城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

情けは人のためならず 21.2.19

2021-02-19 13:51:55 | 面白い本はないか
 膝痛と大雪のため、巣ごもり状態にある。膝痛の方は少し良くなってきたので、4日振り(水曜日)に城台山に登ってみた。登りはまあまあなのだが、下りは膝に負担がかかりすぎて、階段は特につらい。水曜日の夜から降り出した雪は昨日まで降り続き、積雪量が30cmくらいに達した。これで春山のようになっていた奥揖斐の山々も再び新雪に覆われた。雪が止んだ今日、獣の足跡以外何もない新雪の道を長靴で登ってきた。公衆トイレの屋根からは小さいが久しぶりに見るつららが下がっていた。

 小さなつらら 冷え込みがきつかったのだろう

 三輪神社から見る城台山

 城台山山頂

 巣ごもりを利用して、確定申告書を作成した。ほとんど年金なのだが、少しだけ所得税を払っている。計算すると所得控除額が所得額を上回り、マイナスの数字となる。負の所得税という(低所得者用の補助)のがあればいいのだけれども、ないので源泉徴収された税金だけが戻ってくることになる。確定申告自体は、慈善団体に寄付をし始めてからするようになった。この寄付については、このブログの19.4.22「日本の寄付文化」で触れているので良かったら見て欲しい。なぜ寄付をするのだろうか。おじさんの場合、身体的サービスの提供ということにはあまり積極的になれない(団体に加わりたくない)ので、せめて気持ちだけはと思い、それを寄付の形でしていることになる。

 ここからは桜井政成「コミュニティ幸福論」の紹介をする。「世界幸福度報告書」(2019.3.20)によると156カ国中日本は58位、1位はフィンランド、2位はデンマーク、3位はノルウェーと北欧諸国が上位を占めている。日本の幸福度が低いことについて、ヨーロッパ出身の日本研究者は、皆「とても幸せ」という選択肢を選ばずに「まあまあ幸せ」というぐらいの答えを日本人は選ぶことが多いからではないかと言っている。さらに幸福のとらえ方の違いが北米と日本を含む東アジアで違うことを指摘する研究を紹介している。北米では個人達成志向で個人目標達成とか自尊心、誇りとかいったものに価値を置く。一方、東アジアでは関係志向で協調的幸福、人並み感が重視される。人と関わることによって、幸福だと日本人は考える。ボランティア活動と幸福度の間には相関関係がある(ボランティア活動をするから幸福度が高くなるのか、幸福度の高い人がボランティア活動に積極的なのか、どっちかは分からない)

 世界寄付指標(イギリスのチャリティエイド財団、2008~2017年128カ国の130万人にインタビュー)、この指標では3つの質問、①助けを必要としている他人あるいは見知らぬ人を助けたか、②慈善団体に寄付、③何らかの組織でボランティア活動に時間を費やしたかをしている。日本は107位、その中味を見るとボランティア46位、寄付64位に対し、見知らぬ人への助け125位となっており、これは世界ワーストである。

 横軸 ボランティアをした人の割合 縦軸 見知らぬ他者を助けた人の割合 日本だけ外れた位置にある

なぜ見知らぬ人を助けないのかというは、日本のボランティア活動の謎とされる。このわけは、日本のボランティア活動が町内会等地域社会とのつながりの強い組織で行われることが多いからであり、ウチでは気をつかいすぎるくらいつかうのにソトでは気を使えない日本人の気質、性格と関係があると言われる。さらに、コミュニティでは「返礼のない贈与はまずあり得ない=互酬性」がある。(コミュニティだと互酬性は成立しやすいが、見知らぬ人とは互酬性が成立しがたい。しかし、互助はAに助けられたBがAに対し必ずしも行うものではない。Cに対してだって良い。これを広げれば見知らぬ人であっても構わないのでないかと思ったりする)

 助けを必要とするのに助けを求められない人が多くいる。これは家族の中ですら起こりうる。認知症の初期症状が現れた香川さんの事例では、家族に頼れない、頼りたくない香川さんは、意を決して参加するコミュニティサロンのメンバーにその症状を打ち明けた。こんなケースは、香川さんが強かったからできたことで、助けられる覚悟ができないと、その助けてさえ言うことができない。人は助けてもらうことで幸福感を感じるのだが、ありがたみとともに申し訳なさ(心理的負債)を感じてしまう。この本で紹介されている岡壇「生き心地の良い町」(おじさんも昔読んだ!)では、自殺率の低い町の徳島県の海部町と対照的な自殺率の高い町(同じ県にある)を比較している。前者は風通しの良いコミュニティ=権力関係がうすい、後者は地域コミュニティが濃密で、住民が「困った時はまわりの人が助けてくれる」という認識を持っている。ところが、これは逆に言うと「本当に困った時しか、助けを求めるのは申し訳ない」ということにつながる。困っても他人に助けを求めないこと、あるいは逆に困っている人に「気づかない」ことが、日本の人々の間では文化的な習慣としてデフォルトになっているのではないか。

 最後に揖斐川図書館で見つけた「こんな夜更けにバナナかよ」を紹介する。様々な本で引用されることが多い本である。また、映画にもなりその主人公役の大泉洋の演技が絶賛された。おじさんは見ていないが、それをテレビで見た家内がその主人公について「とても好きになれない」と本を読んでいたら横からコメントした。確かに、おじさんも読んでいて、とても好きになれなかった。しかし、その気持ちは読み進めるうちにだんだんと変わっていくのを感じた。主人公の行動によって、障害者というある意味「ステレオタイプ」な考えはどんどん破られていく。少し、本題から離れるが、日本の障害者施設や高齢者施設はほとんどが市街地と離れた場所にひっそりと作られている。ある意味健常者からは隔離されていると言える。そして施設の中では入所者の行動は細かい規則により制限される(施設職員の少なさと大いに関係する)。ここでは我々が普通だと感じることができないのである。このことが鹿野が自立生活をスタートさせた根本的な理由である。好き嫌いは別としてこの本は、やはり必読の本だと思う。当事者主権すなわち健常者立場に立って考えるのではなく、障害者の立場に立って考える、障害者自身に発言させること、また街のバリアフリー化も随分進んだとも思うが、やはり心のバリアは容易にはなくならない。

 原案渡辺一史、脚本橋本裕志 もとはノンフィクションとして書かれているが、脚本によりどこが変わったのか調べていない

 家内がある団体にマンスリー寄付をし出した。とても良いことだと思う。寿命の有る限り、「生き心地の良い町」づくりに微力でも務めていきたいと思う。



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