日本語には穏やかな優しさがある
能島龍三氏の書いた短編小説「青の断章」の合評を数人で数年前したことがある。。
この小説の中で「都市の多くが、見る影もない程の焼け野が原になっていた」という文章を読んだ私は「焼け野が原」という言葉に違和感を覚えた。「1945年3月10日の大空襲で東京は焼け野原になった」。このような言葉が私の記憶の中にあるからである。「焼け野が原」と「焼け野原」。どのような語感の違いがあるのか、「焼け野が原」と「焼け野原」、声を出して唱えてみた。声を出して唱えることによって気付いた。「焼け野が原」は「焼け野」にアクセントが付くように感じた。その結果、「焼け野」が強調される。「焼け野原」は「焼け野」にアクセントが付かない。そのため「焼け野」と「原」とは一体化し、平板な一つの熟語を形成している。このようなことを考えた。
合評会の席で私より年長の人にとって、「焼け野が原」という言葉に違和感はないという発言があった。この発言を聞き、戦前・戦中に学校教育を受けた世代の人々にとって、「焼け野が原」という言葉が普段に使われていたのかなと思った。「焼け野が原」という言葉は時代と共に「焼け野原」という言葉に移り変わってきているのだろう。
戦前の日本人は「大日本帝国憲法」を「大ニッポン帝国憲法」と読んでいた。「日本国憲法」を現在の日本人は「ニホン国憲法」という。「ニッポン」という言葉には「ニ」にアクセントが付き、力強さのようなものが感じられる。「ニッポン」という言葉には海外膨張主義の匂いがあると憲法学者が話しているのを聞いた。なるほどと思った。「ニホン」という言葉には穏やかな平和があるとも述べていた。
サッカーワールドカップが行われた。残念ながらニホンは一次戦で敗退してしまったが、日本中の人々がいろいろな場所に集まり、「頑張れ、ニッポン」、「ニッポン、チャチャチャ」と唱和して盛り上がった。このような時に「ニホン」では意気が上がらない。「ニッポン」ではなければ気分がでない。「ニ」にアクセントを付けた言葉は平常に戻ると「ニ」のアクセントが失せ、「ニホン」になる。
私が小学生だったころ、「ヒットラー」という言葉を聞いた。この言葉が脳裏に焼き付いていた。成人して私は高校の世界史の教師になった。ファシズムが台頭する戦間期の授業をしていた時のことである。生徒たちは皆眠そうな目をしているのにもかかわらず教師である私だけが一人、熱を込めて「ヒットラー率いるナチスは国会議事堂に放火した」と発言すると、一人の男子生徒が突然声を出した。「先生、教科書では『ヒトラー』になっているよ」と授業を邪魔するような発言をした。私は生徒を睨みつけ、教科書をじっくり見てみると確かに「ヒットラー」ではなく、「ヒトラー」になっている。この生徒の発言で私の意気はしぼんでしまい、淡々とした授業になった。ドイツ語でも英語でも「ヒトラー」は「ヒ」にアクセントが付く。しかし日本語では「ヒ」にアクセントが付くことはない。「ヒ」にアクセントを付ける読み方は時代と共に「ヒ」のアクセントが抜けていった。
日本語には高低のリズムはあるが、アクセントはない。日本語にアクセントがある場合、このアクセントを無くしていく働きのようにものがあるのではないかというのが私の主張である。
前の言葉を強調する働きをした助詞「が」は昔、連体助詞と呼ばれていたが室町時代の頃、格助詞に吸収されていった。その頃、前の言葉を強調する働きをした係助詞がその生命を失い始めたようだ。「係り結び」という言葉を強調する働きが失われ始めたことは、日本語そのものにある本質的な運動法則の結果ではないのだろうか。
日本語とは穏やかな優しさに充ちた言葉なのであろう。