侘(わび)てすめ月侘斎が奈良茶歌 芭蕉38歳 延宝9年(1681)
この句には次のような詞書がある。「月を侘び、身を侘び、つたなきを侘びて、侘ぶと答へむとすれど、問ふ人もなし。なほわびわびて、」。
日本橋から深川に隠棲し、芭蕉庵に住むようになって詠んだ句である。この句は須磨に流された在原行平が詠んだ歌「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつ侘ぶと答へよ」『古今集』をふまえて詠んでいる。わくらばに、たまたま私はどうしているかと尋ねる人があったなら、須磨の浦にて塩田の藻塩が垂れているのを眺め侘びて住んでいると答えて下さい。芭蕉は源氏物語を読んでいた。紫式部は『源氏物語』の中で在原行平の歌を引用している。「おはすべき所は、行平の中納言の、[藻塩垂れつつ]侘びける家居近きわたりなりけり。海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」。お住まいになる所は、行平中納言が、「藻塩たれつつ」と詠んだ侘住まい付近でございます。海岸から少し入り、寂しさが身に沁みる山の中」。光源氏は須磨に退去し、朝廷に謀反の意は無いことを明かそうとした。芭蕉もまた古里、伊賀上野藤堂藩に背くようなことは何もしていない意を表すために深川芭蕉庵に隠棲したのかもしれない。
月を眺めては侘しさを感じる。一人住まいの寂しさ、侘しさを想う。私には才能もなければ、能力もない、芸もない。そんな自分の侘しさが身にしみね。私は侘しく、寂しいと答えようとしても、問うてくれる人もいない。なお侘しさ、寂しさが深まっていく。
侘びて住んでおります。侘びて澄んだ生活をしております。月を眺めては侘びている私は奈良の僧侶たちが食べる茶粥を食べては歌を唄っております。あの澄んだお月さまのように清らかな生活をしております。
寂しく、侘しい生活を否定的なものとして忌避するのではなく、寂しく、侘しい生活を肯定しようとしている。貧しく、質素な一人住まいの清らかさのようなものを句に詠もうとする気持ちを表現した句なのであろう。