宮応かつゆきの日本改革ブログ

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スターリン秘史第15章「謀略のバルカン作戦(上)」”日ソ中立条約とスターリン”

2014年03月22日 | 綱領関連

 不破さんの「スターリン秘史ー巨悪の成立と展開」は、第15章を迎えました。 今回は、予想を超えて「謀略のバルカン作戦」(上)でした。 私は、スターリンを油断させ、一気にヒトラーの謀略作戦「バルバロッサ作戦」の発動へと進むのではないかと考えていました。

 実は、その前段の「バルカン作戦」があったわけです。 今回の連載では、久しぶりにディミトロフ「日記」が登場しています。 「ベルリン会談前後のディミトロフ」です また、「中国。 蒋介石政権との抗争」も興味深い内容でした。

 そして、第15章の最後に、「日ソ中立条約とスターリン」が叙述されています。 この条約がどのような背景のもとに調印され、歴史的にどのような役割を果たしたのか、重要な指摘がされているように思いました。

 1941年4月13日午後2時、日ソ中立条約は成立しました。 (「日本側の全権代表は、松岡洋右外相」)

 不破さんは、日ソ中立条約の役割について、第15章の最後の部分で次のように指摘しています。

 「この時の松岡は、ドイツを訪問してヒトラーやリッベントロップと会談を重ねたばかりの、ドイツの同盟国日本の外相でした。 その松岡による『大きな問題』を前面に押し出しておこなった状況説明が、スターリンに、ドイツ側の4ヵ国同盟提案がまだ生きていることを再確認させる重要な契機となったことは間違いありません。 結果的に言えば、松岡は、リッベントロップの勧告を無視して『大きな問題』を論じたことによって、1941年4月という、ドイツの対ソ開戦を間近に控えた段階で(「バルバロッサ作戦」での開戦予定日は5月15日でした)ヒトラーの謀略作戦に最大の奉仕をする結果となったのでした」(「前衛」誌4月号231頁)

 この中で触れられている「大きな問題」とは、中立条約交渉が決裂直前の段階、同年4月12日に行われたスターリンと松岡との会談の際に松岡が述べた説明です。

 不破さんは、「4月12日の会見の冒頭、松岡が日本とソ連との友好関係の意義を強調すると、スターリンは『三国条約がそれを邪魔しないだろうか』と口をはさみました」

 「それに答える形で、松岡は、『その逆である。 ドイツとの条約締結は日ソ関係を良くするはずである。 このような考えでベルリンでリッベントロップと話し合ってきた』と答え、日ソ関係の根本的な解決に必要なのは、『細かい問題に引きずられたり、こだわったりせず、アジアと世界全体を考えるという角度から解決を図ることである』、『これらの問題【小さな問題】の解決は必要だが、今ではない。 後でよいということだ』と述べ、4ヵ国条約の案に盛られていた考えに沿って、松岡なりの世界論を披歴しました」

 「大局的見地に立って、ソビエト連邦がインドを経由して暖かい海のインド洋に向かって出てゆく場合を考えれば、それ【小さな問題は先送りすること】は許されるべきだと思うし、もしソビエト連邦がカラチ港(「アラビア海に面するインド有数の港湾都市。 現在はパキスタンの第2の都市)を自分のものにしたいと求めるなら、日本は目をつぶるだろう。 ドイツのスターマー特使が来日した時、私は、ソビエト連邦がイランを通って暖かい海に向かおうとする場合には、ドイツがこの問題を日本と同様に扱うように言っておいた」

 「私は若い時から、アジアの運命を決めるのは日本とソビエト連邦という二つの大国であると確信してきた」(同誌  229頁)

 スターリンは、これに敏感に対応し、次のように述べたとのことです。

 「ソビエト連邦は、大きな問題に関しての日本、ドイツ、イタリアとの協力を原則として許容できるものと考える。 このことについてはモロトフ同志がベルリン訪問中に、三国条約を四国条約にすることが議題となった際、ヒトラーとリッベントロップに通知した。 しかし、ヒトラーは今のところ、外国からの軍事援助を必要としていないと言ってきた。 このことを考慮すれば、ドイツと日本の事業がうまくいかなくなった場合においのみ、四国条約と大きな問題でのソビエト連邦の協力の問題が発生すると考える。 このため、今われわれは日本との中立条約に限って話をしたいと思う。 この問題は間違いなく機が熟している。 これは、大きな問題に関する将来にむけての最初の一歩、重要な一歩となろう」(同誌 230頁)

  いま、ロシアのプーチン政権が、クリミア併合を強行していますが、 このロシアの覇権主義を日本共産党は厳しく批判しています。

 19日の志位委員長の声明では、プーチン大統領の演説のなかの「ロシア世界、歴史的なロシアが統一を回復しようとしてしている」ことに対し、「プーチン大統領のいう『ロシア世界』なるものが、旧ロシア帝国の版図を意味するものとすれば、その危険性はクリミア問題にとどまらないものになる」と指摘しています。

 ロシアの領土拡張主義、覇権主義の根深さを痛切に感じされられます。 しかし、21世紀の今日はこの横暴は決して通用しないでしょう。