醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 166号  聖海

2015-04-30 11:21:37 | 随筆・小説
 
   めでたき人のかずにも入(いら)ン老(おい)の暮(くれ)  貞享2年(1685)  芭蕉42歳

 乞うて食らい、貰うて食らい、どうにか飢えることもなく、年の暮を迎えることができた。芭蕉は俳諧宗匠として門人たちの俳句を添削する点料で生活することを辞めた。人の目を見ては気を遣う。人の噂に聴き耳をたてる生活に倦んでいた。日本橋の繁華街の活気には豊かな生活と気疲れがあった。多くの人に接する生活に倦み、田舎生活を求めて日本橋から深川の田舎に隠棲して五年になる。点料のない生活ができるのか、どうか、全く分からなかった。ただ幕府御用の魚問屋を営み豊かな経済力を持っていた杉山杉風(さんぷう)の後援を得て決断したことだった。この五年もの間、門人たちの喜捨のみの乞食(こつじき)生活してきた。乞食生活に慣れれば、これほど充実した生活ができると実感していた。芭蕉は自分を「めでたき人のかずにも入(いら)ン」と自覚した。今から300年前の42歳は初老期だった。初老期を迎えた年の暮だと今の生活に満足感を得ている喜びを表現した。風雅の誠を求める質素で簡素な生活に「足る知る」喜びを詠んだ。