14日、15日と2年ぶりに帰省し、両親と兄親類関係の墓参をしました。
先の戦争で父親の3人の男兄弟は志願、徴兵の違いがありましたが、出征し、帰還できたのは父親だけでした。
最も若い伯父は、フィりピンの激戦地で戦死し、今も遺骨すら帰ってきていません。 ラバウルの激戦地から奇跡的に生還した父親は、長い間戦争体験を語らず、マラリヤ病を抱えての生還であったため、年に1度以上は高熱に何日も襲われ、仕事を中断しなければなりませんでした。
アジア諸国民2000万人、日本人310万人の命を奪った日本の侵略戦争は敗北し、第2次世界大戦後の国際秩序は、日本、ドイツ、イタリアによるファシズムと侵略戦争を断罪し、2度と繰り返さないことを共通の土台としています。
終戦の時、私は2歳で、終戦時の記憶はありません。 その後、高校卒業後の1962年4月に横浜税関に就職しました。
当時の横浜市内に各所に米軍の施設が残っていていました。 横浜税関の本館が米軍から返還されたのは、1953年(昭和28年)であり、あの戦争末期に、税関は閉鎖(1943年)され、再開は1946年6月であったことを知りました。
私は、それ以来、憲法が生かされる税関行政、平和のために国の仕事を考え続けました。
8月15日、安倍内閣の3名の閣僚が靖国神社を参拝し、安倍首相は「玉串料」を奉納しました。
また、政府主催の全国戦没者追悼式の式典で、歴代首相が表明していたアジア諸国に対する加害の「反省」や「不戦の誓い」を表明せず、歴史逆行の姿勢を改めて示しました。
憲法を守り、生かす「新しい日本」を実現するための国民共同のたたかいの発展に力を尽くすことを誓った日となりました。