読者高校生が「私は自称、歴女です。住職は戦国時代に軍師が行った戦略で『これは、凄い』と思ったものはありますか」と。「日本での話じゃないが、魏、呉、蜀の三国の力関係が均衡し、三国時代が始まるきっかけとなった戦の時、諸葛亮が考えた策かな」と。「それって、どんな戦略なの」と。対し「紀元208年、魏の曹操が大軍を率いて揚子江まで。揚子江の向こうには、蜀と呉の二国が。連合国とはいえ、呉の大将らは力量ある諸葛亮に嫉妬し、引き摺り下ろそうと『10日間で10万本の矢を準備しろ。出来なければ処刑する』と無茶振りを。対し『3日もあれば』と諸葛亮。2日間は戦略を立て、草船の準備を。残りの1日で10万本以上の矢を取得」「どうやったの」「20艘の草船に案山子を立て、揚子江を渡り敵陣近くで太鼓を乱打。慌てた魏の兵士が雨の様に矢を。その矢が案山子や草船に刺さり、いとも簡単に10万本の矢を。諸葛亮は前もって調査し、3日目に霧が出る事をも承知を。猪武者では戰(いくさ)に勝つ事は出来ん。この話を聞けば『何だ、そんな事か』と思えるが、この『そんな事か』が、結構思い付かないんだよね。現在世の中に存在している1を参考として、2や3に工夫する事は結構出来るが、何もない0から1を産み出すは、容易な事ではない。出る杭は打たれるし、出過ぎた杭は抜かれるは、世の常にて。実生活の中にあるものから、対策となり得るヒントを見つけ出すは、数多の知恵、知識、経験が必要かな」と。
更に、この女子高校生が「他に『この戦略は』と言われるものは、何かありますか」と。「軍師ではないが、徳川家康公が大坂城(大阪冬の陣、夏の陣)を攻める時、秀忠公に『城攻めの方策は、なんぼでもある』と、敵(豊臣側)兵の戦意喪失を狙って、夜中に、早朝に、空鉄砲を撃ちまくり、一睡もさせなかったというエピソードが。これが本当かどうかはわからんが、大河ドラマの『葵、徳川三代』が、この戦法を取り上げていたよね。戦わずして勝つ、の教訓かな。頭の使い様で、工夫出来る事は、なんぼでもありそうだね。拙僧の法話も多くは、拙僧の祖父母、檀家、知人ら、ご老人達の数多の経験をネタに」と。
【追伸】
猪武者といえば、義経と弁慶の話が脳裏に。彼らの師僧が、米からノリを作るを2人に競争させた。弁慶は力任せに杵を使って米を潰しに。義経の方は、ヘラを使って1粒、1粒、丁寧にすり潰す手法を。勝負は義経の圧勝。物の質を見極めていた義経の方に軍配が上がった。人生には「急がば回れ」は、数多に。
因みに、15年程前、息子が高校生の頃、拙僧がお札(紙)や封筒を、数枚づつ火に入れてお炊き上げしていると「何故、束のまま火に入れないの」と。「じゃ、束のまま、入れてみようか」と。お焚き上げが終わる頃、息子に「これ、見てごらん」と灰の中を探ってみると、殆ど束のまま焼けずの封筒がそこに。「えっ、あれだけ、火の勢いが凄かったのに」と驚く息子に拙僧「紙類は束のままでは、1枚、1枚がひっついていて、間に空気が入らず、焼け難いんだよ。棺桶の中に四国巡礼の朱印帳を入れて、故人に持たせる家族が時折いるが、焼け難いから朱印帳の紙と紙の間、何箇所かに何かを挟んで、焼けやすい様に工夫するんだよ」「へえ、知らなかった」「これは、紙は束だと焼け難いという話だが、この事からも何かしら、学べる事は数多にあるよ。様々日常生活の中から、自分で考えてみてごらん。死んだ爺ちゃん(わが寺の先代)は常々、父さん(拙僧)が幼い頃から『人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん』と言ってたよ。人間は、知っている事よりも、知らない事の方が圧倒的に多い。自分が知っている事だけが正解、という浅知恵の物言いだけは、絶対にやめにゃ。今1つは、父さんが大学を卒業し、坊主として爺ちゃんの横に付いてからは『見てわからん者は、言うてもわからん。が、言うてやらんと、尚わからん。言うてやる人間は嫌われる。が、誰かが嫌われ者にならにゃ。お前は生涯、嫌われ者の役目に徹せよ。それが、住職となるお前の仕事だ』と、お前さんの爺ちゃん(拙僧の父)に」と。
次回の投稿法話は、4月25日です。
