8月3日に広島で開幕した原水爆禁止2013年世界大会は、7日から9日の長崎大会で終了しました。
今年の世界大会は、被爆70周年であり、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれる2015年にむけて、核兵器廃絶を求める、熱い、根源的な議論が行われた大会であったと強く感じました。
核兵器廃絶の「根源的議論」の中心点は、「核兵器の非人道性の告発の課題」であり、「被爆体験の継承と普及」です。
長崎大会決議、「長崎からのよびかけ」の冒頭には、今年7月に亡くなった長崎の被爆者・山口仙二(82歳)さんが1982年第2回国連軍縮特別総会で演説した内容で始まっています。
「私の顔や手をよく見てください。
世界の人々、そしてこれから生まれてくる人々、子どもたちに、私たちのようにこのようなな被爆者に、核兵器による死と苦しみをたとえ1人たりとも許してはならないのでありますーー」
9日の長崎平和式典で田上富久長崎市長は、「平和宣言」の中で、「68年前の今日、このまちの上空にのアメリカの爆撃機が、1発の原子爆弾を投下しました。 24万人の市民のうち、7万4千人の方々が命を奪われ、生き残った被爆者は今もなお、白血病やがん発病への不安、深い心の傷を抱え続けています」と訴え、「日本政府に、被爆国としての原点に返ること」を求め」ました。
その上で、日本政府が今年の4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された「核兵器の非人道性を訴える共同声明」に、日本政府が署名せず、世界の機体を裏切ったことを指摘し、次のように、訴えたのです。
「人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します」と安倍首相が参加している式典で厳しく指摘しました。
世界大会に参加し、被爆者と懇談したオリバー・スト―ン監督は、被爆者に対して「大きな苦しみを受け、しかしその記憶を伝える責務を持ち、愛にあふれ、世界を本当に良くしたいという理想にあふれた大事な方々だ」(「しんぶん赤旗」7日付、広島で)と語ったといいます。
日本政府の核兵器廃絶を裏切る異常な言動がつづく中で、被爆者ととも、若者とともに、いま、日本の国民が世界の人々と大きく連帯して、「核兵器廃絶」にむけて行動に立ちあがりつつあることを実感しました。