読者が「毎日投稿される法話を読み始めて3ヶ月ですが、住職はお寺に勤めて何年程になりますか」と。「約40年」「今と昔で大きく変わった点は何ですか」「やはり1番は、看護協会から講演に何度か呼ばれた時、方々の大病院の看護師さん達が、病院で他界の親の遺体を引取拒否する子供がいる、と聞いた事かな」と。
【追伸】
この読者が「えっ、それって本当なの」と。「病院側が親の遺体を受けに来ない子供に電話をすると『要らん』と。人がそう動くには、必ず、そう動くだけの理由がある。捨てられる様な事をした親なのかも。だが、子供が引き取らねば、病院、福祉が後の始末を。家庭問題、親子喧嘩に第三者は何の関係もない。他者に迷惑(費用、手間)を掛けて平気でいる子供の人間性が問われる。他にも、病院から直接火葬場に向かい、遺骨をそこに捨ててくる子供。遺骨は一応持って帰るが、住所、氏名が記されてある埋葬許可証を抜いて、電車の中や、家庭ごみ収集場所に置き捨てる子供。それも少ない数ではない。ある自治体では2017年度、身元が判明の捨て遺骨51柱の内、引き取りに来たは1柱だけと。ここまでとは言わずとも、これに近い事例は、拙僧の耳にも。わが寺の檀家さんには、絶対にそんな事はさせない。納骨堂契約時には『納骨堂は遺骨を捨てる場所じゃない。姥捨山状態にしたら、遺骨は突き返す』と。捨てるつもりで契約に来た人は、そそくさと引き返していく。子供や孫がそんな親の行動を見て、命の尊さを勉強出来るはずがない。ある中学生が『人間死んだら、ゴミ処理と一緒か』と放った言葉には衝撃を覚えた。何か、悲しいね。だけど、拙僧の今回のこの話は、こうした問題のほんの一部に過ぎん。お寺側(住職)の責任問題も問われとる。人間関係が希薄になってきたも、こうした事も要因の1つなのかな。また、機会があれば、おいおいこの話を」と、この読者に。因みに、こんな話を投稿すると、烈火の如く反論してくる人が。人は他者に言われて腹が立つ時は、自分に身に覚えがある事が多い。身に覚えがなかったら、冷静に聞き流せますもんね。
