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アリ

 NHK・BSで『スポーツドキュメンタリー~さらばモハメド・アリの時代「ホームズ戦」』を見た。1980年10月に行われたラリーホームズ戦を中心にして、モハメドアリの半生をダイジェストするといった内容で、「ほら吹きクレイ」と呼ばれた時代から、アリの試合を何度も見た私には、懐かしくも哀しい番組だった。
 かつてスパーリングパートナーだったラリーホームズがWBC世界ヘビー級チャンピオンとなり、それにアリが挑戦するといったシナリオを誰が書いたのだろう。試合までのスパーリングの様子が何度も流されたが、アリはとてもタイトルマッチに臨めるような体調ではなかった。言葉もはっきりせず、動きも遅い。どう見たって彼に勝ち目などなく、腎臓や甲状腺にも異常を来していて、毎日山のような薬を飲んでいたという。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われた彼の華麗なフットワークなど片鱗さえも見えなかった。当然のように試合は、サンドバッグのように最初から最後まで一方的に打たれ続けたアリの11ラウンドTKO負け・・。なんとも無残な試合だった。
 そんな試合を戦ったラリーホームズが試合直後に泣きながらインタビューを受けていたのが印象的だった。
「アリを尊敬している」
「彼を傷つけたくなかった」
そう語る彼の言葉は、当時あの試合を見た多くの人の心を代弁したものであったろう。



 私はさほどアリのファンではなかったが、今でも覚えているのが「キンシャサの奇跡」と称される1974年10月30日に行われた、当時無敵と謳われていたジョージ・フォアマンとのタイトルマッチ。峠を過ぎていたと目されていたアリに勝ち目などないと思われていたのだが、そんな予想をあっさりと覆して、8ラウンドKO勝利してヘビー級王者のタイトルを奪還してしまった。アリなんてフットワークだけの軽いボクサーと少々侮っていた私は、てっきり早い回でフォアマンがKO勝ちすると思って試合を見ていただけに、本当に驚いた。口から先に生まれてきたようなイメージのあったアリを、実力を持った真のボクサーだと見直した一戦でもあった。
 だが、76年のアントニオ猪木とのバカみたいな異種格闘技戦や、ラリーホームズとの無茶な試合などを見せられるたびに、まただんだんとアリに対する私の評価は下がっていってしまい、いつの間にかその存在を忘れてしまった・・。
 それだけに、1996年7月、アトランタオリンピックの開会式で聖火台に点灯する点灯者として登場したときには息をのんだ。引退後患ったパーキンソン病のために震える手で火を点ける瞬間をTVで見たときは胸が熱くなった。
「ああ、アリはまだ頑張っているんだ!」
素晴らしい開会式だった。



 1942年生まれのアリは今年69歳。今はどうしているんだろう、元気だろうか・・。
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