城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

戦後75年の夏 20.8.8

2020-08-09 15:07:16 | 面白い本はないか
 戦争中の経験がある人たちは、今や言わば絶滅危惧種となりつつある。うちの親父は大正5年生まれで当然のことながら、アジア太平洋戦争中のどこかで兵士(確か最終の階級は曹長?)だった。親父から聞く戦争中の話の定番として、ビルマ(今はミャンマー)で前線に取り残された友軍を助けに行った話がある。親父は当時の国民には珍しく車が運転でき、確か通信兵だったと聞いた。彼は、車を運転して、友軍(その中にY氏がいた)を苦労の末助け出した。そして、戦後そのY氏は引き上げ後我が家にしばらく居候していた。Y氏からもその話を何回か聞いた。Y氏はその後滋賀県に移り、おじさんの幼き頃その家を訪ねて行ったことがある。
 
 親父は確か終戦の1年か2年経って、揖斐の家に帰ってきた。そして、結婚し、おじさんが生まれた。定番を除くと戦争の話を聞いた覚えはない。おそらく、中国での戦いの後、インドシナ方面に転戦したのだろう(仮にフィリピンとか南洋諸島に送られていたなら、おじさんはこの世に存在すらしていない。ただし、それはビルマでインパール作戦に参加していたなら同じことになっていたかもしれない)。そして戦争に負けて、しばらく捕虜生活を送ったことだろう。お袋が言っていた話に、親父は家に戻ってからもマラリアでしばらく苦しんだという。うちの親父のようにほとんどの兵士が戦争について語らないまま鬼籍に入っていった。中国での三光作戦など日本軍について書かれた本を読んでいたおじさんには、親父からそのような話を聞きたいとも思わなかった。勇気ある一部の元兵士によってその実態が明らかになるほかは、国民全体の経験として共有されることはなかった。ただ、加害者としてではなく、空襲や原爆などの被害者としての経験がより強く蓄積されることとなった。

 庭のギボウシ この花も種類が多い

 話は8月8日に見たBSテレビ番組「戦争花嫁のアメリカ」。日本を占領統治するためにアメリカは40万の兵士を日本に送り込んだ。その兵士の一部が日本の女性を妻とした。その妻たちの今を追ったドキュメントである。親兄弟、親類に反対され、デートしているとふしだらな娘だという視線を感じながら、それでも当時排日法(日本人の移民が禁止されていたが、兵士の配偶者という身分で入国が許された)はあったうえ、日本人と見れば「ジャップ」とつぼをかけられた。夫以外に頼る人もなく、強く戦後を生きてきた女性達。中でもスーパーを創業した女性、彼女の言葉「アメリカは男であるとかどこの階級の出であるとか全く問題にならない。日本だったら創業できなかった。」というアメリカ社会(今はそうでもない)は魅力的に見える。それに比べて、占領軍の進駐に合わせて、政府は「RAAアメリカ軍用慰安所」をすぐに作った(その目的は良家の子女を守るためだったが、アメリカ側から正式な要請があったわけではない。今の従軍慰安婦につながる発想があるような気がする)。しかし、アメリカ本国の女性達の反対により半年で閉鎖された(情けないと思うのはおじさんだけだろうか)。

 庭のヤブラン 今超地味な花が咲いている

 やっと本題(といっても全く大したことがない)の本の話に入る。前にも書いたかもしれないが、赤坂真理「東京プリズン」という小説を読んだことがあるだろうか。話のメインは主人公、16歳の女子高生がアメリカに留学。そこで、昭和天皇の戦争責任をめぐってディベートを行うことになる。基本の筋はそうなのだが、時間や場所が入り組んでいて小説読みでないおじさんにはよく分からなかったのが実態。最近になって、この著者の二つの本「箱の中の天皇(2018年発表)」と「愛と暴力の戦後とその後(2014年)」。前者は平成天皇のお言葉(2016年)が主たるテーマだが、例によってマッカーサーそして水俣などが入り乱れており、やはりすんなりと理解は難しい。毎日新聞の評では「小説にしかできない切実な天皇論ーおそるべき力業」と本の帯に書いてある。後者は小説ではないため、主張がストレートなためか理解が比較的易しい。

 後者の本の中に「東京プリズン」を書くに至った経緯が以下のように書いてある。気がつくと30を過ぎていた私は、あるとき、全くの個人的体験だと思ってきたことが、どこか、日本の歴史そのものと重なるように思われた。私の中に表現の種は受胎したのだが、それを育てることはできなかった。(中略)それがひとつできたのは、2012年に書いた「東京プリズン」という小説だった。(中略)評論や研究では、感情と論理をいっしょくたにすることはタブーである。しかし、日本人による日本の近現代史研究がどこかかゆいところに手が届かないのは、それを語るとき多くの人が反射的に感情的になってしまうことこそが、評論や研究を難しくしているからだ。だとしたら、感情を、論理と一緒に動くものとして扱わなければ、この件の真実に近づくことはできなかった。そしてそうできるメディアは、小説だった。

 後者の本にはおじさんの考えに近いものがたくさんある。それをここでいちいち紹介することはできないので、昭和天皇の責任ということだけを書いておく。おじさんは昭和天皇は責任をとって退位すべきだったと思っている。統治者が退位しないことによって、国民の誰も責任を取ることのばからしさを感じてしまったのでないか。そして戦後はいつまで経っても終わらないと。この本の中にこれとは違う考え方が書いてあるので紹介する。人々は被害者でもあり加害者でもある自らの姿を、一つの象徴として、昭和天皇に見たのでないだろうか。ならば、だからこそ、心の中でも、天皇を裁けなかったのではなかろうか。自分も免罪されるほどに罪のない存在だとは思えないから。だから黙った。誰にも内面を覗かれないようにした。そのとき、かの人の生身の肉体は、生き残った者たちの免罪符そのものとなり、同時に、無数とも言える生き恥を、代わってさらしてくれるものだったのではないだろうか?

 庭のヤブラン これは鉢植え

 最初、赤坂真理の2冊の本をネタにして書こうとした。その導入部分を親父の話から書くことを思いつき、さらにマッサージ椅子で休憩しながらたまたま見たBSの番組を間に挟み込んだ。赤坂真理の本はこれからも読み直していきたいとも思っている。




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