1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 日本と数ヵ国以外は、もう既に、ノーマスク社会に。個人の判断に委ね始めた。日本は何十波まで騒ぐつもりかな。

2022-10-25 15:26:32 | 法話
外国出張が多い檀家男性が「米、英など諸外国では殆どマスクは。エリザベス女王国葬では、誰1人もマスクを。天皇皇后両陛下もノーマスク。あの状況を見て、日本人はどう感じたんだろ。出張先取引相手が『日本はまだ、コロナを克服してないのか。国民は皆、マスクをしている様だが』と私に。どう思うよ、住職」と。

【追伸】
この男性が「外国の人達を相手にしていると、日本人の柔軟性のなさをほとほと感じる。真面目と言えば、それまでだが。島国という閉鎖的な空間の中で生きているせいかな。1度頭にねじ込まれたら、そこから抜け出す事がなかなか。75年前に米国から押し付けられた憲法を未だ大事に」「そういえば以前、テレビ番組で、憲法押し付け役を務めたという老齢の米国人が『君らはまだ、あれを使っているのか』と驚いてたよね」「私もその番組は覚えてます。あの言葉には衝撃を受けました。返す返すも、安倍元総理の他界は、日本にとっては、マイナスでしかありませんね」「御意です。野田佳彦元総理の安倍元総理への言葉も、経験された人にしかわからない思いでしたね。さあ、これから先の政治は、これまで以上に大事。世界で最も危険な地域に位置する日本にて。些細な決断の遅さもが、致命的損傷になりかねない」と。

余談ですが、コロナワクチンを徹底拒否する知人若者が「接種したら数年後に死ぬってよ、住職」と。「誰がそんな事を」「みんな、言ってるよ」「ほう。コロナワクチンは、数ヶ月で効力が消えるから、何度も接種を。数ヶ月で効力が消えるのに、数年後に死ぬんかい」「いや、何かあるんだよ。恐らく」「まあ、打つ、打たんは、個人の自由だからね。が、君の言う通り接種で死ぬんなら、心配せんでもよか。みんな死ぬ。自分だけ生き残っても、寂しいだけだよ」「私1人になっても、生き残りたいんだ」と。





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2428話目】 三猿(見、言、聞)は、見てはならん、見なきゃならん。言ってはならん、言わねばならん。聞かにゃならん、聞いてはならん。

2022-10-24 12:39:14 | 法話

【7月30日投稿分 


読者男性が「住職さん、ある日突然、妻がブチ切れて『別居する』と私に言い出して、訳を聞くと『自分で考えろ。自覚がないんか。何度も注意したぞ』と、更に、激怒を」と。「じゃ、ある日突然の話じゃなかったんだ。あなた、本当に身に覚えがないの」「いや、ないという訳では。私の潔癖のせいではないか、とは思うんですが」「結婚生活は何年ですか」「15年を超えました。私の潔癖症は、結婚前から妻は、知ってるはずなんですが。だから、何で今更、と」「なるほど。やっぱり、あなたは自覚がないんだね」と。


対し、この読者男性が「自覚がないって、どういう事ですか」と。「15年前の頃の潔癖症より、今現在のあなたの潔癖症の方が、間違いなくエスカレートしてると思いますよ。今、あなたが身に付いている潔癖は、今現在持っている知識からなる潔癖症でしょ。潔癖の情報が新しく入ってくる度に、どんどんエスカレートしていくばかりですよ。奥さんは恐らく、我慢が限度を越えたんだろうね」「どうしたら、いいですか」「これ以上、潔癖の知識を入れない事だね。例えば、ですが『ゴキブリは、洗わない手と不潔さは大差はない』と、その筋の専門家が言われておりました。そう考えたら、ゴキブリを過度に嫌う必要なんてないですよね。人間はゴキブリと同等の不潔な手と、四六時中一緒に過ごしてるんだから。生理的にあの様相が気持ち悪い、というは別にして。英国では、ゴキブリは『幸運の虫』という事で、引っ越しの時には、前の家から数匹連れて、新たな住まいに行くらしいですよ」「そうなんですか」「そりゃ、皆が皆、そうするとは思えませんが、英国人と結婚して25年間、ロンドンで住んでいる妻の妹が『英国人は日本人みたいには、過度にゴキブリを嫌ってないよ』と言ってますよね。潔癖症はどこかで、拘り過ぎを抑える必要がありますよね」と、この過度の潔癖症読者男性に。


続けて、この読者男性に「この話は余談ですが、江戸時代、臨済宗の良寛さんの庵に、旅人が一夜の宿を求めに来られたと。対し、良寛さんが『これで足を洗いなされ』と桶を。次の朝『これで顔を洗いなされ』と良寛さん、昨夜の足洗い桶を。『えっ』と旅人が躊躇すると『早く顔を洗ってくれんかい。その桶で米を洗わにゃならんでな』と。この話を檀家さんに話して聞かせると『そりゃ、あかんやろ、良寛さん。汚いがな』と。対し、拙僧『その桶が、何に使われていた桶かを知らなければ、平気で使う事が出来るでしょ。良寛さんもその桶で洗った米を食べる訳だから、綺麗に洗って使ってるでしょ』『なるほど、そういう事か。良寛さんは、拘るな、と言いたかったんだね、住職』と檀家さんが。一時期、食堂の厨房の料理人が、料理に自分の唾を吐き掛けて、お客さんに出していたという報道があったでしょ。そんな事をされていても、それを知らなかったら、お客さん達は『美味しい』と平気で食事をするでしょ。いちいち『そんな事をしてるんじゃないか』と憶測で疑っていたら、外食など一切出来ないですわな。この外食に限らず、人間って、知らないで済む事なら、知らないでいた方がいい、という事が少なからずありますよね」と。


因みに、昆虫学者の梅谷献二さんが「ゴキブリは世界に5千種、日本にいるは60種、屋内にいるは10種。3億年以上前に出現し、姿を変えずに現代まで。食器を舐める習性に由来して江戸時代には『御器噛り(ごきかぶり)』の名が。野口雨情の童謡『黄金虫(黄金虫は金持ちだ • • • 』の黄金虫は、ゴキブリの事と。沢山住み着くと裕福になるという伝説が。拙僧のお寺は山の上にあるので、ゴキブリやムカデは、なんぼでも家の中に。拙僧に見つかった時は、その子らはまだ、寿命が。が、拙僧の妻や、同居している妻の母親に見つかった時は、その子ら(ゴキブリ、ムカデ)は、それまでの寿命にて。


余談ですが、拙僧が高校生の頃、通学路の途中に、それは、それは、汚い店だが、美味しいちゃんぽん屋(現在は閉店)さんが。友人達と食べていた時、拙僧のちゃんぽんの中に小さなゴキブリが1匹、死体で。箸で摘んで捨てて、その箸を手拭きで拭いて食べようとすると「げぇ」と友人達が。対し、拙僧「何が、げぇ、や。出汁(スープ)は同じやで。お前らも既に、散々そのスープを飲んでるやんけ。今更遅いわ」と。店長の親父さんを見ると、我関せずの顔で、仕事を。この話を以前、法話で載せたら、皆さん、引かれたみたいで。


次回の投稿法話は、8月5日になります。







【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 小室圭さんのNYの司法試験合格への文句の後、今度は、天皇陛下沖縄訪問への文句か。どこ押しゃ、それだけ文句が。窮屈な国だね。

2022-10-23 19:05:06 | 法話
拙僧法話の読者若者が「小室圭さんに対し、SNS やら、何やらで、合格したらしたで文句が。落ちたら落ちたで文句が。いったい、どうせい、っちゅうじゃろうね。動けば動いたで文句、動かにゃ動かにゃで文句。懸命に生きている人なら、他人の事など気にならないはず。日本人は今、暇を持て余してる人が多いのかな」と。

【追伸】
この若者が「それに今度は、沖縄に行かれた天皇陛下に文句を。どうなってしまったんだろ、この国の民は。中国共産党機関紙の人民日報が『琉球王国は独立国家で中国の属国だった。琉球の帰属は歴史的に未解決』と、日本の強奪を批判する論文の掲載を。何か、きな臭い匂いがしますね。私達の子供は将来、どんな環境で生きていく事になるんだろ」と。「この国は平和過ぎて、至れり尽くせりが当たり前に。この至れり尽くせりが身に付いてしまったから、口から出てくるは文句ばかり。当たり前が、当たり前になれば、感謝の心は失くなる。何か打ち込める物を探せば、様々意識が変わると思うんだけどね」「私ね、住職の法話で最も意識改革させられた話は、道路拡張の為、多額の立退料を貰った父親が、そのお金を持って失踪。置き去りにされた母親と3人の子供(11歳、8歳、5歳)は住む家がなく、田畑の道具入れの中で雨露を。不憫に思った母親が3人を孤児院に。母親はその後、道具入れの中で腐死(酷い糖尿病)。長女は16歳で社会に。住職が『高校は』と問うと『国の補助金があるとはいえ、弟と妹を上の学校に行かせるには、お金が掛かります。偉そうに聞こえるかもしれませんが、社会(大人の世界)に出て感じた事は、文句を言える人は、まだ、幸せなんだな、と。私は世間に文句を言ってる暇などありません。弟と妹を必死に養っていかなければなりませんから』と。この話は、私に衝撃を与えました。今、日本人に最も欠けている心ではないかと思います。それと、昨今、他者に文句ばかり言ってるが、叩かれて埃の出ない人間なんて、誰1人もいないと思うんだが」と。何か、色んな意味で、日本が危ういかな。(この法話の登場人物は、読者の参考になれば、と、ご本人が投稿を希望)





【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に。2427話目】 現代の人達が生活の為に行なっている事は全て、過去の人達がやってきた事の応用。当に、温故知新。

2022-10-22 22:40:43 | 法話
読者高校生が「私は自称、歴女です。住職は戦国時代に軍師が行った戦略で『これは、凄い』と思ったものはありますか」と。「日本での話じゃないが、魏、呉、蜀の三国の力関係が均衡し、三国時代が始まるきっかけとなった戦の時、諸葛亮が考えた策かな」と。「それって、どんな戦略なの」と。対し「紀元208年、魏の曹操が大軍を率いて揚子江まで。揚子江の向こうには、蜀と呉の二国が。連合国とはいえ、呉の大将らは力量ある諸葛亮に嫉妬し、引き摺り下ろそうと『10日間で10万本の矢を準備しろ。出来なければ処刑する』と無茶振りを。対し『3日もあれば』と諸葛亮。2日間は戦略を立て、草船の準備を。残りの1日で10万本以上の矢を取得」「どうやったの」「20艘の草船に案山子を立て、揚子江を渡り敵陣近くで太鼓を乱打。慌てた魏の兵士が雨の様に矢を。その矢が案山子や草船に刺さり、いとも簡単に10万本の矢を。諸葛亮は前もって調査し、3日目に霧が出る事をも承知を。猪武者では戰(いくさ)に勝つ事は出来ん。この話を聞けば『何だ、そんな事か』と思えるが、この『そんな事か』が、結構思い付かないんだよね。現在世の中に存在している1を参考として、2や3に工夫する事は結構出来るが、何もない0から1を産み出すは、容易な事ではない。出る杭は打たれるし、出過ぎた杭は抜かれるは、世の常にて。実生活の中にあるものから、対策となり得るヒントを見つけ出すは、数多の知恵、知識、経験が必要かな」と。

更に、この女子高校生が「他に『この戦略は』と言われるものは、何かありますか」と。「軍師ではないが、徳川家康公が大坂城(大阪冬の陣、夏の陣)を攻める時、秀忠公に『城攻めの方策は、なんぼでもある』と、敵(豊臣側)兵の戦意喪失を狙って、夜中に、早朝に、空鉄砲を撃ちまくり、一睡もさせなかったというエピソードが。これが本当かどうかはわからんが、大河ドラマの『葵、徳川三代』が、この戦法を取り上げていたよね。戦わずして勝つ、の教訓かな。頭の使い様で、工夫出来る事は、なんぼでもありそうだね。拙僧の法話も多くは、拙僧の祖父母、檀家、知人ら、ご老人達の数多の経験をネタに」と。

【追伸】
猪武者といえば、義経と弁慶の話が脳裏に。彼らの師僧が、米からノリを作るを2人に競争させた。弁慶は力任せに杵を使って米を潰しに。義経の方は、ヘラを使って1粒、1粒、丁寧にすり潰す手法を。勝負は義経の圧勝。物の質を見極めていた義経の方に軍配が上がった。人生には「急がば回れ」は、数多に。

因みに、15年程前、息子が高校生の頃、拙僧がお札(紙)や封筒を、数枚づつ火に入れてお炊き上げしていると「何故、束のまま火に入れないの」と。「じゃ、束のまま、入れてみようか」と。お焚き上げが終わる頃、息子に「これ、見てごらん」と灰の中を探ってみると、殆ど束のまま焼けずの封筒がそこに。「えっ、あれだけ、火の勢いが凄かったのに」と驚く息子に拙僧「紙類は束のままでは、1枚、1枚がひっついていて、間に空気が入らず、焼け難いんだよ。棺桶の中に四国巡礼の朱印帳を入れて、故人に持たせる家族が時折いるが、焼け難いから朱印帳の紙と紙の間、何箇所かに何かを挟んで、焼けやすい様に工夫するんだよ」「へえ、知らなかった」「これは、紙は束だと焼け難いという話だが、この事からも何かしら、学べる事は数多にあるよ。様々日常生活の中から、自分で考えてみてごらん。死んだ爺ちゃん(わが寺の先代)は常々、父さん(拙僧)が幼い頃から『人は教えられても身に付かん。人は気付かにゃ身に付かん』と言ってたよ。人間は、知っている事よりも、知らない事の方が圧倒的に多い。自分が知っている事だけが正解、という浅知恵の物言いだけは、絶対にやめにゃ。今1つは、父さんが大学を卒業し、坊主として爺ちゃんの横に付いてからは『見てわからん者は、言うてもわからん。が、言うてやらんと、尚わからん。言うてやる人間は嫌われる。が、誰かが嫌われ者にならにゃ。お前は生涯、嫌われ者の役目に徹せよ。それが、住職となるお前の仕事だ』と、お前さんの爺ちゃん(拙僧の父)に」と。

次回の投稿法話は、4月25日です。



【住職の法話。考え方を少し帰るだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】今日は12月25日、メリークリスマス。キリストさんの誕生を祝う日。昨今は、夢のない世界になりつつある中、夢を子供に与える貴重な催し。

2022-10-22 16:27:20 | 法話
世の中はどの分野でも、大なり小なり、需要(買い手)と供給(売り手)の関係。信仰ではこの関係が時折、困った問題を引き起こす事に。お金での解決は無理なのに、お金さえ出せば何とかなりゃせんか、と。それこそ眉唾信仰者の格好の餌食に。お金で何でも希望が叶うなら、お金持ちに不幸者はいない事に。努力しないで、実りなど、あろうはずが。

読者が「こんな質問をして申し訳ありませんが、住職(拙僧)の家庭では、クリスマスはどうされていますか」と。「子供達が小さい頃は、檀家さん達が『お子さん達に』とケーキを持って来て下さっていたので、パーティーをやっていましたよ」「えっ、お寺が、ですか」「父(先代)も拙僧も、子供の夢(楽しみ)まで奪う様な、凝り固まった信仰観は持ち合わせていないので。それに、キリストさんの誕生日は、本来は6月頃なんでしょ。エルサレムから南へ10キロ程のベツレヘムという場所で、お生まれになられたとか。エルサレムの12月は、零下数十度との事。そんな環境の中、外(馬小屋)で出産など到底無理。12月25日を生誕日としたは、西暦350年、ローマ皇帝ユリウス1世が、国民をキリスト教へ改心させる狙いで、大々的に行われていた伝統農耕神祭に、生誕日を重ねさせた事が由来とか言われていますよね。よって、12月25日は、生誕日ではなく、生誕を祝う日と。なれば、イベントとして受け入れれば、信仰がどうの、こうのと、こだわる必要はないんじゃないかな、と。個人的な意見ですよ」と。