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やっとかめ

 名古屋弁で「やっとかめ」というのは「久しぶり」という意味だ。例えば、久しぶりに会った友人に「やっとかめだがね。元気にしてりゃあたか?」などと使うのが一般的だ。まあ、名古屋弁の中では割とポピュラーな言葉なので、少しは全国的に認知されているかもしれない。
 18日の日曜に、本当に「やっとかめ」に、弟家族がやってきた。父の日のプレゼントを渡すためにやってきたのだが、この前会ったのが5月のはじめだから、1ヵ月半ぶりになる。それくらいで「やっとかめ」というのは少々大げさかなとは思うが、私としては随分会っていなかったような気がした。彼らが来るたびに、このブログで子供たちの様子を書きとめてきたため、伯父から見た子供たちの成長記録をかいている気もしている。来るたびに何かしら成長のあとを見せてくれるので、思わず書き残しておきたくなってしまう。
 男と女の双子である。二卵性なので、顔は全く似ていない。性格も、おとなしい姉とやんちゃの弟と、好対照をなしている。今までなら、私たちの顔を見るや否や泣き始め、30分ほどは親にへばりついてぐずっていたのに、今回はまるでそんなことはなかった。家に入った瞬間から、元気に動き回り、私が「やっとかめ」と声をかけてもニコニコしている。えらく変ったもんだなと感心していると、弟の方がやたら走り回って忙しい。姉のほうは絵本を出しておとなしく見ていたが、弟が気になるらしく、集中できない。弟はそんなことは全くお構いなしに、家中を走り回って、手あたり次第に色んなものをもってくる。父親が後ろで追っかけても、なかなかつかまらない。とにかく素早い。
 台所においてあったゼリーの箱を見つけ、父親に取ってもらって居間に運んできた。妻が双子に食べさせるようにおいていったものだが、目ざとく見つけた嗅覚はさすがだ。マスカット・いちご・オレンジなどの果物が入ったぜりーだ。二人とも1つずつ手にして開けろと親にせがむ。母親がスプーンで交互に食べさせると、休むまもなくパクつく。1つ食べても足りないらしく、次をせがむ。おいしいらしくて嬉しそうな声をあげながら、一心に食べる。どれだけでも入っていきそうだ。こんな旺盛な食欲があれば健康なんだろう。未熟児で生まれた二人がこんなに元気に育ってくれたのはうれしい。弟夫婦がここまで育てるには相当な苦労があっただろうが、こんな元気だったら、それも報われるだろうなどと、大した協力もしてこなかった伯父としてはいい加減なことを考えていた。

 
 二人の誕生日は7月1日。もうすぐ2歳になる。前と比べれば彼らの話す言葉が随分明瞭になってきた。「パアパ」「マアマ」と親を呼ぶ声はかわいらしい。弟の方を抱いて犬小屋まで連れて行って、弁慶に会わせたら、「ワンワン」と呼びかけた。さすがに弁慶に触らせることはできなかったが、それでも動物を見るのはうれしいのかじっと見ていた。父の部屋に、二人が生まれた日に撮った写真が壁に掛けてあるが、その写真と比べるとよくぞここまでという感慨を新たにする。でも、まだまだこれからだ。どんどん大きくなって、もっともっと両親を困らせなければならない。
 
 よし、誕生日にはまた何かプレゼントしてやるからな。待ってろよ。
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父の日?

 たぶん18日は父の日だった。かもしれない、たぶんそうだ・・・ふ~~ん、世間はそうだろうな、優しいお父さんは、「ありがとう」と子供たちから言われているんだろうな。そんなことを思いながら一日を過ごした。
 昼食は誰もいないため(妻は稲垣吾郎の舞台で娘と東京、息子は勉強しに出かけた)、独りでカップめんを食べた。まあ、まずくはないけどおいしくもない。


ねぎラーメンと書いてあったが、さほどねぎが多くない。羊頭狗肉とはこのことかと、余分な四字熟語を思い出す。ぴりっと辛味が利いていて、好みの分かれる味かなと思った。
 日曜の昼、塾の授業があるときは、たいていカップめんで済ます。残り物があればそれを一緒に食べる。そういう点では、妻の献立に協力しているといえなくはないだろう。
 でも、さすがにこれだけではお腹がすく。幸いなことに私の誕生日を祝って、妹からプレゼントがきていた。

 


さすが、わが妹、私の好みは決して外さない。美濃忠の羊羹といえばおいしいに決まっている。そういえば去年もプレゼントしてくれて、私一人で食べてしまった。そういう事情を知って知らずか、今年は「小倉」と「煉り」の2本セットでくれた。最高だ!


横幅6.5cmの羊羹を長さ8cmに切ってみた。「原材料:小豆。砂糖。丹波大納言。寒天」というだけでは想像もできないおいしさだ。私はただひたすら甘い羊羹が好きだが、妻に言わせればそんなものは上品な味ではないらしい。そういう意味ではこの羊羹はなかなかの味である。甘すぎず、かと言って甘党のポイントは十分におさえている、素晴らしい味だ。妻がいなくとも、なかなか充実した昼食が味わえた。嫌味でもなく、本当に。
 「父の日」は、私の誕生日と近いため特別祝われたことはない。毎年、子供に請求しなければ何事もないままに過ぎてしまう。「母の日」のカーネーションのように象徴的なものでもあれば、それをもらえばある程度満足できるのだろうが、「父の日」に関しては何もない。表立って、行事が行われるのも小っ恥ずかしいからあるかなしかの雰囲気ですんでしまえばいいのだが、どうしたって「母の日」の華やかさと比べてしまう。
 でも、息子は可愛いところがあって、私の誕生日と父の日を兼用して、ビールを1箱を買ってくれた。妻もさすがに手を出さずに全部私が飲んでしまったが、そういえば娘は?私の誕生日にはぎりぎりでお祝いメールをくれたが、父の日は無しのつぶて・・・
 ちょっと寂しい。嫌いになっちゃうかも・・・。

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頑張れ、日本!!!!

 

頑張れ、日本!!

 

クロアチアなんかに負けるな!!

 

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「雨を見たことがあるか」

 塾バスを運転しながらラジオを聞いていたら、「クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル」の「雨を見たことがあるか」という曲がリクエストでかかった。「おお、懐かしい、C.C.R.か」と、さほど洋曲に詳しくない私でさえ思わず唸ってしまうくらい、昔のグループだ。代表曲が何か、今も活動しているのかどうか、などは全く知らないので、ただ名前に反応しただけだ。それでも、流れてきた曲を聴いて、「ああ、この曲か」と分かった。というのは、日産のミニバン「セレナ」のCMソングに長い間使われていた曲だったからだ。「モノより思い出」というキャッチコピーで、親子のふれあいの大切さをアピールしたCM作りがしてあって、ちょっとあざといかなと、へそ曲がりな私は思ったものだったが、印象に残るCMではあった。そのバックに流れていた曲がこの「雨を見たことがあるか」だったのだが、C.C.R.の曲だとは全く知らなかった。
 ところが、曲が終わってアナウンサーが意外なことを言い出した。「この曲は実は反戦歌なんですね。曲の中での『雨』というのは『ナパーム弾』のことなんです。ベトナム戦争に反対するプロテストソングなんですが、当時はこうしたさわやかなメロディーにのせて歌われることが多かったようです」私は全く意表をつかれてしまって、塾に戻ると早速調べてみた。まず、原詩はこうだ。

 Someone told me long ago theres a calm before the storm,
 I know; its been comin for some time
 When its over, so they say, itll rain a sunny day,
 I know; shinin down like water

 I want to know, have you ever seen the rain?
 I want to know, have you ever seen the rain?
 Comin down on a sunny day

 Yesterday, and days before, sun is cold and rain is hard,
 I know; been that way for all my time
 til forever, on it goes through the circle, fast and slow,
 I know; it cant stop, I wonder

 I want to know, have you ever seen the rain?
 I want to know, have you ever seen the rain?
 Comin down on a sunny day

 Yeah!

 I want to know, have you ever seen the rain?
 I want to know, have you ever seen the rain?
 Comin down on a sunny day

 Someone told me long ago theres a calm before the storm,
 I know; its been comin for some time
 When its over, so they say, itll rain a sunny day,
 I know; shinin down like water

 I want to know, have you ever seen the rain?
 I want to know, have you ever seen the rain?
 Comin down on a sunny day

そして、これを日本語に訳したもの。

 昔、誰かが言っていた
 嵐の前には静けさがあると
 そう、ここにもちょくちょくやってくる
 その後に人は言う
 晴れた日には「雨」が降ると
 そう、まるで水のように降り注ぐ

 教えてくれ
 あんたは雨を見たことがあるか?
 教えてくれ
 あんたは雨を見たことがあるか?
 晴れた日に降り注ぐ雨を

 昨日もその前も
 太陽は冷たく雨は熱い
 そう、いつもこの調子
 いつまでも終わらない
 早くなったり、遅くなったりを繰り返しながら
 そう、もう止めようがないのか

 教えてくれ
 あんたは雨を見たことがあるか?
 教えてくれ
 あんたは雨を見たことがあるか?
 晴れた日に降り注ぐ雨を

60年代のアメリカ軍内のスラングで「ナパーム弾」をrainと呼んだらしい。晴れた日に雨のようにように降り注いでくるナパーム弾・・・。きわめて高温(900~1300度)で燃焼し、広範囲を焼尽・破壊する兵器である、ナパーム弾が雨のように襲い掛かってくる・・・。なんという情景を歌った歌であろう。アメリカではイラク戦争の時なども、場所によっては放送禁止扱いになったりした曲だという。それなのに日本では、家族の絆の大切さを強調するTVコマーシャルのバックミュージックして使用される、これはいったいどういうことなのだろう。
 製作者はこのことを知っていたのだろうか。今はCMに流れる曲が変わってしまったようだが、是非ともそのことを担当者に聞いてみたい。



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スマコンかぁ・・

 妻の動きが目立つようになってきた。別に今までもおとなしくしていたわけではないが、ばたばた動き回っている。まずは、17日から公開される藤原竜也の「デスノート」、来週には観に行くという話だ。「あの映画は面白いの?」と私が聞くと、「面白いと思うよぉ!」と力強く答える。何も宣伝担当の人でもないから、そこまで力まなくてもと思うが、彼女の中では観る前から傑作になっているらしい。果たして実際に観ての感想はどうだろう、楽しみだ。
 18日には、稲垣吾郎の舞台だ。以前にこのブログでも取り上げたが、「ヴァージニア・ウルフなんて怖くない?」を娘と東京まで観に行く。SMAP仲間と落ち合って話をしてくるから、帰宅は遅くなるとか言っていたが、朝は駅まで私が送っていかねばならないそうだ。運転手も大変だ。香取慎吾がドイツまでクロアチア戦を応援に行くようだが、それをライブで観られないことになるが、まあ、録画する手はずは油断なくしていくだろうから、私が何も心配することはない。
 
 それらも勿論大切なイベントだろうが、今の妻の頭の中はSMAPの夏のコンサートの予定で一杯ではないだろうか。先日、新聞紙面にコンサートツアーの日程が発表されていたが、「ファンクラブの会員に告知するより前に、マスコミに流すなんて事務所はいったい何を考えているんだろう。ファン無視もいい加減にしてよ」といたく憤慨していた。日程を見ても、「土・日が少ないでしょ。メンバーのスケジュールがきついから無理やり押し込んだって感じがして頭にくる。ファンにOLさんたちも多いから、土・日を外すなんて全くファンのことなんか考えてないんだから」と事務所批判は収まらない。最後には、「メンバーがかわいそうだよ」で終わることになっているから、私も黙って聞いているが、まあ妻の言うことも一理あるような気がする。
 なんと言っても、SMAPのコンサートは妻にとっては一年の最大行事だ。自分と娘・息子の名義でファンクラブの会員になっているし、私の従姉妹や自分の友人たちまで総動員して、とにかくチケットの確保に頭を悩ましている。私が聞いたところによれば、現在の予定としては、
   8月12日(土) 日産スタジアム
   8月30日(水) ナゴヤドーム
     31日(木) ナゴヤドーム
   9月 9日(土) 国立競技場
   9月22日(金) 大阪ドーム
     23日(土) 大阪ドーム
  10月 8日(日) 東京ドーム 
 
に行く予定だそうだが、地元名古屋では2回の公演しか行われない。事前の噂では、豊田スタジアムでも行われるという話だったが、結局はたったの2回だけ、しかも平日ということで妻は落胆の色を隠せない。何せ今年は受験生の母という立場であるから、そうそう飛び跳ねることもできず、遠征回数を減らそうと努力しているだけに、地元開催が少ないのは大いに痛手らしい。ならばと、私が「7月30日の札幌ドームに行って来ればいいのに」と言っても、「これ以上は応募できない」のだそうだ。なかなか簡単にはいかないようだが、9月9日だけは、SMAPのデビュー記念日なのでどうしても行きたいと言っている。勿論名古屋は2日とも絶対に行くと意気込んでいるが、抽選に外れたらどうするつもりなんだろう。高いチケットをどこからか入手するつもりなんだろうか。前科があるだけに、いざとなったら無茶するかもしれない・・・
 SMAPの夏コンの予定が発表されて以来、ずっとブーイングを鳴らし続けている妻だが、唯一嬉しそうにしているのが、コンサートの日程が10月の藤原竜也の「オレステス」の名古屋公演と重ならなかったことだ。「で、何回観に行くんだ?」とたずねたら、「名古屋は3回。あと東京と大阪」
 余りにあっけらかんと嬉しそうに言うものだから、私としては「そりゃ大変だ」とボソッと答えるしかできなかった。

 いいなあ、うらやましいなあ。。。
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お祝い

 昨日は私の誕生日に多くの方から、お祝いの言葉を頂き、ありがたくも申し訳なくただただ恐縮するばかりだ。ゴジ健さんは、長い休暇開けの日をわざわざ私の誕生日にあわせてくださり、心からのお祝いの言葉まで下さって、本当に感激した。迷惑ばかりかけてきた私だが、今から3ヶ月ほどは私のほうが1歳年上になるわけだから、何とかゴジ健さんを困らせないように、己の身と心を律していかねばならない。「不束者ですが、またよろしくお願いします」、心からお願い申し上げる。

 我が家でも、私の誕生日を祝して家族が形ばかりのお祝いをしてくれた。まずは妻が誕生日ケーキを買ってくれることになった。私は、先日の竜虎の母さんのお誕生日の記事に載せられていた「パウンドハウス」というケーキ屋さんの姉妹店が、私の町にもあることを見つけて以来、私の誕生日ケーキはそこで買おうと決めていた。そこのケーキを買ってきて写真をここに載せて、実際に同じ種類のものかを比べるのも楽しいかなと思ったからである。


ショートケーキ、ブルーベリーパイ、ミルクレープ、ガトーショコラ、プリン、ミルクレープ。。。一生懸命覚えてきたけれど、本当にそうなのかは自信がない。まあ、名前なんかどうでもいい、おいしければと思いながら、昼食後、私はブルーベリーパイを食べた。今までに何度も食べたことはあるが、パイ生地の上に乗った生クリームとその上のブルーベリーが絶妙のハーモニーを作り出してなかなかおいしい。もう一個食べようかなと思ったが、昨日はすぐに塾生の父母と学習相談会を開かねばならなかったので、止めておいた。
 午後からは相談会やら授業やらで、誕生日のことなど忘れてしまっていたが、遅い夕飯を食べに家に戻ったら、妻がケーキ屋で買ってきた、「ハッピーバースデイキャンドル」に火をつけてくれた。


火をつけた瞬間から、ずっと「Happy Birthday!!」の音楽が鳴り続ける。どういう仕組みか知らないが、ずっと止まなかった。うるさくもあるが、なかなかの優れもので、少しは誕生日パーティーめいた雰囲気を作り出してくれた。
 その場にいた、息子が「おめでとう」とボソッとお祝いしてくれたが、その言葉を聞いた瞬間に、娘のことを思い出した。「あいつ、大事なお父様の誕生日を無視するつもりか・・」などと、何の連絡もない娘に恨み言を呟いたら、妻が「今は、学校で実験やらサークルの映画撮影やらで、とっても忙しいみたいだよ」と娘の近況報告をしてくれた。まあ、それなりに都合はあるだろうが、それにしてもあいつは。。などとぶつぶつ言いながら塾に戻って授業を続けた。
 すると、さすがわが娘、私の思いが通じたのか、11時少し前に携帯にメールを送ってきた。

  「遅れたけど」
 誕生日おめでとうございます。
 48歳、50代目前なんで健康に気を付けて毎日楽しく暮らしてってください

へへへ、やっぱり娘からのお祝いは格別だ。うれしいな。でも、50代目前てのはちょっと・・・
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もうちょっと

 10代の頃、21世紀になると自分は43歳になるのか、とよくぼんやり考えたものだ。その時はそんなずっと先のことが本当に現実になるのか、まったく想像もできなかった。しかし、実際に21世紀になり、さらに2006年の今日、私は48歳になった。その年齢がいったい何を意味するのか皆目見当もつかない。ただただ、時間を無駄に重ねてきたとしか思えない。365日×48の答えがいくつになるのか計算する気は起こらないし、ましてやその答に24をかけたところで、どうにもならないだろう。無駄に過ごした時間の塊がどれだけあるのか詮索してみたところでどうしようもない。
 しかし、無駄に過ごした時間ばかりではないだろう。少しは意義ある過ごし方をした時間もあることだろう。時は流れ去るものであり、過ぎてしまえば充実していようがいまいが関係ないものかもしれないが、それでも、くすぶったまま過ごした時間、ぶすぶすと燃えカスがくすぶっているような時間のほうがはるかに多いだろう。昔を振り返って反省するなどというのは好きではないが、不完全燃焼のまま私の心の中に残っているものを下手に覗いたりしたら、くすぶった煙で目をやられてしまいそうだ。今はまだそんなことをするときではない。縁側でお茶を飲みながら、呑気に昔を振り返るにはまだ早い。さほど長くはないかもしれないが、迎えなければならない時間がまだまだある。その時間をどうやって過ごしていくかが問題のはずだ。私は私として生きてきたし、これから先もそうやってしか生きていけない。己の枠を超えてみたい誘惑に少しは駆られるが、そんなことはおいそれとできはしないだろう。ならば、どうするべきか・・・


これは、10年ほど前に娘が私の誕生日ために作ってくれた「眼鏡入れ」だ。フェルト地を娘が自分で切って縫い上げたものだ。ボタンまでついていて持ち運んでも眼鏡が落ちないようになっている。娘が初めて(それ以来二度と手作りのものをもらったことがないから、ひょっとしたら最後の)針と糸を使って作ってくれた。あの時は本当に嬉しかった。嬉しくて、しばらくは必ず眼鏡を寝る前にこの袋の中に入れていた。いつの間にか横着をして、入れなくなってしまったが、今でも袋は私のベッドの枕元においてある。思い出したときには入れて寝る。そんなときはいい夢が見られるような気がする。
 
 私は子供が生まれて以来、己の下らぬ生に拘るよりも、この二人の子供を育てるための地の糧になろうと決めた。勿論それに徹することができずに、色々思い悩んだこともあるが、その懊悩が燃えきらずに心の中でくすぶり続ける残滓の中身なのかもしれない。しかし、そう決めた以上今さら後には引けない。もうちょっとだ。もうちょっとで父親としての役目は、ひとまず終了できる。それまではどうしようもない、どんな不満が残ろうとも覚悟を決めて、今までやってきたようにやっていくしかないだろう。
 その後はどうするか、それをゆっくりと考えながらもうしばらく頑張っていれば、それなりの充実感は味わえるかもしれない。
 グダグダ言っていないで、もっと一生懸命仕事しろってことだろうな、やっぱり・・・
 
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「山の郵便配達」

 

 先日NHK・BSで放映された「山の郵便配達」を録画しておいたものを見た。あらすじはこうだ。

 中国・湖南省西部の山間地帯。車も容易に通れないこの地域にて、徒歩で郵便配達の仕事を続けてきた初老の男(トン・ルゥジュン)が足を患い、息子(リィウ・イェ)が仕事を引き継ぐことに。しかし父は息子の初仕事に同行し、それを自分の最後の務めとしようとする…。

 話はこれだけのことだ。淡々と進んでいく。一緒に見始めた妻が、「だるい」と言って早送りし始めた。その気持ち分からないでもないから黙っていたが、それでも我慢しきれなくなった妻は30分ほどしたら、自分の部屋に行ってしまった。私は、引き続き一人で見ていたが、その辺りからちょっとずつ話が動き出した。山の中で一人暮らしをしている、目の見えない老婆に都会に住む孫から為替が送ってくると、書かれてもいない文面を読んでやる父と子、山中の部族の娘に心を奪われる息子の姿、冷たい川を父を背負って渡る息子ーーなど、見ている内についつい引き込まれていった。妻が一緒にいなかったのが幸いだったのかもしれない、父親でもあり息子でもある現在の私には、父と子の両方の気持ちが理解できて、思わず胸が熱くなった。見終って、妻に「いい映画だったぞ。まあ、女子供には理解できないかもしれないけどね」などと、嫌味を言ってやったが、父親と息子が初めて心が通じ合えた喜びは、男にしか分からないのではないだろうか。
 あとで、この映画のことを調べてみたら、

 中国第6世代のフォ・ジェンチイ監督による、素朴で奥深い人間ドラマ。今の日本映画界が忘れてしまった詩情に満ちあふれた傑作である。父から息子へと受け継がれていく、仕事の技術と誇りと信念。夕映えの中、息子が飛ばす紙ヒコーキが、これからの世代の旅立ちを見事に象徴してくれている。美しさと同時に、その厳しさまで醸し出す自然描写も素晴らしい。
中国のアカデミー賞ともいえる金鶏賞最優秀作品賞および最優秀主演男優賞を受賞。

だそうだが、そんなことは全く知らずに見たのがよかったのかもしれない。何も先入観なしに素直な気持ちでみるのが、一番いい映画の見方ではないだろうか。画面に映し出される中国山間部の自然の美しさには、心を洗われるようだった。どことなく、日本の風景に似たところも多く、自然にあふれたよき時代の日本の姿を髣髴とさせてくれたりもした。山間に暮らす素朴な人々の表情もよかった。
 そうした山間地域に暮らす人々に郵便を配達する人がいなくてはならない。2泊3日の過酷な行程も、郵便を受け取る人たちの喜びで報われるものだというのも実感できた。日本でも、これほどの辺境とまでは言わないまでも、人里はなれた場所に住む人たちはいる。そうした人々に郵便を配達するシステムは完備されているのだろうが、郵政民営化になった折には、今までどおりのことがきちんと行われるだろうか。
 そんなことがふと心配になってしまった。




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1958年生まれ

 金曜日の「笑っていいとも」のテレフォンショッキング(もう今はショッキングでもなんでもないけど)に、森昌子が23年ぶりに出演した。森進一と別れて、再デビューするためのプロモーションの一端なんだろうが、久しぶりに見た森昌子は、昔の面影があると言えばそうだし、年をとったなと言えば年相応の雰囲気は見せていた。彼女は1958年10月13日生まれだから、私の同学年になる。中三トリオなどと人気を博したのはもう、30年以上も前のことだ。それ以来色々な経験をつんできただろうから、年輪がにじみ出てきて当然だ。でも、昔よりもずっときれいになったと思う。タモリとの会話も妙な味わいがあって私は面白かった。
 森昌子からの紹介で月曜には、岩崎宏美が出演した。彼女も1958年11月12日の生まれで私と同学年である。私は久しぶりに彼女を見たのだが、なかなかきれいだった。彼女は30年以上歌手生活を続けているが、最近の彼女の歌声を私は聞いたことがない。新しいCDも出したと言っていたから、一度聞いてみたいなと思った。若い頃はさほど可愛くなかったと思うが、美しく年齢を重ねたというか、大人の女性として美しくなったなという印象を受けた。悲しいこと、辛いこともたくさんあっただろうが、とても魅力的な女性のように感じられた。
 私と同年の女性が連続で、出演したのも何かの縁かもしれないと、彼女たち以外の1958年生まれの主な歌手を載せてみる。

1958/01/05  八神 純子
1958/01/06  CHAGE
1958/01/30  石川 さゆり
1958/02/24  ASKA
1958/03/09  未唯 (みい)
1958/03/11  織田 哲郎
1958/04/14  桜田 淳子
1958/05/11  久保田 早紀
1958/06/07  プリンス
1958/07/30  ケイト=ブッシュ
1958/08/16  マドンナ
1958/08/29  マイケル=ジャクソン
1958/11/27  小室 哲哉
1958/12/05  原田 真二

なかなかそうそうたるメンバーだ。元号になおせば昭和33年の戌年生まれ(外国人には違和感があるが)だから、今年が年男と年女だ。野球界でいえば原辰徳巨人監督もそうだ。また、このブログでお世話になっているゴジ健さんと竜虎の母さんも1958年生まれだ。そう思えば多士済々だと言えるだろうが、よく考えると次に私たちが年男・年女になるときは、なんとまあ、還暦になってしまう。私の感覚でいえば、随分時間が過ぎるのが早くなっているので、ぼやぼやしてたら、あっという間にやってきてしまう。それはちょっと困るような気がする。なんとか、充実した時間を過ごしながら、やっと還暦か、などといえるようになりたい。
 あと12年もあるのかと思うか、もう12年しかないかと思うかで、これからの過ごし方が違ってくるだろうから、一度じっくり考えてみなければならない。
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花のかんばせ

  日曜日、することもなく、梅雨空の曇天をぼーっと眺めていたら、「花のかんばせ」という語句が頭に浮かんできた。どういう脈絡なのか全く分からなかったが、ふっと頭に浮かんだ。なんだろう、不思議だな、と思いながらも、「じゃあ、かんばせっていったい何だろう?」と疑問がわいた。「芳しい」の派生語なのだろうか、花の香りの芳しさを表現したものなのだろうか、などと語感から類推してみたが、しっくり来ない。なんとなく違う気がする。もうちょっと違う意味だったはずだが、と考えをめぐらせてみるが、どうしても思い出せない。こんなときは辞典に頼るにしくはない、と手元にあった小学館「国語大辞典」で調べてみた。
 
  かんばせ【顔】(「かおばせ」の変化)
 ①かおつき。かお。容貌。「花のかんばせ」
 ②体面。名誉。太平記「我何の顔(かんはせ)有てか亡朝の臣として不義の逆臣に順はんや」

とあった。なんだ、そうか、そうだったと納得はできた。「花のかんばせ」という慣用句的に覚えていたため、「花のように芳(かぐわ)しい美しい顔」という意味が拡大解釈され、「かんばせ」=「芳しさ」と私の頭の中で結びついてしまったようだ。
 じゃあ、何故「かんばせ」という言葉が「顔」を表すのか。現在ではほとんど死語となっているこの「かんばせ」という語は一体どういう語源を持っているのだろうか、という疑問がわいてきた。こういうときのためにと思って、少し前に、講談社「暮らしのことば 語源辞典」が買ってきてあった。さっそく調べてみたが、項目にない。「カンパ」の次が「頑張る」になっている。「かんばせ」はない。この辞典は買った当初からあまり役に立たないと思ってはいたが、はっと気になって引いた言葉がことごとく載っていない。先日も、「つれづれ」という言葉の語源を知りたくて調べたが、載っていなかった。結構分厚くて、それなりの価格がしたのだけれど、ちょっと損した気分がする。
 ならば、とネット検索してみたが、はかばかしい項目は出てこなかった。しかし、調べているうちに「花のかんばせ」という語句が白居易の「長恨歌」に出ているとの情報を得た。「長恨歌」というのは、「七言古詩120行。玄宗皇帝が楊貴妃への愛に溺れて政を怠り、安禄山の乱をひき起こし、貴妃を失った深い悲しみをうたった詩」である。その一節に、死した楊貴妃を求めていると、仙人の住む山に美しい仙女がたくさんいる中に、

  中に一人有り字は太真
  雪のは膚花の貌(かんばせ)参差として是れなり

  「中に一人、字は太真という仙女がいるが雪のような白い肌、花のように美しい顔かたちは、楊貴妃にどうやら似ているのである」
 
とある。死んだ女をそれほどまでに恋しく思う皇帝の気持ちは異常ではないかと思う反面、うらやましいと思った。私は若い頃、大江健三郎の書物の中で「黄金の女」という言葉を読み、それ以来忘れられない言葉となったが、「己の存在を補完し完全な存在へと導いてくれる女性」、私は勝手にそう解釈している。玄宗皇帝にとっては楊貴妃が「黄金の女」だったのかもしれない。それは、「傾城」と呼ばれる「その色香におぼれて、城や国を滅ぼすほどの美人」を指すのではない。己の存在を完結させるためには不可欠な存在、いわば「心の恋人」「永遠の恋人」とでも呼ぶべき存在のことだと思う。そんな女性と巡り合ってしまった皇帝の気の迷いは理解できなくもない・・・
 でも、皇帝のように一人の女性を狂おしいほどに愛せたら、男としては本望なんだろうな。



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