醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 138号  聖海

2015-04-01 10:10:33 | 随筆・小説

   街の灯や春の夜道を二人行く   聖海

 「街の灯」。この題名を口に出すたび瞼に涙がにじむと、言った映画紹介者がテレビで述べたことを今も覚えている。チャップリンの映画にはペーソスが漂う。映画「街の灯」を見た観客は役者の哀愁に泪した。闇の深い夜道に灯る昔の街灯には若者の哀しみの思い出が宿る。田んぼの中の一本道の街灯に家路を急ぐ安心感があった。一人、冬の夜道を帰る街灯には温もりがあった。
 昭和30年代、日本の夜の闇は深かった。歌手、三浦光一は「街灯」を唄った。
  やさしい外灯 おまえは知っている  つきせぬつきせぬささやきを
  仰ぎ見る街灯 おまえは知っている  わたしのわたしのかなしみも
  見まもる街灯おまえは知っている   みんなのみんなの身の上を
 昭和30年代の二人の若者は暗い夜道でささやきあった。一人、街灯を見上げ、愚痴る自分がいた。街灯、お前は知っている。一人一人の喜びと悲しみを。昭和30年代の日本の夜道は真っ暗だった。その夜道に街灯が灯った。当時の人々には街灯の有難さが身に沁みた。歌手、三浦光一の「街灯」は流行った。
 街灯は市民の安全を守るために市が設置してくれているものだと漠然と思っていた。今ではじっくり街灯を仰ぎ見る人はいない。明るい夜道が当然のようになっている。が商店街から商店が無くなっていくにしたがって夜道が暗くなっている。シャッター街が増えるにしたがって街灯は錆びつき、新しく変えられることはない。
 商店街に活気があると明るい街灯が光り輝く。大きな駐車場を確保し、大型店が郊外に出店してくるにしたがって市街地の商店街は活気を失っていった。街灯には二つある。一つは市が設置する防犯用の街灯である。もう一つが商業用街灯である。商業用街灯は商店会が市にお願いして設置しているものである。設置の費用、電気代、維持管理費、補修費は商店会が負担する約束を市と交わして設置している。市が設置する防犯用街灯は40Wであるに対して商業用街灯は二倍の80Wであるという。
 商店が一軒もないにもかかわらず80Wの明るい街灯が点いているところがある。そこは商店会が地域のみなさんに普段お世話になっているという気持ちで点いている街灯のようだ。商店会に余力がなくなってくるとその負担に耐えられなくなって街灯が消えていく。
 大型店の出店規制が緩和されることは一軒、一軒の商店から力を奪っていく。街から八百屋がなくなり、魚屋がなくなり、肉屋がなって久しい。お客さんが入って行くのを見たことのない酒屋がある。商店街が無くなっていく。商店には日常会話がある。商店での日常会話には人と人とを結びつける働きがある。スーパーの消費者は流れていく。事務的にお金を支払い、袋詰めは消費者自身が行う。誰とも話す機会はない。少し離れた場所に更に大きなショッピングモールができると便利な場所にあったスーパーは閉店する。自動車に乗らない高齢者は買い物の難民になっていく。
 商店街の街灯が消えると地域もまた壊されていく。高齢者が住みやすい街がきっと若者にとっても住みやすい街に違いないのだけれども。