醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  817号  白井一道

2018-08-10 10:41:47 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな」



句郎 栃木県黒羽で詠んだ芭蕉の句かな。
華女 芭蕉は黒羽に知り合いがいたのかしら。
句郎 『おくのほそ道』には次のように書いている。「黒羽の館代浄坊寺何がしの方におとずる。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語りつづけて、その弟桃翠(とうすい)などいふが、朝夕勤めとぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ」と書いている。
華女 歓待されているのね。芭蕉を知っている人でなければ突然の訪問を喜んでくれることはないでしようね。
句郎 現代の我々が想像するよりも元禄時代というのは世間が広かったということがわかるな。
華女 芭蕉は江戸で有名な俳人として知られていたということなんでしようね。
句郎 俳諧というものが地方の武士や町人の間に普及していたということなんだろう。
華女 いつだったか、長谷川櫂氏が俳諧の普及が日本の識字率を向上させたというようなことを述べていたわ。
句郎 俳諧を楽しむということが大事なんだろうね。字を覚える。言葉で表現する楽しみが日本の識字率を向上させたということなんだろうな。
華女 江戸からの客人が訪ねてきてくれたということで親戚中の人々が集まり、歓待してくれ、名所なども案内してくれたんでしょう。
句郎 そのようだ。『おくのほそ道』には「日をふるままに、日とひ郊外に逍遙して、犬追物の跡を一見し、那須の篠原をわけて玉藻の前の古墳をとふ」と書いているからね。
華女 「玉藻の前」とは、何か、伝説があるのよね。
句郎 殺生石の伝説かな。
華女 そうよ。殺生石の伝説よ。蝶や昆虫、野鳥などがその石に近づくと死んでしまうということから伝説が生まれたんでしよう。
句郎 そのようだ。謡にも『殺生石』があるからね。
華女 芭蕉は謡『殺生石』を知っていたのよね。だから「玉藻の前の古墳をとふ」と書いているのよね。
句郎 玉藻前伝説とは、平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫であったとされる美女のことのようだ。妖狐の化身であり、正体を見破られた後、下野国那須野原で殺生石になったという伝説かな。
華女 伝説が生きていた時代に芭蕉も生きていたということなんだと思う。
句郎 源義経贔屓の芭蕉は那須与一神社を参拝している。
 「与一扇の的を射し時、べっしては我国氏神正八とちかひしもこの神社にてはべると聞けば、感應殊しきりに覚えらる」と『おくのほそ道』に書いている。
華女 『平家物語』ね。
句郎 そうなんだ。源氏と平家が海ぞいで向かい合い、 平家は船の上に扇を的として立て、「当ててみろ」と挑発。源氏側の弓の名手・那須与一が見事に扇を射ち落とし、敵からも味方からも、称賛されたという物語かな。
華女 源平合戦というのは牧歌的な戦だったのかしら。
句郎 だよね。戦争ではなく、弓の試合、スポーツのような話だよね。
華女 のんびりした時代だってことなのかしら。
句郎 『曽良旅日記』を読むと芭蕉たちは居心地が良かったのか十日以上も黒羽の館代浄坊寺宅に居候していた。
華女 昔の日本人は、とても情の深い人が多かったということなのかしら。
句郎 『おくのほそ道』の旅は芭蕉にとって死を賭しての旅であったことは確かなことであったは思うが、実際の旅は楽しい旅であったということは事実だったんじゃないのかな。
華女 楽し旅であったからこそ『おくのほそ道』のような文章が書けたということなんでしょうね。
句郎 「修験光明寺(しゅげんこうみょうじ)といふあり。そこにまねかれて行者堂を拝す」と書き、詠んだ句が「「夏山に足駄を拝む首途(かどで)かな」だった。
華女 黒羽からの旅立ち、安全祈願の句ね。
句郎 「足駄を拝む」と詠んだところに当時の旅が表現されているね。今でも山登りをする人が一番神経を使うのが靴だという話をしているのを聞いたことがあるからね。
華女 長距離を歩く旅では、今の靴より、草鞋のような履物の方が歩きやすいようにも思うわ。
句郎 そうかもしれない。靴だと水虫ができたりね。

醸楽庵だより  816号  白井一道

2018-08-09 12:54:34 | 随筆・小説


 安倍晋三はファシストだ②


 自民党第二次安倍政権は特に沖縄に住む人々の人権を軽視している。安倍政権は日本国民の人権より在日米軍の存在を大事にしている。最近こんな出来事があった。
 2008年、1月17日、 米海兵隊員2人がタクシー運転手を殴って怪我を負わせ、料金を払わず逃走した。強盗致傷容疑で米兵は逮捕された。この十年前の事件について那覇地方裁判所が判決を言い渡した。経過は次のようなものである。
 家族は沖縄防衛局を通じて米軍側に損害賠償を求め続けてきたが、米軍側からは何の回答もなかったという。 
 昨年、ようやく慰謝料を支払う旨の示談書が示された。
 慰謝料は約145万円。加害者を永久に免責するとの条件が付けられていた。家族は損害賠償請求訴訟を起こした。
 那覇地裁沖縄支部は2018年7月5日、請求をほぼ認め、米兵2人に遅延損害金を含む計約2640万円の支払を命じた。米軍は145万円以上びた一文も支払わない。残りの2495万円は日本政府が支払うことになった。
 米軍の沖縄駐留が日本国民の生活を不安にしている。日本の国民生活の安全をそこなっている。日本国民が安全に生活することを保障する日本国憲法を破壊する安倍政権と言わざるを得ない。
 日本国民が米兵に危害を加えられ訴えていることに耳をかすことをせず、米軍の言いなりになる。これが日本国の政府なのか。安倍政権はアメリカの傀儡政権なのか。疑わざるを得ない。
 日米地位協定によると日本政府は米軍駐留経費を一切支払う必要はないようだ。
 米国防総省が公表した「共同防衛に関する同盟国の貢献度報告」(2004年版=これでも最新版)によると、02年度に日本が負担した米軍駐留経費負担額は44億1134万ドル(5382億円、1ドル=当時の122円で計算)とされ、同盟国27ヵ国中でダントツの1位。続くドイツと比べ2.8倍、韓国と比べて5.2倍もの巨費を投じている。負担割合でみると、74.5%で、こちらも堂々のトップのようだ。
 駐留米兵一人当たり、1293万円もの額を日本政府は提供していたようだ。
 日本国民より日本駐留米兵を篤くもてなしていると言わざるを得ない。なぜなら現在日本国民は70歳を超えると医療費は二割負担となっている。75歳を超えると後期高齢者医療となる。後期高齢者保険料は75歳未満より高くなったと聞く。さらに追い打ちをかけるように現役世代の負担を軽くするよう現役世代と同じように3割負担にしてはどうかということを安倍政権は検討を始めたと聞く。
 私は主張したい。安倍政権が日本国民の人権を大事にするというのなら、駐留米兵への思いやり予算を減額し、日本国民への思いやり予算を増額しろと言いたい。
 東京都のような予算規模の大きな強大な地方自治体と比べて沖縄県は人口、経済規模が弱小である。日本で一番弱小な地方自治体なのかもしれない。後期高齢者、75歳以上の老人は成人の中にあって一番弱い人々であろう。一番弱い人々、一番弱い地方自治体に最も厳しい安倍政権。弱きを挫き、強きを助く安倍政権。
ユダヤ人という弱者を苛め抜いたドイツのナチス党。弱者を虐めるのがファシズムの特徴なのだろう。安倍晋三は日本の弱者を虐めている。
「ファシズムの初期症候」には「性差別の横行」という特徴があるという。
最近話題になっている杉田水脈自由民主党衆議院議員の発言である。7月18日発売の月刊誌「新潮45」で杉田氏は同性カップルについて「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と主張。日本社会は歴史的に「寛容な社会だった」とし「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか」などと記していた。
ここ数年、新潮45を含めた右派系総合雑誌に登場する「常連」の論者のひとりとして、昨年9月号では、シングルマザーについて、離婚の理由が相手の暴力でも「そんな男性を選んだのはあなた」「ある程度は自己責任」と批判。今年6月号では、「不用意に女性を持ち上げた結果」、「日本がずっと大切にしてきた価値観が失われた」などと主張している。
このような性的少数者や離婚した女性に対して厳しく虐めることを容認する安倍政権はファシズムの特徴なのだろう。強い者へ、強い者へと靡き、弱いものを苛め抜いていくのが安倍政権かもしれない。

醸楽庵だより  815号  白井一道

2018-08-08 11:32:27 | 随筆・小説



 『おくのほそ道』より「暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)」



句郎 芭蕉は『おくのほそ道』の途上、日光、東照宮に参拝した後、裏見の滝を見に行っているんだね。
華女 「暫時(しばらく)は滝に籠るや夏(げ)の初(はじめ)」。この句は日光、裏見の滝で詠まれている句なのよね。東照宮からだとどのくらいの距離かしらね。
句郎 現在の距離数でおよそ四キロ弱というところかな。
華女 今から三三〇年前でしょ。細い山道を登っていったんでしようから。二時間近くかかったんじゃないのかしら。
句郎 曽良旅日記によると芭蕉と曽良が裏見の滝を見に行ったのは元禄二年四月二日のようだ。天気は快晴だった。
華女 今の暦で言うといつになるのかしら。
句郎 新暦でいうと五月二十日のようだ。
華女 まさに新緑の頃ね。
句郎 この日、芭蕉と曽良は裏見の滝を見た後、憾満ヶ淵を見物している。
華女 お地蔵さんが並んでいるところね。
句郎 大谷川(だいやがわ)の川音と新緑の中、お地蔵さんに参っているのかな。
華女 憾満ヶ淵は一見の価値あるところよね。勿論今でも裏見の滝は見に行って良かったと思えるところであることには間違いないと思うわ。
句郎 憾満ヶ淵は男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝らしい。 川岸に巨岩があり、岩上に晃海僧正(こうかいそうじょう)によって造立された不動明王の石像が安置されている。その不動明王の真言(しんごん)の最後の句から「かんまん」の名がついたといわれているらしい。南岸には数えるたびに数が違うといわれることから化地蔵(ばけじぞう)およそ七〇体のお地蔵さんが、また上流の絶壁には、弘法大師が筆を投げて彫りつけたという伝説のある「かんまん」の梵字が刻まれているといわれているからね。
華女 あまり観光客が足を延ばさないところではあるのよね。
句郎 日光通の人が知る、知る人ぞ知る観光名所が裏見の滝と憾満ヶ淵かな。『おくのほそ道』で芭蕉が訪ねた場所なんだからね。現在、芭蕉が『おくのほそ道』で訪ねた場所は観光名所になっているところが多いが裏見の滝と憾満ヶ淵は日光の主要な観光名所にはなっていないな。
華女 日光には華厳の滝、中禅寺湖など今や世界にも知れ渡っている凄い観光名所があるからなんじゃないのかしら。
句郎 芭蕉はなぜ華厳の滝まで足を延ばさなかったまかな。
華女 華厳の滝が有名になるのは近代になってからなんじゃないのかしら。
句郎 確かに日光山輪王寺は修験道の寺のようだけれど、大きな影響力を持つことがなかったんじゃないのかな。今でも男体山山開きの日には白装束で奉納登山する人が多数いるようだけれどね。
華女 華厳の滝が特に有名になったのは自殺の名所としてだったんじゃないのかしら。
句郎 藤村操かな。
華女 「巌頭之感」よ。高校生のころ、英語の先生に教わった記憶があるわ。
句郎 「悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」
 自殺の名所、華厳の滝かな。
華女 芭蕉の知らないことよ。
句郎 芭蕉は杉の大木の林の中から東照宮を仰ぎ見て、参拝し、「あらたうと青葉若葉の日の光」と詠み、裏見の滝を見て「暫時は滝に籠るや夏の初」と詠んで日光を後にしている。
華女 滝の裏側で芭蕉は休んだのよね。汗ばんだ体には気持ち良かったんじゃないのかしら。
句郎 これはまさに夏安居(げあんご)だということなのかな。
華女 夏安居というより夏越の祓いだったんじゃないのかしら。
句郎 ちょっと早めのね。夏安居も夏越の祓の梅雨の頃のことだから、五月下旬じゃ、ちょっと早いから、滝の裏側で休んでいて、夏越の祓いだとおどけて見せたということかな。

醸楽庵だより  814号  白井一道

2018-08-07 13:20:17 | 随筆・小説



 安倍晋三総理はファシストか①

 安倍総理をファシストだと主張している政治学者がいる。一橋大学名誉教授加藤哲郎氏である。私は加藤先生のブログ「ネチズンカレッジ」の愛読者である。
 加藤先生のブログには次のような「ファシズムの初期症候」が掲げてある。
・強情なナショナリズム
・人権の軽視
・団体のための敵国づくり
・軍事の優先
・性差別の横行
・マスメディアのコントロー
 ル
・国家の治安に対する執着
・宗教と政治の癒着
・企業の保護
・労働者の抑圧
・学問と芸術の軽視
・犯罪の厳罰化への執着
・身びいきの横行と腐敗
・不正選挙
 これらのファシズム初期症候群はアメリカ・ワシントンD.C.にある「ホロコースト記念博物館」の”Early Warning Sign of Fascism”と題された展示ポスターにか書かれている14カ条のようだ。この条項を解明したのは現代アメリカの政治学者、ローレンス・ブリットのようだ。
 この14カ条に現安倍政権はすべて当てはまると主張する人がネットにあふれていることに気が付いた。例えば最初の「強情なナショナリズム」と加藤先生が訳された項目を英語で表現し、「強力かつ継続的なナショナリズム」と訳している人がいた。「ナショナリズム」を「国家主義」と訳している人もいる。
 私がよく見るテレビ番組の一つに「クールジャパン」がある。日本は素晴らしいという番組だ。在日外国人が日本各地で日本の素晴らしさを発見する番組である。私はこの番組を見て、日本を再発見した気分になる。この番組は日本人に日本の民族意識を喚起する役割をしているのかもしれない。アメリカ大リーグで活躍する大谷翔平選手を称えないなんてことはできない。大谷選手が活躍することを自分のことのように喜びたいという気持ちにテレビを見ているといつしかなっていることに気が付き、驚く。
 世界中の人々が自分の民族を誇りたい。この気持ちは実に強固なものだ。この民族の気持ちをくすぐられると弱い。日本民族を誇って近隣の他民族を差別し、見下げるようなことがあってはならない。しかし実に難しい。
 例えば、元海上自衛隊自衛艦隊司令官・海将の香田洋二氏は読売新聞1018年8月3日朝刊のコラム『論点』朝鮮戦争の「総括」不可欠で次のようなことを書いている。朝鮮戦争の「総括なき終戦は、東アジアの将来の安全保障に禍根を残す。」と書き、朝鮮戦争の「総括」とは、具体的には開戦責任を明確にすることのようだ。確かに朝鮮戦争を開戦したのは北朝鮮側であることは間違いない事実のようだ。しかし外交交渉でこのことを北朝鮮側に認めさせることは、外交交渉をぶっ壊すことになるだろう。きっと北朝鮮側にも言い分はあるだろう。日本が朝鮮を植民地支配したため、朝鮮は二つの国に分断されたとその日本の責任を追求してくるかもしれない。スターリンの命令の下、金日成は南朝鮮解放戦争をした事情など明らかにはできないだろう。朝鮮戦争開戦の責任を問うことは、朝鮮戦争終結をぶっ壊す提案だ。香田洋二氏の主張を読み、彼は北朝鮮を対等な国とは見なしていない。軍事力でアメリカや日本の意思を北朝鮮に押し付けることができると考えているから話し合いで解決しようという考えにはならないのだ。北朝鮮民主主義人民共和国をアメリカや中国と同様に対等な国として尊重することがなければ休戦協定に代わる平和協定締結にはいたらないであろう。どうも香田氏は朝戦半島の平和ではなく、戦争を望んでいるようだ。戦争によってアメリカと一体となった日本の意思、北朝鮮の非核化を強制したい。香田氏の主張には「強情なナショナリズム」がある。寛容さのない強情なナショナリズムだ。
 「強情なナショナリズム」団体である「日本会議」にとって北朝鮮は敵国なのであろう。北朝鮮や中国、ロシアを香田氏は敵国にしたいのであろう。強情なナショナリスト香田氏は北朝鮮を敵国と認識しているからこそ、読売新聞のコラム『論点』の主張となるのだ。
 日本で最も販売部数が多い読売新聞に香田氏の主張が載る。ここに今の日本の状況がある。
ローレンス・ブリット氏の言う「ファシズムの初期症候」が読売新聞『論点』香田洋二元海上自衛隊艦隊司令官、海将の主張にある。

醸楽庵だより  813号  白井一道

2018-08-06 12:45:18 | 随筆・小説


 死刑制度を廃止したい


 死刑囚が書いた本『無知の涙』を本屋で手に取り、読んだ記憶がある。二十代の頃だった。読み終えた時、衝撃を覚えた記憶が鮮明に残っている。この本を世に出したのは作家の井上光晴のようだ。彼のところに連続射殺魔永山則夫から赤い字で書かれたノートが送られてきた。そのノートを読み、衝撃を受けた井上光晴が出版社を探し、世に出た経過を知った。
 井上光晴は永山則夫の赤い字で満たされたノートに衝撃を受けていた。心が打ち震え泪が滂沱のごとく頬をつたった。永山則夫は井上光晴の知遇を得て、自分の心のうちを世に知らせることができた。井上光晴は永山則夫の生い立ちに共感を覚えたのだ。井上光晴は永山則夫の主張に真実を読んだのだ。それは愛を知らずに育った者の悲しみなのだ。
 「生まれや育ちが劣悪でも誰しもあんたのようになるわけじゃない。甘えるなといいたい」。このような発言をする者が身近にいることを私は知っている。その頃、私は定時制高校の教員をしていた。確かに生まれや育ちが劣悪でも明るく元気に日が落ちると学校に通ってくる生徒たちがいることを私は知っている。しかし、親に愛されることなく育った子供たちの大人への不信感が強いのを何度も経験している。
 徴兵され、結核を病み帰されてきた父はこれと言った治療を戦争中のため受けることができずに死んでいる。私は父の顔を知らない。戦後の貧しい生活の中でやむなく母は再婚した。私はこの義父に虐められた経験がある。年頃になった姉は風呂に入った裸姿を義父に覗き見られたと後に言っていた。大なり小なり無条件で受け入れられた経験のない子供の大人への不信感が強いのは実感をもって理解することができる。「生まれや育ちが劣悪でも誰しもあんたのようになるわけじゃない。甘えるなといいたい」。確かにそのような側面があることを認めざるを得ないであろう。しかし私は永山則夫の主張に共感する。永山則夫の主張には真実がある。永山則夫は拘置所に入れられ勉強し、知識を得ることによって人間として復活した。マルクスの『資本論』を読み、ヘーゲルの『大論理学』を学んだ。アウグスチヌスが『告白』に書いているように悪行に明け暮れた自分を反省し、神の愛に目覚めて復活したように永山則夫はマルクスやヘーゲルを読み、人間として復活した。永山則夫は著書『無知の涙』を書くことによって自分を知る事に感動している。自分は人間なのだというにことに気が付いた感動の書が『無知の涙』なんだ。永山則夫は東京拘置所の中で生きていた。人間として生きた。それ以前の拘置所の外では生きていなかったことに気が付いた。永山則夫は東京拘置所の中で濃縮された時間を満喫して生きた。このように人間として生きている人間を殺す死刑制度というものは単なる殺人に過ぎない。合法的な国家による殺人だ。
 一九九七年八月一日、四〇歳の永山則夫は死刑になった。国家が行った殺人だ。国家とは、絶対的な強さなのだと国民に知らしめる法的行為が死刑制度というものだ。国家には誰もが歯向かうことができないということを認識させられる出来事が死刑だ。
 今世界で一番死刑者数の多い国が中国のようだ。映画「死刑弁護人」の主人公、安田好弘氏は三千人の死刑者が中国にはいると述べている。絶対的な強者であると国民に徹底的に知らしめている国が中国のようだ。中国ほど日本の国は強くなくて良かったと思うと同時に私はもっと日本の国がそんなに強がらなくてもいいと思っている。永山則夫を殺す強さではなく、生かす強さを日本の国に持たせたい。永山則夫を生かし、被害者に償いをさせる強さを日本国にもたせたい。永山則夫を殺すことが犯罪を抑止するのだろうか。そんなことはあり得ない。人間を殺すこと認める社会は戦争を肯定するだろう。合法的な殺人が死刑と戦争なんだから。
「私たちは、死に向かって生きるのではない。迷い重ねながらも、最後の瞬間まで間違いなく自分という命を生き抜くために、生かされている。そうであるならば、どんな不条理に満ちたこの世であっても、限られた時間、力を尽くしていきたいと思う。どのような過ちを犯した時も、どんな絶望の淵に陥った時も、少しだけ休んだら、また歩き出す力を持ちたい。人は弱い。だからこそ、それを許し、時には支え、見守ってくれる寛容な社会であることを心から願う。」
堀川恵子著『教誨師』より

醸楽庵だより  812号  白井一道

2018-08-05 14:09:50 | 随筆・小説

 
 街の医院にて


 今日(八月三日)、かかりつけの医院に家内の薬をもらいに行った。開院は九時。私は九時五分に医院に入った。すでに十四、五人の患者が診察を待っていた。全員が老人だった。朝の明るさの中で事務の女性の華やかな声だけが待合室に響いていた。
 待合室の真ん中にある背もたれのない椅子を見つけ備え付けの読売新聞を取り、読み始めた。二面の下の方に目を向けると長谷川櫂氏の俳句のコラム欄が目に留まった。
 「祖母背負い押しつぶされし啄木忌」鈴木凛
 この句について長谷川櫂氏のコメントが載せてある。
「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽さに泣きて三歩歩まず」石川啄木
長谷川櫂氏は石川啄木の歌を紹介していた。私はこの石川啄木の歌を読み、待合室で一人微笑んだ。現代に生きるおばぁーちゃんは重いんだ。この重さに現代社会に生きる人間が表現されているんだ。ここに現代の俳句があるんだなと感じた一瞬だった。俳句は現代にあっても基本は笑いなんだ。この笑いに庶民の生活がある。ここに活力がある。ここに生きる力がある。鈴木凛さん、私はあなたのファンになりました。
医院の待合室で一人ニコニコして一時間半の待ち時間がとても短かかった。

醸楽庵だより  811号  白井一道

2018-08-04 12:10:31 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』より「行春や鳥啼魚の目は泪」

句郎 「彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かに みえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。」このように芭蕉は書いて「行春や鳥啼魚の目は泪」と詠んでいる。
華女旧暦の三月二七日というと新暦ではいつになるのかしら。
句郎 芭蕉は元禄二年に『おくのほそ道』に旅立っている。この年には閏月があったから三月二七日は新暦の五月十六日になる。
華女 「上野・谷中の花の梢」というのは嘘ね。元禄時代から上野が桜の名所だったとしても桜の花が咲いているはずがないでしょ。
句郎 この句の前詞には嘘が書かれている。この文章を素直に読むと旧暦の三月二十七日に深川から船に乗り、千住に上がって旅立ったということになっている。が、『曽良旅日記』によると旧暦の三月二十日に深川から船に乗り隅田川を遡り千住で船を上がったようだ。
華女 それから一週間芭蕉は門人と一緒に寝泊まりして旅立ちの名残の酒宴をしたということなのかしら。
句郎 俳諧を楽しみ、旅立ちの日を見ていたんじゅないかと思っているんだ。
華女 「大安の日」を待っていたということなの。
句郎 多分、そうなんじゃないのかなと愚考しているんだけどね。旅立ちの日は大安でなくちゃと芭蕉と門人たちは日待ちをしていたんだよ。
華女 分かるような気がするわ。父は私が実家を出る日を暦を見て決めていたのを覚えているわ。
句郎 旅の安全とこれが最後になるかと思うと一週間じゃ短かったのかもしれないよ。
華女 旅立ちの別れを惜しむ気持ちは現代人より強いものがあったということね。
句郎 情の篤さがあったんだろうな。
華女 『おくのほそ道』の文章は虚実織り交ぜて旅立ちの別れの情を表現しているのね。
句郎 芭蕉と同時代に活躍した人形浄瑠璃・歌舞伎作家であった近松門左衛門は次のようなことを述べているんだ。「今時の人は、よくよく理詰めの実らしき事にあらざれば合点せぬ世の中、昔語りにある事に、当世受け取らぬ事多し。さればこそ歌舞伎の役者なども、とかくその所作が実事に似るを上手とす。立役の家老職は本の家老に似せ、大名は大名に似るをもつて第一とす。昔のやうなる子どもだましのあじやらけたる事は取らず。近松答へて言く、この論もつとものやうなれども、芸といふものの真実の行き方を知らぬ説なり。芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるものなり。」このような近松の芸術論を「虚実皮膜」と言うそうだ。旅立ちの真実、その情というものを虚実織り交ぜて芭蕉は表現していると思っているんだ。
華女 虚と実の間に真実があるということなのね。
句郎 文学や演劇、絵画、音楽など芸術全般に言えることなんじゃないかと思っているんだ。
華女 芭蕉にしても近松にしても実に近代的な考えを持った人たちだったのね。
句郎 日本の近代は江戸時代からという説があるくらいだからね。
華女 確かに魚が別れを惜しんで目に泪をためるはずがあるはずないと思うものね。
句郎 別れを惜しんで「鳥啼魚の目は泪」することは絶対ないことだろうからね。
華女 「行春」の情をこの句は表現しているわね。
句郎 『おくのほそ道』は「船をあが」り「行春」で始まり、「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」。「また船にのりて」、「行秋」で終わっている。出会いと別れ、永遠流転を表現した。

醸楽庵だより  810号  白井一道

2018-08-03 12:24:26 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』より「草の戸も住替る代ぞひなの家」


句郎 華女さん、「おくのほそ道」に出てくる最初の句「草の戸も住み替る代ぞひなの家」をどのように鑑賞するのかな。
華女 私の持っている「おくのほそ道」では著者の堀切実は「天地の流転の理法そのままに、わびしい自分の草庵も、次の人がもう代わりに住んでおり、あたかも雛祭のころなので、自分のような世捨人の住まいとは異なり、雛を飾った普通の人の家になっていることだ」。このように鑑賞しているわよ。
句郎 なるほどね。堀切実のようなのような鑑賞に対して俳人の長谷川櫂は異論を唱えているんだ。
華女 どこに問題があるの。
句郎 だってそうだろう。芭蕉は自分の住んでいた草庵を他人に譲り、その他人の家族が移り住み、雛段を飾っているのを見て、詠んでいるという解釈だよね。そうだとすると他人がすでに住み、その部屋の中に芭蕉は入り「面(おもて)八句を庵の柱に懸置」ことをしたことになるでしよ。そんなこと実際にはしないし、できないと思わない。
華女 言われてみると、確かにそうね。それじゃ、あまりにも図々しすぎるわね。
句郎 そうでしょ。だから、この句を芭蕉が詠んだのは草庵を引き払う直前に詠んでいるということになるでしょ。芭蕉の草庵に引っ越してきた人は草庵の柱に懸けてあった八句を見たのじゃないかな。
華女 そうすると芭蕉は雛段を飾り、雛祭を祝っている家族を見ないでこの句を詠んでいるのかな。
句郎 多分、そうなんじゃないかな。
華女 そうすると、解釈というか、鑑賞はどのように変わってくるの。
句郎 芭蕉は自分が住み慣れた庵をいよいよ立ち退くときがきたと感慨にふけった。住替る代が巡ってきた。新しい主には家族があるのでやがて雛祭には雛人形が飾られ、今までの独り者のわび住まいと打って変わり華やぐことだろう。
華女 芭蕉は「ひなの家」を見ず、ただ想像しただけなの。
句郎 長谷川櫂はそう主張しているんだ。
華女 立ち退く草庵を想い、変わり行く草庵の幻影を見たという句なのね。
句郎 長谷川櫂は蕉風俳諧の特徴を実際に見たものと想像したものとの取り合わせにあると主張している。
華女 それを蕉風というの。
句郎 そのように思うけど。
華女 よく蕉風俳諧の代表的な句に「古池や蛙飛び込む水の音」があるでしょ。この句も実際のものと想像したものとの取り合わせなの。
句郎 そのように長谷川櫂は主張しているよ。
華女 それじゃ、古池に蛙が飛び込む水の音を聞いたという句じゃないの。
句郎 芭蕉は庵の中で蛙が水に飛び込む音を聞いた。その音に刺激されて芭蕉の心の中に古池のイメージが浮き上がった。このように長谷川櫂は「古池」の句を理解しているようなんだけれどね。華女さんはどう思うかな。
華女 長谷川櫂は「草の戸も」の句も「古池や」の句も句の成り立ちは同じだと主張しているわけなのね。
句郎 そうなんだよ。「おくのほそ道」の行脚に出る前に「古池」の句を芭蕉は詠んでいるんだ。


醸楽庵だより  809号  白井一道

2018-08-02 11:06:04 | 随筆・小説


 明治一五〇年に思う⑱


句郎 先日、仲間の市議会議員さんが落選してしまった。商店街を基盤にして市会議員五期の実績を持つ議員さんだったんだ。
華女 一緒に唎酒を楽しんでいる人ね。
句郎 そうなんだ。彼の商売は古着屋だったから。アメリカから着古しのジーパンを輸入して、手広く商売していた。
華女 商店街が賑わっていたころのことね。
句郎 一九七〇年代から八十年代が最も彼の商売が儲かっていたころのなのかな。
華女 ケイさんとの付き合いも二十年近くになるんじゃないの。
句郎 そんなになるかな。
華女 なるんじゃないの。唎酒の会を始めて二十年以上になるんじゃないの。ずっとケイさんは参加していたんでしょ。
句郎 うん。そうだな。
華女 商店街も寂れてしまったからなんじゃないの。
句郎 そうだと思う。商店街が活況を呈していたころが日本の資本主義が全盛のころだったんじゃないかと思うんだ。
華女 バブルの頃が全盛だったんじゃないのかしら。
句郎 もうバブルの頃は衰退の現れだったのかもしれないな。
華女 何か、享楽的な雰囲気が充満していたような気がするわ。
句郎 そんな気がするな。だから仲間に言ったんだ。大学の講義で初めて『西洋の没落』を第一次世界大戦後、ドイツの哲学者シュペングラーが書いているという話を聞いた。さらにホイジンガーの『中世の秋』を読んだ話をしたんだ。今、日本は「近代の秋」、「日本の没落」の時代を生きているのではないかとね。ケイさんの落選は商店街の衰退の結果なんじゃないのかとね。
華女 市役所が新開地に移転してしまったので今まで市の中心だった商店街から人がいなくなってしまったんじゃないの。
句郎 郊外には大きな大きなショッピングセンターがいくつもできた。大きな大きな駐車場を完備しているから駅から遠くても何の障害もない。ただ大きな道路とつながっていればお客さんは集まってくるみたいだ。
華女 そうなのよ。車の運転が難しい老人たちが買い物難民になっているのよ。老人にとっては、身近なところにある商店街が便利だったのに。
句郎 ヨーロッパ中世の秋は同時に封建反動の時代だったんだ。
華女 封建反動とは、どんなことを言うの。
句郎 封建領主の収入が減ってくると領民への収奪が厳しく、税金が高くなっていくというようなことを封建反動というんだ。日本でも江戸時代、町人の台頭によってお武家さんの収入が厳しくなっていったということがあるじゃない。
華女 大きなショッピングセンターのようなものができるということは、ある意味経済の発展なんじゃないの。
句郎 大きな資本の出現は中小の資本の没落につながるからね。大きな資本と一緒に中小の資本も同時に発展していくということはないようだ。
華女 大きな資本が儲かれば、そこからしたり落ちてくるというトリクルダウンということが言われたが、そんなことはなかった。中小の資本はつぶされただけのようだ。
句郎 資本の規模が大きくなればなるほど資本主義経済は衰退していくような気がしてならないんだ。
華女 アイロニーね。
句郎 矛盾かな。今、資本主義反動の時代だと思っているんだ。ヨーロッパにおける中世の秋は封建反動の時代だった。この時、アジアから持ち込まれたネズミが媒介したペストの大流行があり、ヨーロッパの人口の三分の一くらいが亡くなってしまったと言われている。ヨーロッパにおけるペストの流行はアジアとの交易の発展の結果だった。今気候変動は経済活動の隆盛の結果なのかもしれない。気候変動が山火事、台風、大雨、熱波などで世界中が苦しんでいる。

醸楽庵だより  808号  白井一道

2018-08-01 12:04:02 | 随筆・小説


 唎酒を楽しむ




A、雪の茅舎純米吟醸酒 秘伝山廃生酒  720ml 1900円 
  秋田県由利本荘市  株式会社齋彌酒造店
  酒造米:国産米  精米歩合:55%精米  アルコール度数:16度
  杜氏日本一と言われている高橋藤一氏が醸したお酒。

B、三連星無濾過生原酒純米直汲み 限定品   720ml 1475円
  滋賀県甲賀氏 美冨久酒造株式会社
  酒造米: 滋賀県産吟吹雪 精米歩合:60% アルコール度:16度 日本酒度:+5.5 酸度:1.6
  仕込み水:鈴鹿山系伏流水

C、高千代 夏限定のおりがらみ   720ml 1200円  
  新潟県南魚沼市魚沼市  高千代酒造株式会社
  扁平精米 酒造米:美山錦 精米歩合:65% 日本酒度:+19大辛口 アルコール度:18度 酵母:G9
  このG9酵母は新潟県内限定で使用できる酵母で、香りのバランスが良く酸が少なく、発酵力が旺盛な非常に優秀な酵母です。そしてカプロン酸が多く出るため超軟水の仕込み水と高度な精米によってきれいな味が乗る、雑味のない甘さと美味さ、そして酸の抜けが良いお酒ということになります。

D、雪の茅舎 山廃本醸造酒  720ml 1000円
  秋田県由利本荘市  株式会社齋彌酒造店
  精米歩合:65%  アルコール分15度 
  
E、群馬泉 山廃酛本醸造 720ml 898円  
 群馬県太田市   島岡酒造株式会社 
 日本酒度:+3 酸度:1.6 アルコール度数:15.5%
 ボディある、熟成味豊かな本醸造で山廃特有の力強さは、お燗でその風味を一段と高めます。
美しい上毛の山々と利根、渡良瀬の清流に囲まれた、ここ新田荘宝泉郷(現太田市)は、古代東国文化の中心をなし又建武の忠臣新田一族発祥の地で地名の示す様に豊かな史跡と清冽な水資源に恵まれた処です。井水はミネラルを多く含む硬水で、その特質を生かす造りが山廃もとと考え、永年にわたりそれを貫き通しています。


酒塾のしをり  第二八号。
 名酒「雪の茅舎」を醸す杜氏高橋藤一さん(昭和二十年生まれ)の言葉。
「ただ単に『うまい酒』を造れば良いということでなく、この蔵の地形と良質な水源からの恩恵を生かした私たちの酒造りというものを、如何に一杯のお酒で伝えることができるのか、を常に意識しています。時代により変化する消費者の嗜好に合わせ試行錯誤を続け、私たち蔵人も消費者の目線に戻って、家族の団らんの中にあるお酒とはどんなものかを考えた酒造りが大切です。また私に酒造りの全てを一任させてくれる齋彌酒造だからこそ、表現したい酒造りに専念できますが、その責任の大きさも常に感じますね。齋彌の酒を飲むことで、由利本荘の街並みや文化など雪深いこの地の風景を思い浮かべていただけるような、生活の一部に癒しや潤いを与える酒造りを常に志しています。」『秋田蔵元ガイドより』

 高橋藤一杜氏が醸す「雪の茅舎」が美味しかった。米の旨味が濁ることなく、すっきり表現されていた。口の中でつっかえることなく、清冽な泉の水が喉に流れていく。この爽快感に夏の酒だという実感を覚えた。がしかし「雪の茅舎」を醸す蔵の風景が瞼に浮かぶことはなかった。「群馬泉」、この値段でこの味、普段も自宅で楽しむには十分だ。山廃酛の力がなせる業なのかなとしばし感慨にふけった。