醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 140号  聖海

2015-04-03 11:34:09 | 随筆・小説

 
  俺も老年期無気力症になったようだ

 もう二十年も前の話になる。当時支店長は五十前後だったかな。無気力症になった。細かなことにも気の付く、行員に配慮が行き届く支店長だったように思う。ある朝、余裕を持って出勤しようとネクタイを締めようとしていたとき、突然なんでネクタイを締めようとしているのだろうと疑問に思った。そしたら何もかもが面倒になってしまった。一気に力がぬけるとネクタイが締められない。ズボンがはけない。異変を感じて、奥さんの力を借りてやっと身支度をした。やっとの思いで電車に乗り、出勤したが仕事ができない。どうでもいいことのように思えてならない。仕事をする気力が起きない。
支店長は体の調子を悪くしたのかなと初めは思っていた。俺は支店に何人もいるションベン代理の一人だった。本当に驚いたよ。一日中、支店長は何もしない。ただぼうと支店長の椅子に座ったままなんだ。
居酒屋でEさんから聞いた話の始まりはこうだった。Eさんは一流都市銀行の支店長代理で定年を迎えた。今は年金生活者である。地方の県立商業高校を良い成績で卒業した。憧れの都市銀行の入社試験に合格し、東京近郊の支店に配属された。一所懸命に働いた。まだソロバンが計算の主流であった時代だった。定期預金の複式計算が得意だった。正確な事務をこなした。四十代後半、取引先の会社に片道切符をもらって出向させられることもなく、五十歳を過ぎた時、支店長代理になり、そのまま定年を迎えた。高校卒業してから四十二年間銀行業務一筋に勤しんだ。
Eさんとほぼ同世代、一流私大を卒業し、コースにのっていた支店長が無気力症になってしまったことが理解できなかった。外見は何も変わらない。噂によると家庭では大変だったと聞いた。朝、起きてこない。奥さんが何度も呼びかける。それでもダメな場合は布団を剥ぐ、手を引いて起こす。自分では髭を剃らない。整髪もしない。奥さんは怒鳴る。顔を洗わせる。日常生活の一つ、一つが大変、子供より手がかかったようだ。
定年退職後、Eさんは無気力症に罹った昔の上司、支店長の気持ちが分かるという。毎日、朝起きて出勤するところがない。顔を洗い、髭を剃り、整髪するのが億劫でならない。身の周りを清潔に、整理整頓するのが大変な気力を要する営みだったと気が付いたという。無意識のうちに体を動かしていたことが何でもないことに思っていたがそうではないんだと気が付いたと言う。支店長は一か月ほど何もせず、支店長の椅子にただ座ったままだったけれども、病気療養になって以来会ったことはない。その後、どうなったのかなぁーとしきりに思い出すという。
「リストラ」という言葉が何を意味するのか、ぼんやりしている頃だった。「リストラ」と言われても何のことだか分からなかった。すぐ「首切り」のことだと分かった。でも実感はなかった。支店長はリストラを迫られていたのかもしれないと思うようになった。これ以上の「効率化」なんて絶対無理だと俺たちは思っていたからね。自分自身の問題として考えられない状況だった。漠然と他人事のように思っていた。行員に優しい支店長はどのようにリストラすればいいのか、思い悩んでいたのかもしれないなぁー。自分の支店の問題として考えられなかったじゃないかな。ある朝、突然ネクタイを締めようとしたとき、なんで俺はネクタイを締めようとしているのか、分からなくなった。なんで俺はネクタイを締めようとしているだと考えてしまった。
ストレスが溜まりすぎると無意識に行われていた行為に支障が起きてしまうのかもしれない。今まで無意識に行っていた行いに疑問が湧くと動作に支障が起きてしまう。きっとそうなんだ。当たり前のこととして受け入れていたことが当たり前で無くなってしまう。それが無気力症なのだろう。俺にも老年期無気力症の症状がでているのかもしれないとEさんは日本酒を傾けて話していた。