醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 145号  聖海

2015-04-08 11:08:40 | 随筆・小説

   四月に雪が降った。2015.4.8

 2015年4月8日、朝、7時、雨戸を開けると氷雨が落ちてくる。雨に混じって霙が真っ直ぐ落ちている。朝食の準備をし、朝ご飯を食べた後、障子を開け、外を見ると牡丹雪に変わっていた。近所にある高校に通う生徒たちが合羽を着て登校する姿が見えた。今日は紙・布のゴミを出す日だったが取りやめた。生ごみを出すため外に出た。家と家との間から高校生が登校する姿を垣間見た。庭を眺めると雪が積もる気配はない。花の散った梅の木の枝に雪がひっかかっている。
霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける
 (霞立ち、木の芽がふくらみ春になったこの時に、春の雪が降る。桜のない里にも花が舞い散っているのか)
紀貫之はこんな景色をよんだのかなぁー、寒さを楽しみ、枯れ木に雪が降る景色を眺めていた。
心にもあらぬわかれの名残りかは消えてもをしき春の雪哉
 (本心でなく別れた。その名残なのかな、消えてなくなるのが惜しい春の雪だなあ)
定家は男、気持ちが移り行き、後悔する普通の男だったのだろう。この時期の雪はやはり「なごり雪」なのだろう。出会いと別れの季節に降る雪だからなあ。現役を引退した者には毎年訪れる出会いと別れはない。ただこの世との永遠の別れが毎年、毎年近づいて行くのみだ。
春の雪青菜をゆでてゐたる間も
細見綾子が表現した雪降る日の静かさが身に沁みる。
 芭蕉は「春の雪」を詠んでいるのか、調べてみるとない。「春の雪」を芭蕉は詠んでいない。『江戸俳諧歳時記』を繙いてみると「春の雪」という季題がある。
 痩せ梅になほ重荷なり春の雪  杉風
春の夜の雪に音ある板屋かな  蓼太
春の雪しきりに降りて止みにけり 白雄
これらの例句が挙げられていた。今朝の雪はまさに「白雄」が詠んだ句のように「しきり」に降ったあと、牡丹雪に変わり、降りやんだ。白雄は芭蕉よりほぼ100年後の俳人のようだ。蓼太は芭蕉より74年後の人である。杉風は芭蕉より3歳年下の蕉門の代表的な俳人である。杉風の句を読むと季題「春の雪」はまだ談林俳諧の影響が色濃くあることがわかる。芭蕉が生きた貞享から元禄にかけての時代にはまだ季題「春の雪」の本意が極められていない時代のようだ。
季題「春の雪」は高浜虚子が唱えた「花鳥諷詠」によって本意が極められた季題なのかもしれない。