1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2427話目】 現代の人達が生活の為に行なっている事は全て、過去の人達がやってきた事の応用。当に、温故知新。

2022-10-22 22:40:43 | 法話
読者高校生が「私は自称、歴女です。住職は戦国時代に軍師が行った戦略で『これは、凄い』と思ったものはありますか」と。「日本での話じゃないが、魏、呉、蜀の三国の力関係が均衡し、三国時代が始まるきっかけとなった戦の時、諸葛亮が考えた策かな」と。「それって、どんな戦略なの」と。対し「紀元208年、魏の曹操が大軍を率いて揚子江まで。揚子江の向こうには、蜀と呉の二国が。連合国とはいえ、呉の大将らは力量ある諸葛亮に嫉妬し、引き摺り下ろそうと『10日間で10万本の矢を準備しろ。出来なければ処刑する』と無茶振りを。対し『3日もあれば』と諸葛亮。2日間は戦略を立て、草船の準備を。残りの1日で10万本以上の矢を取得」「どうやったの」「20艘の草船に案山子を立て、揚子江を渡り敵陣近くで太鼓を乱打。慌てた魏の兵士が雨の様に矢を。その矢が案山子や草船に刺さり、いとも簡単に10万本の矢を。諸葛亮は前もって調査し、3日目に霧が出る事をも承知を。猪武者では戰(いくさ)に勝つ事は出来ん。この話を聞けば『何だ、そんな事か』と思えるが、この『そんな事か』が、結構思い付かないんだよね。現在世の中に存在している1を参考として、2や3に工夫する事は結構出来るが、何もない0から1を産み出すは、容易な事ではない。出る杭は打たれるし、出過ぎた杭は抜かれるは、世の常にて。実生活の中にあるものから、対策となり得るヒントを見つけ出すは、数多の知恵、知識、経験が必要かな」と。

更に、この女子高校生が「他に『この戦略は』と言われるものは、何かありますか」と。「軍師ではないが、徳川家康公が大坂城(大阪冬の陣、夏の陣)を攻める時、秀忠公に『城攻めの方策は、なんぼでもある』と、敵(豊臣側)兵の戦意喪失を狙って、夜中に、早朝に、空鉄砲を撃ちまくり、一睡もさせなかったというエピソードが。これが本当かどうかはわからんが、大河ドラマの『葵、徳川三代』が、この戦法を取り上げていたよね。戦わずして勝つ、の教訓かな。頭の使い様で、工夫出来る事は、なんぼでもありそうだね。拙僧の法話も多くは、拙僧の祖父母、檀家、知人ら、ご老人達の数多の経験をネタに」と。

【追伸】
猪武者といえば、義経と弁慶の話が脳裏に。彼らの師僧が、米からノリを作るを2人に競争させた。弁慶は力任せに杵を使って米を潰しに。義経の方は、ヘラを使って1粒、1粒、丁寧にすり潰す手法を。勝負は義経の圧勝。物の質を見極めていた義経の方に軍配が上がった。人生には「急がば回れ」は、数多に。

因みに、15年程前、息子が高校生の頃、拙僧がお札(紙)や封筒を、数枚づつ火に入れてお炊き上げしていると「何故、束のまま火に入れないの」と。「じゃ、束のまま、入れてみようか」と。お焚き上げが終わる頃、息子に「これ、見てごらん」と灰の中を探ってみると、殆ど束のまま焼けずの封筒がそこに。「えっ、あれだけ、火の勢いが凄かったのに」と驚く息子に拙僧「紙類は束のままでは、1枚、1枚がひっついていて、間に空気が入らず、焼け難いんだよ。棺桶の中に四国巡礼の朱印帳を入れて、故人に持たせる家族が時折いるが、焼け難いから朱印帳の紙と紙の間、何箇所かに何かを挟んで、焼けやすい様に工夫するんだよ」「へえ、知らなかった」「これは、紙は束だと焼け難いという話だが、この事からも何かしら、学べる事は数多にあるよ。様々日常生活の中から、自分で考えてみてごらん。死んだ爺ちゃん(わが寺の先代)は常々、父さん(拙僧)が幼い頃から『人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん』と言ってたよ。人間は、知っている事よりも、知らない事の方が圧倒的に多い。自分が知っている事だけが正解、という浅知恵の物言いだけは、絶対にやめにゃ。今1つは、父さんが大学を卒業し、坊主として爺ちゃんの横に付いてからは『見てわからん者は、言うてもわからん。が、言うてやらんと、尚わからん。言うてやる人間は嫌われる。が、誰かが嫌われ者にならにゃ。お前は生涯、嫌われ者の役目に徹せよ。それが、住職となるお前の仕事だ』と、お前さんの爺ちゃん(拙僧の父)に」と。

次回の投稿法話は、4月25日です。



【住職の法話。考え方を少し帰るだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】今日は12月25日、メリークリスマス。キリストさんの誕生を祝う日。昨今は、夢のない世界になりつつある中、夢を子供に与える貴重な催し。

2022-10-22 16:27:20 | 法話
世の中はどの分野でも、大なり小なり、需要(買い手)と供給(売り手)の関係。信仰ではこの関係が時折、困った問題を引き起こす事に。お金での解決は無理なのに、お金さえ出せば何とかなりゃせんか、と。それこそ眉唾信仰者の格好の餌食に。お金で何でも希望が叶うなら、お金持ちに不幸者はいない事に。努力しないで、実りなど、あろうはずが。

読者が「こんな質問をして申し訳ありませんが、住職(拙僧)の家庭では、クリスマスはどうされていますか」と。「子供達が小さい頃は、檀家さん達が『お子さん達に』とケーキを持って来て下さっていたので、パーティーをやっていましたよ」「えっ、お寺が、ですか」「父(先代)も拙僧も、子供の夢(楽しみ)まで奪う様な、凝り固まった信仰観は持ち合わせていないので。それに、キリストさんの誕生日は、本来は6月頃なんでしょ。エルサレムから南へ10キロ程のベツレヘムという場所で、お生まれになられたとか。エルサレムの12月は、零下数十度との事。そんな環境の中、外(馬小屋)で出産など到底無理。12月25日を生誕日としたは、西暦350年、ローマ皇帝ユリウス1世が、国民をキリスト教へ改心させる狙いで、大々的に行われていた伝統農耕神祭に、生誕日を重ねさせた事が由来とか言われていますよね。よって、12月25日は、生誕日ではなく、生誕を祝う日と。なれば、イベントとして受け入れれば、信仰がどうの、こうのと、こだわる必要はないんじゃないかな、と。個人的な意見ですよ」と。