詩編102編には、偉大な創造者エホバ神は「地の基をすえ」、天、つまりここでは天の星も神エホバの「み手の業」であることが記されていました。加えて神エホバの僕たちの子らは住みつづけ、神エホバのみ前に堅く立てられる保証の言葉が記されていました。今日から紹介する詩編103編から詩編106編は再びダビデが神エホバの霊感を受けて記したものです。今日の詩編103編1節~11節の中には、「エホバは憐れみと慈しみに富み、怒ることに遅く、愛ある親切に満ちている」ことが記されています(詩編103:8)。この聖句を読むと、神エホバがモーセに対してご自身について宣明された次のことばをお思い起こされる方も多いと思います。「エホバ、エホバ、憐れみと慈しみに富み、怒ることに遅く、愛ある親切と真実とに満ちる神」(出エジプト記34:6)。神エホバはダビデを通しても、ご自身は変わらぬ同じ神であることを明らかにしておられます。このような神エホバに近づく方々は幸いです(ヤコブ4:8)。
詩編103編1節~11節には、次のようにしるされています。あなたはみ言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
ダビデによる。
「わたしの魂(命または体全体)よ、
エホバをほめたたえよ。
わたしの内にあるすべてのものよ、
その聖なるみ名をほめたたえよ。
2 わたしの魂よ、エホバをほめたたえよ。
そのすべての行いを忘れてはならない。
3 神(エホバ)はあなたのすべてのとがを許し、
あなたのすべての疾患をいやし、
4 坑の中からあなたの命を取り戻し、
あなたに愛ある親切と憐れみを冠として添え、
5 あなたの生涯を良いもので満たしておられる。
あなたの若さは鷲のように絶えず
新たにされる。
6 エホバは、だまし取られている者
すべてのために、
義と司法上の定めを執行しておられる。
7 神(エホバ)はその道をモーセに知らせ、
その行動をイスラエルの子らに知らせた。
8 エホバは憐れみと慈しみに富み、
怒ることに遅く、愛ある親切に
満ちておられる。
9 神(エホバ)はいつまでも過ちを捜しつづけることも、
定めのない時に至るまで
憤慨しつづけることもない。
10 神はわたしたちの罪に応じてわたしたちを
扱うことをされなかった。
わたしたちのとがに応じて、当然受けるべき
ものをわたしたちに
もたらすこともされなかった。
11 天が地より高いように、
その愛ある親切はご自分を恐れる者たちに
対して優れたものだからである」(詩編103:1~11)。
上の聖句に記されている通り、ダビデは神エホバの「聖なるみ名をほめたたえよ」と命じています(詩編103:1)。なぜ神エホバをほめたたえ、その聖なるみ名をほめたたえるべきか、の理由が記されています。それは、①すべてのとがを許し、疾患をいやす方だからです。後に遣わされたイエスはすべてその証拠を見せて下さいました(マタイ4:23)。②後に、神エホバはみ子イエスを三日後に復活させ、愛ある親切と憐れみを冠として添えられました(詩編103:4)。③神エホバの僕たちは霊的に良いもので満たしてくださるからです(詩編103:5)。後にイエスは「忠実で思慮深い奴隷」を任命し、真のクリスチャンに霊的必要物を絶えず供給してくださるようにされました(マタイ24:45~47)。④弱い立場の者のために義と司法上の定めを執行し、助けてくださる(詩編103:6)。⑤モーセを通して守るべき律法を与えてくださった(詩編103:7)。⑥神エホバは憐れみと慈しみに富み、怒ることに遅く、愛ある親切に満ちている(詩編103:8)。⑦不完全な人間の罪に応じた扱いをされたり、いつまでも憤慨しつづけない方であり、神エホバの愛ある親切は「天が地よりも高いように」、「優れたものだから」です(詩編103:9~11)。このような神エホバの聖なるみ名に栄光と賛美を帰される方々は幸いです(啓示4:11)。
訪れし 家の紅梅 見上げ見る 今日の一句
ご近所の畑の「椿」