頓(やが)て死ぬけしきも見えず蝉の声 元禄3年夷則下(いそくげ) 1690年7月下旬47歳
この芭蕉の句には俳文がある。
「我しゐて閑寂を好(このむ)としなけれど、病身人に倦(うん)で、世をいとひし人に似たり。いかにぞや、法(のり)をも修(しゆ)せず、俗をもつとめず、仁にもつかず、義にもよらず、若き時より横ざまにすける事ありて、暫く生涯のはかりごととさへなれば、万(よろず)のことに心を入れず、終(つひ)に無能無才にして此の一筋につながる。凡(およそ)西行・宗祇の風雅にをける、雪舟の絵に置(おけ)る、利休が茶に置(おけ)る、賢愚ひとしからざれども、其(その)貫道するものは一ならむと、背をおし、腹をさすり、顔しかむるうちに、覚えず初秋半ばに過ぎぬ。一生の終りもこれにおなじく、夢のごとくにして、又又幻住なるべし」。
私は特にひっそりして淋しいことを好んだわけではありませんけれども、病を抱えていたものだから人との付き合いが煩わしくなり、世の中に出て行くのが億劫がる人に似ていたのかもしれません。どんなものだろうか、世に出て働く方法を身に付けようともせず、世に出て働くこともせず、人とも付き合わずに義理を果たすこともせず、若かったころから下手の横好きでしていたことを暫くは生涯の仕事のように考えていたものだから、よろずのことに心を入れずに来てしまいました。ついに無能無才を自覚し、この好きな俳諧一筋の道に生きることにした次第です。
西行や宗祇の歌・連歌が追求したものも、雪舟の絵や利休の茶が追求したものも、どこまで追求したかは同じではないだろうが、その中で貫いているものは同じだ。人に褒められ背中を押されることがあったり、人に批判され顔をしかめたりしているうちに、気が付けば人生の半ばを過ぎ初秋になってしまいました。一生もまた同じように過ぎていくのだろう。人生は夢のようにまたまた幻の住処にいるようなものだ。
やがて死ぬのが分っていないかのように蝉は思いっきり大きな声で鳴いている。いつまでもいつまでも夏が続いて行くような勢いで蝉は鳴いています。
芭蕉は存在ということを、今、私はここにいるということを認識した。蝉の鳴き声を聞き、芭蕉は存在を自覚した。俳諧一筋に生きる存在としての自分を自覚した。西行や宗祇、雪舟、利休の心の世界に生きる自分を意識した。西行、宗祇、雪舟、利休が追求した真実を自分もまた追求していく存在としての自分を芭蕉は認識した。