城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

貴方は嫌韓それとも好韓? 21.8.22

2021-08-22 17:26:32 | 面白い本はないか
 今回の記事を書くにあたって、少し考えた。自分は嫌韓に近いのか、そうでもないのかということを。韓国には一度も行ったことがないし、また行こうとも思っていない(少なくとも自分から進んで行くことはない。中国も同じ。)。海外には数えれば、15回以上行っているのにだ。韓流も見たことはないし、オリンピックや様々なイベントで繰り返される韓国からの発言はおじさんをいたく傷つける。何故韓国はあのような発言を繰り返すのであろうか。そんなことをすれば(しなくても)嫌韓の人々は韓国の悪意ぶりを非難するだけだと思う。やっぱり嫌韓なのだろうと思った。しかし、最初から嫌韓だったわけではない。経済的に韓国が日本と比べて小さな国であったとき(=日本に経済大国としての余裕があったとき)は、このような感情が起こることはなかった。しかし、今や一人当たりGDPではほぼ同等となり、韓国内の個人から日本統治時代に日本がしたことについての発言が高まり、さらには戦後の日韓関係、福島の原発事故の被害などについても様々に批判を行う。もちろん正当な批判は受け入れるつもりだが、根拠のない批判になると嫌韓度はどんどん高まっていく。

 ランタナ

 韓国との関係については、何度もこのブログで書いている。「日韓の共通の歴史認識は可能なのか?(2019.8.22)」「複雑な世の中(20.12.6)」「韓国と日本の新しい関係に期待(21.2.8)」である。本棚にも日韓関係の本が20冊あるし、図書館からもかなりの本を借り読んだ。おそらく先の大戦について書かれた本の次にテーマとしての日韓関係の本は気になるのである。大戦についてもそうだが、日韓関係の歴史特に現代史について、何が起こったのかを正確に知っておきたいという気持ちが強い。過去分からなかった両国の歴史が少しずつ明らかになってきている。今回読んだ渡辺延志「歴史認識日韓の溝ー分かり合えないのはなぜか」から以下紹介していきたい。

 著者は朝日新聞の記者であるのだが、特別日韓関係に詳しかったわけではない。韓国での徴用工訴訟とその判決により、両国の主張があまりに違うことから、日韓の歴史について調べて見ようと思ったと書いてある。その中で、北海道大学における六体の頭蓋骨の発見(東学党農民のもの)を発端とする井上勝生同大名誉教授の論文「東学農民戦争、抗日蜂起と殲滅作戦の史実を探求して」「東学党討伐隊兵士の従軍日誌」にたどり着く。そこでは日清戦争前後に日本軍が東学農民を鎮圧した事実が明らかにされている。さらに日清戦争のきっかけが日本軍の謀略によるものであることが明らかになる。また、日本軍によってその戦史が記録される際に日本軍にとって都合の悪い事実(農民軍の鎮圧、殺戮)については全く書かれることはなく、農民戦争で戦死した唯一の日本兵も農民軍との戦いではなく、正規軍との戦いによるものと書き変えられた。

 ヤマブキ 春だと思っていたら夏にも咲くのだと認識
 
 そして、日韓併合後の1923年に起きた関東大震災被災時における在日朝鮮人に対する虐殺の記録も書き変えられた。2012年横浜市議会での出来事で、市教委が作った副読本の関東大震災の記述が問題となった。「デマを信じた軍隊や警察、在郷軍人会や青年会を母体として組織された自警団などは朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い、中国人をも殺害した。横浜でも、異常な緊張状態のもとで、朝鮮人や中国人が虐殺される事件が起きた。」これに市議が問題提起(特に「虐殺」という記述)し、教育長がこれに同意し、改訂することになった。「虐殺」は「殺害」に置き換えられた。都立公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」があり、この前で毎年9月1日に追悼式が行われるが、小池知事は2017年以降追悼の言葉を届けなくなった。都議会で小池知事は「この件は、様々な内容が史実として書かれていると承知いたしております。だからこそ、何が事実かについては、歴史家がひもとくものだと申し上げております」と答えた。この発言は安部首相が「侵略の定義は定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」(2013年5月)とよく似ている。被災地で起こった様々な出来事を当時の小学生が記録した作文集が見つかっている。この中には朝鮮人に対する殺害についての記述も多く含まれている。また、軍は殺害に関与したのは自警団だと述べた報告書がある。軍によると自警団は震災後自然にできたかのように書かれているが、実は自警団は軍、警察、在郷軍人会などが中心となって震災前に作られている。そして、その在郷軍人会には日清戦争に従軍し、農民軍など現地の反乱軍と戦った兵士たちがいた。これが虐殺につながったのではないかと著者は考える。

 クレマチス

 1919年3月1日に発生した3・1運動(日本からの独立運動)を記念する式典で文在寅大統領は「国民の皆様、1919年、一年間で実に1542回にわたり行われたデモで全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁されました・・・」と演説した。しかし、その演説の一年前に韓国の政府機関である国史編纂委員会が3・1独立運動のデータベースを作り上げ、百周年に合わせ2019年に公開した。それによるとデモ参加者は最大で103万人、死者は約900人である。大統領による政治的発言であった。要するに韓国側も歴史のねつ造を行っている。日本は資料がないことにして否定する、韓国は数字をねつ造する。これではいつまで経っても、両国の溝は埋まらない。

 大久保保昭「「歴史認識」とは何かー対立の構図を超えて」でこう述べている。「歴史認識」にかかわる諸問題が21世紀になって激しく論議され、対立を生んでいる根本的な原因は、①戦争と植民地支配、そして人権というものへの国際社会全体の捉え方が20世紀を通じて大きく変化した、②それに伴って、第二次世界大戦と朝鮮植民地支配について1970年代までにサンフランシスコ平和条約、日韓と日中の国交正常化などで解決されたつもりだった問題が、80年代以降見直しを求められるようになった。③日本国民の間に、戦争と植民地支配の問題について反省しつつも、「東京裁判=勝者の裁き」という見方に代表される諸外国の「不公平さ」への割り切れない思いが一貫して存在していたなどと述べている。

 クレマチス

 慰安婦問題について、いわゆるアジア女性基金(村山政権、社会党が加わった政権だったからできたと制度であった)における失敗(韓国のみで失敗、フィリピン、インドネシア、オランダではほぼ成功)(制度の宣伝及び韓国側の消極的態度)及びその後の日韓合意(これもアメリカ側の強い押しがあったから成立した)の現政権による破棄などによって日本側には韓国側の誠意のなさ(日本から見るとそのように見える。また日本側から見るとゴール自体が移動しているように見える)にこりた日本側、現在問題となっている徴用工問題でも「解決済み」というすげない態度をとり続ける理由になっている。お互いの歴史認識の溝は容易には埋まらないのである。

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