってくる。🔴開戦理由については,さまざまな難しい複合要因があると言う。理由の如何を問わず,この地球上から戦争を抹殺したいが、これは極めて難しい。人々と国の良心と良識に待つしかない。そのためにはまず,自衛のための国防施策の拡充が待たれる。(Yama) . . . 本文を読む
🔴世界的に権威ある米国のトラベル誌T+Lの「世界の観光都市ランキング2023」で、京都が世界第3位、東京が世界第7位、
大阪が世界第25位に選ばれた。
京都は,旧い日本の首都で,日本の格式と伝統を代表する。
東京は,現在の日本の首都として,日本の躍動を象徴する。
大阪は,日本の代表的な経済都市として,日本の明日を具象する。
🔴地方創生が叫ばれる折から,維新政治と関西経済で地方から日本を変えて行こうとする大阪の試みは、万国博を2年後に控え世界の関心を集める。その大坂の魅力は,権威や伝統に拘らない創造性と迅速性にある。
🔴特に「役に立ってナンボ」の商い精神の発想は,遥か古代大坂に遡るが、消費者市場台頭の折から,世界経済の主流的な流れになるに違いない。(Yama) ●(表題の画像出典は「大阪市住まい情報センターの展示」から)
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🟠先の大戦における敗戦を静かに省みる夏である。
日本人は,何かと自尊心が強い国民だけに、戦争に負けたなどとは、一言たりとも言いたくない趣きである。
しかし迫り来る現実には逆らえない。当時の大人たちは,戦後のGHQ統治を見て、静かにその動静を探っていた節がある。
まず「象徴天皇制の維持」と聞いて,心はときはなたれ、財閥解体、農地の解放、女性の解放、経済の民主化、労働改革と,何か新しい
自由社会の到来を予感したのではないのか。🟠一挙に戦後復興に動き出す。
折しも朝鮮戦争の勃発で、鉄鋼生産など民間企業に大量の仕事があり,本格の戦後経済が始動する。神の思し召しとしか言いようがない。不安が入り混じる中にも,新しい希望のスタートだった。(Yama)⚫︎表題の写真は、タイ、プーケット近郊の海(出典、タイ観光庁) . . . 本文を読む
🔵仏語に「自利と利他」と言う言葉がある。
自利とは、自己の修行により得た功徳を自分だけが受けとることをいい、利他とは,自己の利益のためでなく、他の人々の救済のために尽くすことを言う。
同じ仏教国の韓国大統領は、ひょっとすると、自国の暴挙をいいことしたまま
自利他利を標榜する日本をそんな立派な国に祀りあげて、そのうちに何とかなるとでも思っているのではないのかとおもわれるふしがある。
🔵 竹島といい北方4島といい、韓国とロシアは、勝手に日本から領土を奪っておきながら、日本の返還要求の甘さに乗じて、決して返そうとしない。厚かましいと言えばきりがない。
事によれば、日本の「専守防衛」「政経分離」の掟を見て、武力による反撃はないものと甘く見ての暴挙ではないかと思えてならない。
🔵旧い話だが、かつて安倍元総理は、あの強者プーチンと親交を重ね、ある時、故郷山口の伝統の名湯に招き、2人で岩風呂に入って歓談すると言うすごいことをやってのけた。北方4島返還の筋道を探ったと言う。
どう見てもいまの政界にそんな腹の座った政治家はいない。
政治家も政策も何もかも小粒で、期待が持てない。残念でならない。いま世界は、グローバルサウスの台頭で、大きく変わろうとしている。
全てが覇権ですむ話ではない。改めて日本の気概がもとめられる所以だ。(Yama) ⚫︎表題の写真、京都(醍醐)の名刹、醍醐寺の山門(撮影,Jtiro) . . . 本文を読む
🔵「達人大観」「遠慮近憂」という古語がある。暫く日本を離れていると、日本の本当の良さが解ってくるという意味だ。
かって15年程前、海外ロングスティを目指す一人のシニアから、何事も客観で物事を見る目を養うには、海外暮らしが一番だと聞いた。そして、
哲学的な趣のあるロングスティヤーの話として、Jtiroのブログに紹介したことを思い出した。
🔵今回の中西語録は、その再来と言っていい。海外ロングステイの素晴らしい特性が、静かに静かに外地で根ずいていたのかと感慨深いものがある。まさに一過性的な観光旅行と異なる海外ロングスティの素晴らしい所以だ。タイ・ロングステイに栄光あれ。(Yama)
ーーーーー「付記」●表題の写真(世界遺産タイ・スコータイ遺跡(撮影.Jtiro)⚫︎五木寛之氏肖像他(出所:JIJI)⚫︎タイ現地の映像(撮影:中西英樹)⚫︎法然院ほか日本の映像(撮影:Jtiro) . . . 本文を読む
🔵「地政学的リスク」という現代用語がある。日本は、東に太平洋、西に東シナ海、北に日本海、南にも太平洋と国全体が大きな海に囲まれ、他国と陸続きで隣接しない。そのために国防上も地政学的にも、リスクが極めて低い。
わざわざ「海の日」が制定された所以は、希薄になりがちな日本の海の存在を、日本の国民に再認識してもらうためだと言う。
🔵かって日本の鎖国時代、15世紀半ばの大航海時代、遠く欧州のポルトガル、スペインなどは、遠洋航海で地中海貿易を独占。香辛料を求めてアジアへ進出、喜望峰からインド、マラッカ海峡を経てインドネシアへ、そして日本まで進出、紅茶や鉄砲という近代文明の所産を届けた。日本はこの海のお陰で一挙に文明開化した。
🔵その後の僅か200年の間に、世界は超近代化が進み、そこに思想を超えた大国の覇権が絡む。これはもう歴史学者が紐解く話ではなくなる。陸続きのウクライナ戦争の経緯を検証しながら、日本の海の存在価値を探るのも大いに意味があると思う。(Yama) . . . 本文を読む
🔵いま暇な高齢者の間で、取り組みが盛んなのが「リカレント」(学び直し)である。
中でも人気の講座が「史学(日本史と世界史)」と「地政学」だと言う。
理由は、先行き極めて不透明な時代に、日本がいまどの様な環境に置かれているかを見る上で、世界の歴史を知る意義は大きいからだと言う。
🔵今をさる1000年前、車も電話もなにもない時代に、騎馬軍団だけをベースに統領のチンギス・ハンは、現在の極東の中国、ロシア、イランから中東のトルコ、東ヨーロッパに至る壮大な世界大国を築きあげた。
その大国が2度にわたり、大軍をもって高麗(今の韓国)経由で日本に攻め込むも、巨大台風に阻まれ鎌倉幕府軍に敗れた。元寇の乱である。
時の幕府の大将は、僅か18歳の宰相北條時宗である。天の運が時宗にあったとしか言いようがない。
🔵「歴史を学べば、世界が見えてくる」この言葉を教訓にして、バイデンさん、岸田サン、プーチンさん、これら世界の要人を垣間見ながら、
残された人生の毎日を、楽しく正しく過ごしていきたい。(Yama) . . . 本文を読む
🔵「卯の花の匂う、垣根にほととぎす、はやも来鳴きてしのび音漏らす、夏は来ぬ」(作詞、佐々木信綱)この昭和の夏の小学唱歌に思いを寄せる人は多いと思う。山開き、海開きがおわり、いよいよ日本列島に本格の夏が来る。🔵コロナパンデミックの終焉で、マスク姿がなくなり、街の至る所にインバウンドの外国人の姿が増えてきた。日経平均株価は、先月平均2300円高を記録、月次ベースで3万3000円を回復した。
消費が回復し経済が立ち直ると、景気が良くなる。景気が良くなると世の中に明るさが横溢する。4年ぶりの平常に戻りつつあると思う。
🔵コロナパンデミックの非常事で、「平常」がいかに素晴らしいかを学んだ。非常事を防ぐためには、平素からの防御や、社会の協調や協働がいかに大切かも体得した。人間社会では、物事の進化の中に潜む分断をなくし、非常事の解消を図っていくしか無いこともわかった。🔵悲観することはない、壮大な人類の歴史の歩みの中に生きていると思えばいい。「轍」「輪廻」「生々流転」「推移」「回帰」「流転」「足跡」「興亡」「輪廻転生」「変遷」など、さまざまな同意語の中に隠された日本人特有のデリカシーを何時までも大切にしたい。(Yama) . . . 本文を読む
🔵国際交流の現場では、多くの事を学んだ。そして多くの人たちと知り合った。
世界には、さまざまな生き方や、いろんな考え方がある事を知った。しかし年を経るごとに、貴重な記憶がどんどん遠のいていく。
日本では子供の頃から時間に厳しく躾けられ、正確さと誠実さを求められてきた。
電車や航空機は、規定の時間に必ず出発するし、役所も学校も会社も、時間に沿って正確に業務をすすめる。
🔵一方のタイは、おおらかで自由奔放、時間という観念はない。定刻に人が集まることはないし、電車が定時に出発する事はない。転勤の際に,前任者は後任者に「業務の引継ぎををしない」これもこの国のしきたり。誰もそれを気にしない。タイでは、その自由な気風を「マイペンライ」と言う。
🔵この様な気風の違いは、地政から来るのか、民族性から来るのか、向学のために確かめたいと思つている。
2国が協働するに際して相手国の性格は、別の相手国からすると大きな魅力になる。はたまた異国のもの同志が協働すると、格別の相乗効果が生まれる。これまた不思議だ。改めてその実績の記憶を辿ってみた。国際交流の仕事が、未知の探検にも似た魅力的な活動に思えてきた。(Yama)
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「人は老いていく。同じように、国も老いていく」(「流れゆく日々」五木寛之著)
🔵コロナが去って、ようやく平常に戻ったと思いきやマスコミの話題は、「男の孤独」「中高年深刻」「貧困や引きこもりリスク」「友人無し4割」から「長生きという憂鬱」に移りつつある。その裏には、少子化による人口減少と、国力の減退が潜む。
ところが高齢化の渦中にある日本の高齢者には、高齢化の問題意識は乏しい。顧みれば、いつしか90歳を超えていたと言う事だ。加えて戦後復興期の「戦後昭和」に、身を挺して戦後経済の再興に寄与したという確信がある。
🔵しかしマスコミは、いまや高齢者が全人口の3割をしめ、社会保障費が嵩み大変だと言う。私ども高齢者からすると、幸せな老後を期待していただけに戸惑うばかり、何を今更と言う気持ちである。だから「百歳時代の到来」と言われても決して嬉しくない。
🔵晩年の漱石は「他力」の思想を重んじて「則天去私」と「他力」を生涯の信条とした。
いま私ども日本の高齢者に求められるのは、この漱石の信条ではないのか。それは現代の「利他」の思想とも共通する。(Yama) . . . 本文を読む
🔵本文「古事記」の記事に触れて、改めて日本の悠久の歴史に想いを馳せている所だ。
文化とは何か、文明とは何か、価値観の変化の中で「耕す文化の時代」と言われて久しい。それがいつしか「五感の時代」を飛び越してデジタルから、さらにはAI技能という人間知能に迫る対話型ソフトが、私どもの生活領域に入り込んできた。
🔵しかし,デジタルもAIも生活利便の道具であって、知能そのものにはなり得ない。やはり「学び」は人間最高の知識修得の場であり、これに替わるものはない。AIなどは利便がすぎると妄想に陥りやすい。
最近、地方発のマーケテイング(市場戦略発想)が、日本全土を席巻する事例が頻発する。東京一極集中を危惧した令和発の地方創生の成果と言えようか。
🔵人口減の日本の経済政策の最大の狙いは、地方のGDP創生にあると言われる。
これからの国際間の経済競争は、全世代、全地方、全業容挙げての総力戦になると思えばいい。
改めて全世代の知識と能力の本質が問われる所以だ。(Yama) ●(表題の写真は山陰出雲の連山:出所、JIJI通信) . . . 本文を読む
🔵「大阪はブルジョアの街である。海運の利便性などが豊臣秀吉にみ込まれ、人工的に造られた商都である。
今の大阪に昔日の面影はないが、東京がなんぼのもんやという間違いなく負け惜しみの気持ちを持つ。
井上章一著。幻冬舎新書刊。
「あかん、あほ、おっちゃん, しぶちん、ぼけ、いけず」典型的な大阪弁が大阪人の誇りとして並ぶ。
また大阪検定「大阪の教科書」橋爪紳也著 創元社刊、
🔵私も、1955年からほぼ60年間、仕事の本拠として大阪に住み続けて、戦後の焼け跡からの復興も見てきた。
都市の変貌と言えば、驚きを超えて脅威としか言いようがない。
20年前まで大阪市と大阪府が犬猿であった事が解消し、公式に副首都を目指すという。
政治勢力としても全国政党として、自民と是々非々で国政を担う胆力が出てきた。
よしもとと言い、維新と言い、おばはんといい、アニメと言い、しぶちんといい、わたしの大阪が面白くなってきた。(無敵老人91歳Yama)●(本文中の作画提供:大阪市建設局)(その他の映像はJtiro)
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「人生の流儀」
🔵役員定年後、あるきっかけで取り組んだタイとの国際交流事業は1999年、日本政府の新しい社会奉仕の公的認証法人NPOの発足がきっかけだった。
当初は一人の発想で、骨格を固めながら外堀から埋めていった。
国際と文化というカテゴリーは、在職中から格別好きな仕事領域だった。
しばしば新しくできた大阪府のNPO所轄部へ足を運んで、NPO設立の
手続きなど知識習得に努めた。68歳の春だった。気分はルンルンの気概だった。
🔵多くの仲間の力添えを貰った。しかしその後の道筋の多くを覚えていない。嫌なことばかりか必要な事も忘れている。
その私も91歳、寄る年波で物忘れが激しい。折も折、美貌の脳科学者中野重子さんの著書を読んで、当時の行動の記憶を辿りながら記しておこうと考えた。その時時のドキュメントは、写真やブログに記してある。
当時の仕事を振り返ることで新しい発見が生まれる。脳の活性化にもなる。貴重な日タイ国際交流の記録でもある。そして新しい発見にもつながる。(無敵老人91歳、Yama)
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🔵タイはいま総選挙たけなわ、従来の農村部と都市部の対抗に加えて、新たに若者層が台頭。大きく変わる予感がする。
🔵さて2000年にスタートした日タイ両国政府肝入りのタイ・ロングステイプロジェクトは、時の円高基調による格安で高質、常夏の異国生活を構想して、たちまち3000人を超す団塊世代を主体とした高齢者が、チェンマイでロングステイを開始した。
しかしその6年後、8年後、14年後の軍事クーデタや大政争が、平穏で暮らしやすい異国生活の夢を、ことごとくブレイクした。担当するタイ観光庁の人達も、弁解の言葉を持たなかった。🔵その後のタイロングステイは、大きく後退を余儀なくされたが、本当にタイを愛する人達に支えられて、20年後のアフターコロナのいま、復活の兆しが見えて来た。タイロングステイヤーの先立である中西さんが、生活の礎といえる住居を、チエンライに建てるという壮大な構想が実現した。私も長らくロングステイに拘わって来たが、初めて耳にする快挙だ。
今後のタイロングステイと日タイ国際交流の前進に期待したい。(91歳無敵老人・Yama) . . . 本文を読む
🔵「木枯や跡で芽をふけ川柳」(川柳の始祖、柄井川柳の辞世の句)
辞世の句とは,先人亡き後も,この人の仕事やことばが、後世に生き続けることを願って読まれるものと云われできた。
柳井川柳の辞世の句も、川柳とともに後世に語り継がれて、いまも廃れる事はない。
🔵いま少子高齢化で、老人が増え続けている。かつて年寄りは、可愛いお爺さん、おばあちゃんとも呼ばれて、子供同様可愛がられた時があった。
ところが、いつのまにか年寄りが高齢者になり、後期高齢者になり、下流老人と化し、最近では、おひとり様と呼ばれて、社会から疎んじられる存在になってしまった。
🔵昔の年寄りは偉かった。パソコンはなく、車もなく、テレビもなく、コンビニもなく、社会保障もなかった。しかし多くの偉人が傑出した。一休や子規や漱石など昔の偉人の辞世の句が、改めて注目を集める所以だ。
🔵そこでいまの高齢者は、すべからく早めに自分の遺言書(エンディング
ノート)をしたため、死後、社会に迷惑が掛からぬよう、晩学に努めたらどうだろう。そんな高齢者の取り組みが、やがて知的な高齢社会を創りあげていく事になる。(91歳無敵老人Yama)
⚫️標題の写真は、一休寺の禅苑形式の方丈庭園。(一休寺など撮影は、Yama) . . . 本文を読む