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「戦争と文学」(2)

 ⑧巻「アジア太平洋戦争」から、太宰治「待つ」と川端康成「生命の樹」を読んだ。
 太宰の短編は青空文庫にも収録されているが、私は初めて読んだ。太宰の短編は「逆行」が一番だと思ってきた私だが、この短編を読んで少しばかり確信がぐらついた。内容は、二十歳の娘が毎日駅へ誰かを迎えに行き、ただじっと待っていると時の心情を独白しているといったものであり、誰を、なぜ待っているのか皆目分からない。実際のところ誰も待っていないのかもしれないし、待つというのは己のそこはかとない思いを糊塗するための言い訳なのかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。私が驚いたのは、畳みかけるような迫力で全文を一気に読ませてしまう太宰の文章力である。太宰と言えば、自己陶酔したような生き方とともに、どこか斜に構えた文章がいやらしくもあり魅力的でもある作家だと思ってきた。その最たるものが「逆行」であり、

「ことし落第ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。今朝こそわれは早く起き、まったく一年ぶりで学生服に腕をとおし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鉄の門をくぐった。おそるおそるくぐったのである」

という書き出しで始まる「盗賊」は私の太宰像を象徴する文章であった。しかし、年を取って読み返すたびに、その文の醸し出す雰囲気は決して色あせることはなかったものの、なんだか学生崩れの世間知らずの殴り書きのようにも思えてきて、少しずつ評価が下っていった。それと比べれば、この「待つ」は、訳の分からぬ内容ながらも読者を引きつける力があるように思う。それを可能にしているのが太宰の文章の力であり、私はこの短編を読んで、初めて太宰が才能豊かな作家であったことを知った。それだけでも、この『戦争と文学』を読み始めた意味があったと思う。

 川端康成の「生命の樹」は、30ページほどの作品であり、筋立てもしっかりしている。おおざっぱにまとめれば、
 「特攻隊員として出撃していった男性に殉じようという思いを秘めた女性が、生き残った特攻隊の同僚隊員とともに、焼け野原になった東京に住む遺族の元を訪れるという話を縦糸にしながら、過去を振り返りながら、漠とした己の行く末を思う・・」
といった内容である。
 川端の小説は主だったものしか読んだことのない私だけに、日本の古典美に沈湎していただけの作家だと浅はかにも思い込んでいたが、この小説を読んでイメージが変わった。

 「あの木を見ろよ」
 「どの木・・?」
 「焼けた木に、芽を吹いている」
 「ああ、あれ・・、ほんとう」
 街路樹だった。枝はことごとく焼け折れて、炭の槍のように尖った、その幹から、若葉が噴き出しているのだった。若葉はぎっしり、重なり合い、押し合い、伸びを争い、盛り上がって、力あふれていた。
 篠懸か銀杏かはわからない。そういう木々が整列しているのだった。どこかはわからない。広い舗装道路が、真直ぐに通じているのだった。焼けただれた街に、自然の生命の噴火だった。

 力強いメッセージだ。廃墟の中からも新しい生命が芽吹いてくる感動、川端はそれを伝えたかったのだろう。
 
 震災の地にもこうした「生命の樹」が見つかるのではないだろうか・・・。見つかるといいなあ・・。

 
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