きっと、次々と誰かと争いを引き起こす妻を持たれたなら、その夫は、気持ちが休まることなく、その対応に疲れ果ててしまうかも知れません。場合によっては家庭生活が破壊しかねない状況に発展するかも知れません。争いを好む妻を、夫はどうすることができるでしょうか。聖書の箴言(しんげん)の書に次のように記されています。ご参考になれば幸いです。
「雨の降りしきる日に人を追い立てる雨漏りのする屋根と、争いを好む妻とには、よく似たところがある。その女を保護する者は風を保護したことになり、その右の手が出合うものは油である」(箴言27:15,16)。
今の時代は、良い住宅になり、雨漏りのする屋根はないかも知れません。でも、日本も戦後しばらくは、雨漏りのする家がありました。あちこちで雨漏りのする家は、身の置き場に困り、ゆっくりくつろぐことができません。箴言(しんげん)の書によれば、争いを好む妻は、雨漏りのする屋根に似ていると記されています。とても興味深い表現です。そのような妻を持った夫は、身が休まることはないに違いありません。それでも、そのような妻を保護する者・夫は「風を保護したことになり、その右手が出合うものは油」と記されています。ご承知の通り風は手で捉えることができません。風を捉えるには、風を通さない大きな袋が必要になります。争いを好む妻の心は捉えがたいに違いありませんが、それでも、そのような妻を保護する者は、その捉えがたい妻の心の内を保護したことになることを記しています。その夫は、愛の人で、辛抱強く親切な人であり、かつ知恵と識別力に富む人に違いありません(コリント第一13:4~8.箴言3:13~18)。そのような夫の愛によって、妻は保護され、古い人格を脱ぎ捨て新しい人格を身に着けることができることを教えています(エフェソス4:20~24)。ですから、そのような愛情深い夫は、「その右手に油」と記されていますので、良いものに恵まれることが保証されています。夫の愛ある親切と善良な振る舞いは、朽ちる「肉の業」を離れ、「喜びや平和」を生み出す祝福にあずかることができるのです(ガラテア5:19~23)。あなたも愛ある親切に富んだ方々のお一人であれば幸いです。
夕迫る 散歩道辺の 彼岸花 今日の一句
展示されていた「苔玉盆栽」