10年ほど前の話。知人英国人の息子は、国内トップレベルの大学に行ける実力がありながら「自分の夢を追い掛ける」と頑なに親の意見を聞かず、高卒後に家を出て1人暮らしを。が、3年経っても、昼まで寝て起きず、バイトもそこそこ、お金は親頼み。そんな生活を。「住職、何とかして」と英国から親子でお寺に。
【追伸】
英国は高校時代の学力で、行く大学が割り振られる。高卒後、何年経っても、そのレベルに近い大学に無試験(書類審査はあり)で入学が可能なシステム。この息子と拙僧、何時間も議論を交わした。時間を長く掛けた理由は、この息子の根底に潜む物を知りたかったから。すると、夢を追い掛ける以外に、親への反感が根強く、意地を張っている部分も。頭がいいだけに、理屈じゃ凝り固まった思考を変える事は無理、と判断した拙僧は『実弾を撃ち込んだれ』と「君は『大学は行く価値なし』と言うが、行ってもないのに否定をするのか。これから先も、経験もしてないのに、今現在持っている知識と主観だけで、相手を否定しながら人生を歩んでいくのか。君の言う通り、大学という所が本当に行く価値なしかどうか、自分の目と耳で確かめてこい。それから、評価しな。大学が必要ないものなら、何十年も何百年も継続はしていない。さあ、そこでだ。拙僧の提案だが、君は大学に行きたくない。が、親は行ってもらいたい。その中間をとって『1年だけ行く』ってのはどうだ。君の言う通り『やはり行く価値無し』と判断したら中退しても構わん。が、その1年は真剣に取り組め。何でもがそうだが、いい加減に取り組めば、その本質を見極める事など出来ん。懸命に取り組んで大学の価値を探ってから判断しな。年齢に関わらず、人の意見を聞ける者を大人、人の意見に耳を貸さない者を子供というんだ。なあ、これで手を打たんか。君の夢を捨てろ、と言っている訳ではない。何をやるにも、知識というは必要だからだ」と。ここで読者の方は薄々感じてると思うが、こんな込み入った話を英国人と住職が何故出来るんだ、と。この息子、母親が日本人で、日本語がバリバリ。話を戻して、この息子、この折衷案を受け入れ、大学に。その後、大学を3年勤め、1年間、大学院にも。(この3年、1年は英国の制度。但し、大学入学前に1年間、猶予期間として、ギャップイヤー制度が。大学では得られない経験を学生達に体験させる目的で設置。自分がしたい体験をするもよし、ボランティアするもよし。制度を活用する、しないは、個人の自由。日本ではこの制度、まだ数カ所の大学しか)。今現在、大学で知り合った学友と共に、彼の夢も現実化しつつある。10年前の話し合いの時、この息子の両親が「納得出来なければ、1年でやめていい、って、どういう事ですか」と拙僧に。対し「この世に『これ、正解』はない。今現在、自分が正解と思っている事も、知識、知恵、経験が増せば、その正解も次々に変わっていく。マンネリ生活の環境では、その変化が得られない。大学に行き、様々な人と接し、環境が変われば、考え方も自ずと。それに期待をしただけですよ」と。この話を投稿したは、つい最近も同じ様な相談が。この話を読まれた方々が、何かしらの参考になれば、と。
