醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 150号  聖海

2015-04-13 10:32:03 | 随筆・小説

 
   「たら」「れば」ということ
 
 リベラルな論客である孫崎享さんが講演会で話すことやIWJの岩上さんの孫崎さんに対するインタヴューの回答にいつも共感している。また私は孫崎さんが書いた著書をほぼ全部読んでいる。私は孫崎さんのファンである。その孫崎さんが岩上さんの質問に答え、朝鮮人の安重根が伊藤博文を殺したことは悪かったと話すのを二回聞いた。一度目は孫崎邸で岩上さんのインタヴューに応えて話していた。二度目はIWJの岩上さん、一水会顧問の鈴木邦男さん、孫崎さんの三人による対談本刊行イベントで聞いた。
 安重根が伊藤博文を殺さなかったら、その後の歴史は変わっていたに違いない。伊藤博文が生きていれば、関東軍が満州を侵略するようなことは無かっただろう。このような話だった。伊藤博文が殺されなかったら、伊藤博文が生きていれば。これが歴史における「たら」「れば」の話である。この問題は歴史の必然性と偶然性の問題でもある。また別の見方をするなら、歴史は愚行の堆積物なのか、それとも輝かしい人類の遺産なのか、という問題でもある。現在の安倍政権がしていることは愚行なのか、それとも日本国民にとっての遺産になるようなものであるのか、という問題でもあるだろう。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーは、バルカン半島の国、ボスニアの都サラエボで19歳のボスニア系セルビア人、国家主義者ガヴリロ・プリンツィプに拳銃で殺された。サラエボ事件である。この事件によって第一次世界大戦が始まった。もし、19歳の少年、プリンツィプがオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公を殺さなかったら、その後の歴史は変わっていたかもしれない。オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公が生きていれば、世界大戦は起きなかったかもしれない。サラエボ事件というテロ事件が起きなければ世界の歴史は違っていたかもしれない。
私は孫崎さんの主張を面白く思う。ただ残念なことに私自身が孫崎さんの主張をもっともなことだと認識できる知識が欠乏していることである。ただ結論的に言うなら、直観的に私は孫崎さんの主張は間違っていると思う。その理由はすべての歴史的事件は偶然の出来事ではあるが必然的な出来事でもある。伊藤博文という政治家は人類の歴史の中で東アジアに生きる人民を苦しめる役割をしたことには変わらない。それに対して安重根という個人が東アジアの歴史において果たした役割は間違いなく人類の遺産としてこれからも継承されていくに違いない。また日本の伊藤博文が個人として東アジアの歴史において果たした役割は人類が継承してはならないことであろう。
 サラエボ事件というテロ事件が起きなくても第一次世界大戦は勃発したに違いない。なぜならこの戦争を阻止する力が弱かったからだ。他国の富を奪うことは許されないという国際世論が形成されていなかった。イギリスという大国に後れて力をつけてきたきたドイツがアフリカや中東への侵出しようとことに英仏が阻止しようとすれば戦争を阻止する力が弱ければ世界大戦は必然的なものであったろう。
 伊藤博文がテロで殺されることがなかったとしても、福沢諭吉の侵略肯定論の思想に染まっていた当時の日本政府は朝鮮から中国への侵略をしたに違いない。当時の日本には日本の対外膨張主義を阻止する力は圧倒的に弱かった。しかし現在は違う。いくら安倍政権であろうとも対外侵略を声高に唱えることはできない。国民を騙し、窮乏生活を我慢させ、「積極的平和主義」を唱え、世界資本の暴力になろうとしているが全世界の人々によって戦争は阻止されるだろう。これが21世紀だ。国家対国家の大規模な戦争はできない。全世界の人民が許さない。このような時代になっている。
 「たら」「れば」では正しい歴史認識は得られない。これが私の主張だ。