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ウンザリ

 今日は「新しいHP(2)」を書くつもりだった。しかし、国会の模様があまりにアホらしく、どうしても罵声を浴びせたくなって予定を変更した。

 菅首相の無能さなど、改めて言及する気にもならないが、サミットでの満面の笑顔を見た時には、血の気がひいてしまった。どうしてあんなにも屈託のない表情になれるのか・・。遅々として進まぬ被災地の復興、泥濘にはまって二進も三進も行かなくなってしまった福島原発の問題、どれをとっても一国の代表として笑ってなどいられる状況ではない。そもそもサミットに出席する必要などなかったのではないか。何十万という国民が困難な生活を送っている現状を鑑みれば、日本の首相が欠席したところで、疑義を挟む首脳など誰もいなかっただろう。それなのにノコノコと出かけ行って、意味の分からぬ笑顔を振り撒いてくるのだから、お目出度いのにもほどがある。あの笑顔をTVで見るたびに、「早く戻って仕事しろ!!」と何度叫んだことか・・。あれが我が国の代表か、情けなくも悲しくなった・・。
 もうそれだけで内閣不信任案を成立させる要件は満たしているように思う。だが、それは何にも責任もない、逆に言えば何の力も持ち合わせていない私だから許される戯れ言であって、国会議員が軽々に論じるべきものではないはずだ。国会議員はすべて国民の代表であるはずだ。その国会議員が国民の考えとあまりに乖離した行動をとってもいいものだろうか。
 今の日本で大多数を占める民意とは、震災から東北を、ひいては日本を一日も早く復興させること、福島原発を安全に収束させることであろう。その民意を政治に反映させるために奔走することこそが国会議員の仕事であろう。それが焦眉の急であることくらい、どんなに鈍感な国家議員であっても理解できるはずだ。それなのに・・。
 どうして党利党略、個人の政治的延命のみを第一義にした行動をとってしまうのだろう。それぞれには己の行動を擁護するための屁理屈が用意されているのだろうが、そんな物に耳を貸すほど私たちは愚かではない。今求められてるのは百万の理屈ではない。不毛な議論よりも一つでも多くの支援策を打ち出すことが求められている。なぜそれが分からぬ者しか国会にはいないのか。もうバカらしくてどうしようもない・・。いくら叫んでみたところで彼らの耳には届かないのだから。

 不信任が可決しようがしまいが、そんなものどうでもいい。ここ数日の間に浪費した時間のせいで、苦しみから抜け出すのが遅れてしまった人々がどれだけいるだろう。その人たちに向かって、自分たちのとった行動について胸を張って語れる議員がいるだろうか。「胸くそ悪い!!」などという下卑た言葉など使いたくはないが、国会の動きを見ているとこの言葉しか浮かんでこない。あっ、それともう一つ、「反吐が出る!!」

 本当にウンザリだ。
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