醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 156号  聖海

2015-04-20 11:21:43 | 随筆・小説

 
 芭蕉は遊び人だった
      木曽の痩もまだなおらぬに後の月
 
 山の中を歩き回った木曽路の旅寝は忘れがとうございます。仲秋の名月を更科の姨捨山に追憶の限り尽くし、生きる哀しみを味わいました。今「木曽の痩せでございます」。今宵は宇多天皇の詔により、世に9月13日は名月、後の月とも二夜(ふたよ)の月とも云われております。今宵は十三夜でございます。今宵の月を愛でないわけにはまいりません。先人も十三夜の月を愛でて歌や句を詠んでおります。私ども閑人(ひまじん)が十三夜の月を迎え、この名月を愛でないわけにはいきません。先人の文人に倣って一杯いかがでしよう。こんなわけで皆様に声をかけさせていただきました。拾ってまいりましたこの栗は中国の誉れ高い白鴉(はくあ)の谷名産の栗に匹敵する栗でございます。この栗を肴に盃として、この瓢を叩き、歌を唄い、楽しみたいものでございます。このような俳文を書き、「木曽の痩もまだなおらぬに後の月」と詠んでいる。
 芭蕉は遊び人であった。本当に遊び好きの人間だと自分で自分に呆れている。ここに芭蕉がいる。芭蕉は自分を閑人(ひまじん)と自覚している。俳諧という遊びに一生懸命な人だった。農民のような一所懸命の人ではなかった。一所の田んぼや畑に命を懸けて働く人ではなかった。また一所に家を構えて商いや鍛冶、大工、表具などの技に命を懸ける町人ではなかった。
 いつのことだったか、昼時テレビを付けるとタモリの番組「笑っていいとも」が映った。この番組のテレホンショッキングに安倍首相が生出演してきた。タモリは遊び人である。番組を見に来て下さいとは云わずに番組に遊びに来て下さいと呼びかけていた。舞台の上の出演者と客が一緒に遊ぶ番組が「笑っていいとも」である。この番組に現役の総理大臣安倍が出演し、タモリと安倍総理と客がこのテレビ番組で遊んだ。タモリはやっとこの番組が現役の総理大臣によって認知されたと喜んでいた。SPの人間が番組会場に二人いた。現役の総理大臣によって番組が認知されて間もなく、三十数年続いた番組は終了を遂げた。安倍総理の出演は象徴的な意味を持っていた。遊びの番組に現役の総理大臣が出演する。遊びが遊びで無くなった時、その番組は終了した。
 遊びは遊びに徹してこそ、生き長らえる。遊びは正業として認められない。遊びに生きる人間は正業として認められない職に生きることの辛さがある。不安がある。安定がない。安定しない不安な世の中を自分だけの力にすがって生きなければならない。誰からも助けてもらえない。助けることができない。それが遊びである。
 一所不住の漂泊の俳諧師は正業の人ではなかった。江戸時代の身分制、士農工商は正業の人々を意味する。この士農工商に含まれない法外の人々の中に俳諧師はいた。俳諧師の世界は実力の世界であった。笑いの芸人の世界は実力の世界である。実力のある芸人は差別されることはないだろう。実力があるから。このことは江戸時代にあっても変わらない。芭蕉のような実力のある俳諧師は身分制社会にあっても厳しい差別を受けることなく生きることができた。芭蕉は身分の違う武士と一緒の座敷に座ることができた。身分制社会にあって農民出身の人間が武士と一緒の座敷に座ることなどできるはずがない。道行く武士がいると農民や町人は道路わきに土下座するのが慣わしだった。この慣わしに反すれば切り捨てられてもやむを得ない社会であった。農民や町人の仲間にも入れてもらえない人々が俳諧師だった。被差別の人々であった。自分の実力だけで生きる人間が俳諧師だった。
 芭蕉は俳諧という遊びに殉じた人であった。

 毎日書くことを目標にしていますが、昨日は新潟県南魚沼市塩沢にある酒蔵「高千代酒造」の蔵開きに行ってきました。そのため書くことができませんでした。高千代酒造蔵開きについても書こうかなと思っているところです。私と同じように高千代酒造に4月19日に行った人があったらご連絡ください。メールアドレス jyorakuan@tcat.ne.jp