詩編107編1節~11節には、神エホバの「愛ある親切に対し、人の子らに対するくすしいみ業に対して、人々がエホバに感謝するように」と記されていました。このように詩編作者が記しているのは、バビロンに捕囚されたユダヤ人が、神エホバによって解放され、「居住の都市」、つまりエルサレムに戻ることができるように、正しい道を歩ませてくださった背景があります(詩編107:7)。神エホバは、ご自分の民を忘れることなく、ご自分の契約を果たし、愛ある親切を示されました。今日紹介する詩編107編12節~22節には、神エホバの愛ある親切とくすしいみ業に人々が感謝すべき理由に、バビロンの難攻不落の二枚の銅の扉の鉄のかんぬきをエホバ神が切り落とし、バビロンを倒し、民を救出したことを挙げています。また、愚かな者たちは神エホバへの違反の道、とがのために、ついには自分の身に苦悩を生じさせたことも記されています。このことは、自分のまいているものは必ず刈り取る絶対の法則も記されています(ガラテア7:7,8)。み言葉を決して軽んじてはならないのです。
詩編107編12節~22節には、下記のように記されています。皆様方はみ言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
「12 それゆえ、神(エホバ)は難儀をもって
彼らの心を従えるようになり、
彼ら(エホバの言葉に背くものたち)はつまずき、
これを助ける者はだれもいなかった。
13 それで、彼らは苦難の中からエホバに
助けを呼び求めるようになり、
神(エホバ)はいつものように、彼らに対する
圧迫から彼らを救ってくださった。
14 神は闇と深い陰から彼らを連れ出し、
その縛り縄おも引きちぎってゆかれた。
15 ああ、その愛ある親切に対して、
人の子らへのそのくすしいみ業に対して、
人々がエホバに感謝するように。
16 神(エホバ)は胴の扉を砕き、
鉄のかんうきおも切り落とされたからだ。
17 愚かな者たちはその違反の道のために、
そのとがのために、ついには自分の身に
苦悩を生じさせた。
18 彼らの魂(体)はあらゆる食物を忌むようになり、
彼らは死の門に行き着くところであった。
19 それで、彼らは苦難の中からエホバに
助けを呼び求めるようになり、
神(エホバ)はいつものように、彼らに対する
圧迫から彼らを救ってくださった。
20 次いで、み言葉を送って彼らをいやし、
その坑から彼らを逃れさせてくださった。
21 ああ、その愛ある親切に対して、
人の子らへのそのくすしいみ業に対して、
人々がエホバに感謝するように。
22 また、感謝の犠牲をささげ、
歓呼の声を上げてそのみ業を
告げ知らせるように」(詩編107:12~22)。
上の聖句に記されている通り、神エホバの「愛ある親切に対して、人の子らへのそのくすしいみ業に対して、人々がエホバに感謝するように」という言葉は、昨日の詩編107編8節にも記され、詩編107編の15,21節に繰り返し記されています。このように、神エホバの愛ある親切とくすしい救いのみ業に思いを留め、感謝を表わすように促しています。それだけではなく、歓呼の声を上げてエホバの救いの業を告げ知らせるように勧めています。感謝には行動が伴わなければならないことを教えています。
上の聖句には、神エホバが「胴の扉を砕き、鉄のかんぬきおも切り落とされたからだ」と、難攻不落のバビロンの城壁の扉が砕かれたことが記されています(詩編107:16)。この事が生じるはるか200年前の西暦前8世紀に、神エホバがイザヤを通し、キュロスを用い城壁の「二枚扉を開いて、門が閉じられないようにする」ことと、「胴の扉を粉々に砕き、鉄のかんぬきを切り落とす」と予告されていました(イザヤ45:1,2)。この事はエホバ神が予告された通り、バビロンに捕囚されている民を救うう時に、神エホバがイザヤを通して予告された通りのことが生じ、一夜のうちにバビロンは西暦前539年10月5日の夜から6日かけて滅びに至りました(ダニエル5章)。聖書は預言の書としても知られ、神エホバが予告されたことはすべてその通りに生じることが確証されています(イザヤ55:8~11)。
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