1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2410話目】 何度でも言いますが、信仰は特別な物じゃない。特別な物にしている者がいるだけ。

2022-09-04 14:38:31 | 法話
悪霊が取り憑いた、先祖が祟った、の信仰にどっぷり浸かっている若夫婦が、定期的に何故か、拙僧のお寺に。先日は、あと3日で生誕という赤ちゃんが、お腹の中で息絶えた。その若夫婦が「何かの祟りですかね」と拙僧に。「何故、そう思うの」「実は、母親が5年前、不慮の事故で。その母親の祟りではないかと」と。

【追伸】
その若夫婦に拙僧「君らがお世話になってる僧侶さんが、そう言ったんかい」「あっ、はい。そうです」「そりゃ、おかしくないかい。確か、5年前に君らに聞いた話では、お母さんが悪霊にならん様に、その僧侶さんが拝んでくれてる、と言ってなかったかい。それも高額の布施料を渡して」「はい」「その僧侶さんが『母親が祟ってる』って、そう言ったんかい」「はい」「ほう。で、今日は何の用事で来たんだい」「すいません。お腹の中で亡くなった赤ちゃんの葬儀を」「何故、その僧侶さんに頼まないんだい」「他でやってくれ、とその僧侶さんが」「••• ほう。で、遺骨は」「ここに」「じゃ、葬儀をしようかね」と。

この一件以来、やっとこの若夫婦も目が覚めたらしく、以来、その拝み屋さんの所へは。この度も「私達の様に洗脳されて苦しんでいる人達の為に、法話にして知らせて下さい」の要望で投稿を。この様な相談、1年に何組あるかな。檀家から「住職は、ドツボに嵌ったそんな人達を、助けてあげないの」と。「その内、珍し信仰に飽きて、普通の信仰が恋しくなってくるよ。第三者がなんぼ言って聞かせても、のぼせ上がっとる間は、聞く耳なんてないよ。自分の先祖を失礼にも祟りの対象として愚弄してきた事を、これは恥ずかしい事、と自分で気付かないと。恐らく、多分だけど、向こうで先祖さんが『私がいったい、何をしたというんだ。自分で仕出かしてきた事が、今、自分に返ってきているだけだろうが』と頭抱えてると思うよ。こんな人達は先祖に限らず、何でもが第三者に責任を転嫁してるんだろうね。責任転嫁すれば、その場だけは心が楽になるもんね。が、何の解決にも」と。