英語と書評 de 海馬之玄関

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自民党解体は<自民党>再生の道

2010年03月06日 15時05分24秒 | 日々感じたこととか


自民党の与謝野元財務大臣が、自身「離党」を覚悟の上で谷垣禎一自民党総裁に退陣を迫る決意を固めた。そんな報道を目にしました。蓋し、この動きを私は支持します。

昨年の総選挙、自民党の主要な敗因は「麻生降ろしの跳梁跋扈=組織の呈をなしていない自民党」の見苦しさにあった。そう批判してきた弊ブログが今回はなぜ総裁退陣要求の動きを支持するのか。本稿は、この点を導きの糸にして、自民党再生の道、否、「自民党解体→自民党再構築」の道筋と私が考える理路を俎上に載せるものです。


■自民党敗北の構図
そもそも、なぜ、自民党は下野せざるを得なかったか。そして、民主党政権発足から既に半年、それが数多の不祥事と幾多の拙劣さを露呈しているというのに、なぜ、自民党の支持率は低空飛行状態なのか。この点につき、昨日アップロードした記事(↓)で私はこう記しました。

・自民党、徴兵制復活を検討とな? これ「必須科目」からの逃避ちゃう?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/13ac33c0c86180c946651755c142749e


なぜに、自民党の支持率は低空飛行を余儀なくされているのでしょうか。畢竟、それは、自民党の支持率が一向に芳しくない理由、つまり、三年前の<7・29>の参議院選挙と昨年の<8・30>の総選挙で有権者が自民党的政治の何に不満を感じて、「もう、自民党政権が継続するのだけは勘弁!」とばかりに、不安てんこ盛りの民主党政権を選んだのかが全く総括されていないからだと思います。

蓋し、自民党の支持率低迷の根幹は「筋の通った経済政策」の不在にある蓋し、<7・29>と<8・30>の敗北の理由は論者によって様々でしょう。而して、それが検証不可能である限り、「自民党はなぜ負けたか」の問いは解答が見出せないタイプの問いかもしれません。よって、以下に述べることはあくまでも「仮説」にすぎないのですが、私は、その理由と原因を(経済情勢の悪化は別にして)次の3点に集約すると考えています。

①構造改革の断行と地方再生の同時実現のビジョンを明確に示せなかったこと
②安倍政権以降、かっての守旧派勢力の蘇生と横行を許したこと
③麻生降ろしに象徴的な「組織の呈をなしていない」状態を露呈させたこと
    
すなわち、保守層有権者にとっても政治にまず第一に期待することは経済政策であり、小泉構造改革の後、どのような産業構造を具現していくのかを安倍・福田の両政権は国民に示すことができず、他方、それを「構造改革の断行と地方再生の同時実現」として示した麻生政権は、しかし、その目的地に至る具体的なマイルストーンを国民に告知する前に(「政党の呈をなしていない民主党」よりも遥かに下劣な)「組織の呈をなしていない自民党」というイメージを有権者に与えてしまったことがその敗因である、と。

この私の仮説は、対北朝鮮強硬策は当然のこと、例えば、首相の靖国神社参拝にせよ、南京・慰安婦・強制連行という反日プロパガンダの打破にせよ、あるいは、夫婦別姓や外国人地方選挙権への反対にせよ、これらどちらかと言えばイデオロギー的なイシューについて自民党の本来の主張を支持する「保守派」が<7・29>と<8・30>から現在に至るまで一貫して(自民党議員と保守系民主党議員の得た得票数から算定する限り)有権者の過半を占めているのに関わらず、そして、再度述べますが民主党政権発足以来、細かく数えれば2ダースを上回る<敵失>にも関わらず、自民党の支持率もまた低迷していることを鑑みれば満更荒唐無稽な仮説ではないのではないか。と、そう私は考えています。

而して、もちろん、対北朝鮮政策、首相の靖国神社参拝、南京・慰安婦・強制連行、そして、夫婦別姓や外国人地方選挙権は大変重要なイシューであることは間違いないけれど、それは「必須科目=経済政策」で及第点を取って初めて、政党の評価項目になるのではないか。而して、私のこのような認識からは「徴兵制を検討」などいう奇策はアドバルーンとしても愚劣である。なぜならば、それは自民党に期待しているコアおよびポテンシャルの支持者にとっては、(経済政策の路線対立を巡って党内抗争の勃発や党分裂を恐れるためか、世間の耳目を集めはするが)国民が政党を評価する際の必須科目への正面からの取り組みを「回避-先送り」した姑息に他ならないから。と、そう保守層は受け取るのではないかと私は考えます。
    


換言すれば、私は自民党再生の道筋(否、自民党などは潰れてもかまわない! よって、正確には「保守政党再生」の道筋)は以下の3点に集約されると考えています。

・構造改革と地方再生の同時実現のビジョンとマイルストーンの提示
・労組・官僚を結節軸とした守旧派勢力との決別
・納期を明らかにした上での路線論争と保守政治家再結集の同時遂行


失われた10年と揶揄されながらも、急激な社会変動を避けてソフトランディングした日本のやり方は、その当否は別にして一つの智恵だったのかもしれません。けれど、いよいよそのやり方の限界が誰の目にも明らかになり、よって、急激な社会変革を妨げてきた「政官財+労組」の<戦後権門体制>の解体が希求された。

これが、小泉政権発足以来、基本的には現在まで続いているこの社会経済を取り巻く基本的な構図だと思います。そして、民主党政権は自民党政権に比べて遥かに非力であり拙劣。ならば、「自民党政権=保守政権」への政権再交代は4-5年のスパンで見れば歴史的必然でさえある。蓋し、その時まで日本が存在していればの話ですけれども。






■自民党再生の道筋
大衆民主主義下の福祉国家における政治とは、マックス・ウェーバーが喝破した如く、「理想の旗を常に掲げながら、現実を一歩でも理想に近づけるために行なわれる妥協と説得の積み重ねの中で多数派を形成していく営みに他ならない」と思います。ならば、かって、左翼がそれで衰退したような「排除の論理」は最後の手段でしょう。

蓋し、連合赤軍事件や「中核vs革マル」の抗争劇を見ても、組織の純化は手のひらサイズの政治を効率化するためには有効かもしれないけれど、少なくとも、グローバル化の昂進の中、社会の構成メンバーが多様な価値観を背負い相互に交錯する利害を帯びる主権国家規模の政治に関しては「排除の論理=最後の手段」ということです。

よって、朝日新聞的な独善と教条を排し、差別排外主義を拒絶するメンバー間でなされる路線討議の中で党の方針を定め、一人でも多くの保守の政治家を「小異を捨てて大同につく」ように促すべきだと思います。そして、安全保障政策、拉致問題、首相の靖国神社参拝、南京・慰安婦・強制連行、そして、夫婦別姓や外国人地方選挙権の諸問題についてことごとく鋭い党内対立を抱える民主党に比べれば「自民党≒保守政党」が分裂しなければならない理由は乏しいかもしれない。

では、こう考える私がなぜ谷垣退陣を支持するのか。それは、「麻生降しと違い、谷垣降しが野に下った自民党内の出来事」だからか。否、です。逆でしょう。「政権=求心力」が作用する政権与党においてよりも野党においての方が「小異を捨てて大同に就く」必要性は大きいと言えるでしょうから。では、なぜ私は谷垣退陣を支持するのか。その理由は以下の3個です。

①路線論争を避け党の基本政策の集約を「回避-先送り」する総裁に存在理由はない
②民主党政権の「穴だらけの政策/危険な政策」に対して、国民運動を組織しようとしない自民党総裁はその使命を果たしていない
③自民党の再生、すなわち、「自民党解体=自民党の再構築」は清新な執行部しかなしえない


この半年でこれらのことがはっきりしたこと。すなわち、民主党のあまりの拙劣さを見てでしょうか、党内抗争を恐れてでしょうか、党の基本政策の集約を先送りして「敵失による棚ボタ式の政権再交代」を狙うような、汗をかくことを厭う政治家は野党の指導者たる資格はない。また、守旧派勢力との決別のためには、しがらみにとらわれていない清新な人材の登用が不可欠。すなわち、私は一貫して次のことを主張しているのです。

・基本政策を集約できない政党は組織ではない
・自民党は組織の呈を取り戻せ


蓋し、組織の呈を欠いたまま惰性に流されている自民党が再生するためには、組織の呈を取り戻す上での「障害=谷垣総裁」は取り除かれなければならない。而して、路線論争を有権者国民に可視化する上で、それが有効であるならば「自民党の解党→保守政党の再構築」という手順も十分合理的な選択肢でありうる。つまり、「組織の呈をなしていないこと」を、<7・29>と<8・30>の自民党敗北の原因と考える私は、この同じ認識に立って「谷垣退陣」を支持するのです。



■「自民党」の解体は<自民党>再生の一里塚
民主党の<8・30>総選挙における地滑り的な勝利の基底には、しかし、もう一つの原因があったのではないか。そう私は考えています。而して、それは、(1)国民が自民党的政治に閉塞感を覚えていただけではなく、(2)民主党が撒き散らしてきた「政治や権力の万能感」を前提とした、政治自体に対する過剰な期待と、現下の自民党政治に対する軽蔑が蔓延していたのではないかということ。

けれども、グローバル化が進む福祉国家においては、逆に、政権のフリーハンドの余地、すなわち、権力や政治に新しくできることは極めて限られている。このことは、この半年間、民主党政権自体が日々国民に教育してくれている。ならば、自民党が政権奪還できるかどうかの成否は、自民党が古い自民党から決別できるかどうかにかかっている。と、そう私は考えています。

而して、サッチャー体制の保守党政権下で、英国労働党はブレアを育てて、満を持して政権を奪取、長期政権につなげた。他方、正直、政府を運営し、国家を経営するスキルの点では、2010年3月の今の今であれば能力的には「麻生太郎」という選択肢しか日本にはないようにも思う。

しかし、歴史のダイナミズムの中で「麻生総理=最後の15代将軍」が再登板するのは難しいだろう。まして、健康問題を理由に退陣した、また、経済政策の統一的ビジョンも示せなかった「安倍晋三」カードは全有権者を想定した場合金輪際あり得ない。そうなれば、自民党は、新しい党首を全党を上げて育てるしかないの、鴨。選挙目当てのお飾りとしてではなく、「次の宰相」として育て盛り立てるしかないの、鴨。と、そう私は考えています。

蓋し、鎌倉幕府が、それ自体歴史的必然である北条得宗体制の強化に起因する経済社会の閉塞感の中で、現在の民主党政権と酷似した、史上最低の「天皇-後醍醐」の新政に移行するも、僅か数年で「新しい皮袋=足利尊氏公」のもと日本が再建された故事。これこそ我々保守改革派がイメージすべき歴史の教訓ではないか。

新しい酒は新しい皮袋へ。ならば、ここは稲田朋美・小池百合子・櫻井よしこ、等々の新しい有為の人材を棟梁陣に据えて反転攻勢をかけるべきのみ。そうでなければ、自民脱藩組の保守系新党は単なる「選挙互助会」と国民有権者から足元を見られるだけに終わるかもしれない。ならば、党一丸となって自民党は自身を「解体→再構築」して新総裁を盛りたてるに如かず。と、そう私は考えています。



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