太平洋戦争の開戦は昭和16年12月8日ですから、半世紀もはるか
昔となり、わたしが小学校1年生でした。今の人たちにとっては、私たちが、
日清、日露戦争のことを思うぐらいです。
開戦以来、国民学校と名も変わり初等科1年と呼ばれました。子供でし
たから、 戦争については後からの知識で当時は詳しくは分かりませんでした。
それでも「新高山のぼれ1208」(開戦は12月8日とする)と言う意味、の
暗号や 「トラ、トラ、トラ」(われ奇襲に成功せり)の暗号は、言葉として知って
いました。
ハワイ沖に於いて、山本五十六日本連合艦隊指令長官率いる空母が、
アメリカのアリゾナ号等の軍艦を沈没させたとのニュースでした。
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そのとき犠牲となった軍人は9軍神として崇められました。確か三重県から
稲垣上等兵?と言う方が居られました。
戦時中は非常時体制で「欲しがりません勝つまでは」を合言葉に、物資はなく
食料も充分でなく、好き嫌いなど言ってられませんでした。銃後を守る国民と
して、学校でも竹やりの練習や閲兵(行進)などもしました。
戦局が険しくなり各地で爆弾、焼夷弾が投下される頃は、防空壕へ逃げる
ことに必死でした。特にB29戦闘機が襲来と言うだけで震えました。
開戦以来20年8月15日の終戦(敗戦)に至るまで、日本国中、アジアの
地域(中国、朝鮮、インド、ビルマ、フィリピン、タイ、シンガポール等)に多
くの犠牲をもたらし死者2000万人に至るそうです。広島、長崎への原爆投下
は忘れてはならない事実です。
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日本で「ノーモア・広島」が言われるように、ハワイでも「リメンバー・パール
ハーバー」(真珠湾を忘れるな)と掲げられ、日本からの観光客に「見よ。あれが
アリゾナ号(日本艦隊が沈めた)だ。」と見せ付けています。
いかなる戦争もどちらも傷つき犠牲者が出るわけです。「世界の平和」は
人類の究極の願いです。
映画「硫黄島からの手紙」 9日から上映とのこと観にいく予定です。