今日は12月には珍しく暖かい日で実家の甥が来て、墓参りやら掃除など多忙
な1日を過ごしました。
映画「硫黄島からの手紙」は今や話題の映画として、アメリカでも、映画評論家
による最優秀作品に選ばれたそうです。
昨夜、民放で映画とは別にテレビ化された「硫黄島ー戦場の郵便配達ー」
を見ました。映画は栗林総指揮官を中心に兵士たちが描かれていますが、
テレビでは、市丸海軍司令官とその部下たちを描き、本土と島との家族へ
の手紙を通して、時にはドキュメントで遺族や奇しくも生き残った隊員の話も
交えたドラマでした。
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水も食料さえない硫黄島で本土から緊急物資と家族からの手紙が救い
だったと・・・・・、数多くのアメリカ兵の上陸、B29の襲来、次々と爆撃にや
られ、命を落としたり、中にはまだ幼い少年兵が手榴弾でいのちを断つなど、
戦場のすさまじさは目を覆いたくなるほどでした。涙なくして見られませんでした。
少年兵たちは、軍歌の後ではいつも「故郷の空」の歌を歌っていたそうです。
硫黄島は本土への最後の砦だったそうです。昭和19年2月に硫黄島へ配備
された時から先が見えていたとのこと、サイパンが墜ち、硫黄島、そして首都
東京へとアメリカの作戦でした。それでも戦わずにいられなかったのが当時の
軍隊だったのでしょう。
壕内には幾多の遺骨が眠り、遺骨収集に訪れた遺族は骨を踏んで降り立った
そうです。
21000人の犠牲者のうち遺体収容は8000人ほど、13000人あまりは
未だに硫黄島のどこかに眠っています。
市丸少将がアメリカのルーズベルトに当てた手紙は今もアメリカで保存されて
いました。(終戦後世界平和を願う書簡でした)