小林多喜二の処女作「健」を読む
福島原発事故を経験して多喜二を読む。
「健」という短編小説が小林多喜二の処女作である。一九二二年、多喜二が十九歳のときに「新興文学」の懸賞に投稿し当選した作品である。
粗筋は以下のようである。
伯母のよしが、大きな財産を小樽に拵えて成功した。おおっぴらに自分の故里(くに)に帰れることを自慢していた。成金風をふかし、昔、水飲み百姓と侮蔑した者たちが反対に下っ腹をすり、手を揉んでおべっかをいうのを痛快に思ったからだ。あるとき、甥の健には見所がある。どん百姓にしていてはいたわしい。健を小樽に連れ帰ってものしてやる。両親を説得する。親には不安があったが偉くなるんだ。小樽にさえ行けば皆んな偉くなれるんだと親たちは思った。
秋田の田舎から旅立った健にとって初めて乗る汽車に驚く。教科書で見たものとはその迫力が違う。海と汽船に目をみはる。小樽で伯母と乗った馬車に驚く。四階建ての石造りの銀行が並び立っている街に見惚れてしまう。
茅造りの暗い百姓家との違いに心を奪われる。肥溜めと泥の匂いのない家、白米を毎日食べる生活におびえる。故里では学校が楽しかったのに、小樽の学校では秋田弁とはやされ、先生にまで笑われてしまう。健は偉くなるには我慢しなければと思うが学校に行けなくなってしまう。一年後、健は故里に帰してくれと、伯母に頼む。伯母は理解しかねるが、泣いている健をもてあまし、故里に帰すことにする。最後は伯母の言葉で結ばれている。
「あれも馬鹿なものさ、だまって学校に入っていれば立派なものになれるのに。まあ村で馬のけつでもたゝくさ、フゝゝ」と笑った。そして独言のようにつけ加えた。「子供って馬鹿なもので、わしが帰る頃はもう元気ではしゃいでいたよ」
この伯母の言葉について、岩波新書「小林多喜二」の著者、ノーマ・フィールドは次のように分析している。「健が『馬のけつをたたく』生活に戻るとすぐ元気になるのが『馬鹿』なのだが、二度目に「子供って馬鹿なもの」といったとき、健だけでなく、子ども一般が大人の常識では計れないことを直感しているようだ。『馬のけつをたたく』人生に満足するのを「馬鹿」ときめつけるのは、(中略)、貧しい人生観そのものなのだ。しかし、本人もそれでは納得しきれないからこそ二度目の「馬鹿」があるのだろう」。
このノーマの分析に私は不満である。この伯母の姿に原発導入を推進した地元有力者の姿が浮かび上がる。原発導入に反対した地元住民たちを馬鹿だと原発導入を推進した地元有力者たちは言った。原発を導入したから福島の過疎地は豊かになった。原発反対を唱える者一般を馬鹿なのだと地元有力者たちは考えていた。文明に逆らう馬鹿者だと言った。こう言ったかつての地元有力者たちは自らの故里を事故によって半永久的に失った。
十九歳の多喜二は直感的に真理を悟っていた。国内植民地北海道のにわか成金には人間の真実はない。故里の百姓たちには人間生活の真実がある。「馬鹿」な子どもに人間の真実がある。ノーマはここがわかっていない。だから「わしが帰る頃はもう元気ではしゃいでいたよ」という言葉で多喜二はこの小説を終えている。