本書を手にしたのは本当の偶然でした。図書館の新刊本コーナーに並べらているのを見かけたから。本当にそれだけです。もちろん、英語教育屋さんの端くれとして新しい英文法書に興味がないわけではない。また、名著『英文法解説』(金子書房)の著者として、あるいは、現在、--使い勝手の点では『ロイヤル英文法』(旺文社)にやはり劣るものの--日本語で解説が読める最も秀逸な英文法書であろう『実例英文法』(オックスフォード大学出版局)の訳者として、英語教育畑の人なら「江川泰一郎」の名前を知らない向きは少ないというもの。
けれど、確か、江川先生は数年前になくなられたはず、じゃ、この新刊本は復刻版かしらね。とかとか、思いながら本書を手に取った。而して、そう厚くもない、巻末の索引を入れて267頁の見知らぬ『英文法の基礎』(研究社・2014年4月)を読了するのに4時間とかからない。連休中のよい暇つぶし。
で、その結果は、
その結果は驚愕。
というか、愕然。
理由は二つあります。
第一の理由は、本書の内容が、
KABUの英文法体系と酷似していたこと
(尚、枝葉ごとですが、わたしは21世紀の今も、
「一人称単純未來のshall」は、仮定法との接続と
主張の明確さからみて、特に、日本人には便利で
相性がよいと思います)
KABUの英文法の体系に関しては公開しているものとしては、
とりあえず下記の拙稿を読んでいただきたいのですけれども、
・再出発の英文法:『再出発の英文法』と英文法の体系
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/456520dd47a80deecba9b890028a6c0e
・『再出発の英文法』目次
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f49121d5434770e6c0ca02c9161634bd
要は、本書『英文法の基礎』(初版は同じ研究社から「上下」の2巻本として1956年に上梓)は、英文法ルールの体系的な説明のやり方として、「まず「英文の組み立て」と「時制」に的を絞り、この2つの基本を理解した上で、修飾語句→準動詞→関係代名詞という順番で英文構造の理解を深めていきます。そして、最後に仮定法の勉強で締めくくる、という構成になっています」(本書新版冒頭の薬袋善郎さんの「解説者はしがき」から抜粋)というもの。
それは、英文法のルールを、
(α)語の配列のルール
(β)語の変化のルール
の総体として捉え、その結節点に人称・時制・態・法を巡る述語動詞の4変化を位置づける。而して、その後、修飾のルールとして、形容詞的な限定修飾と副詞的な状況修飾、更に、準動詞および関係代名詞の理解にすすむという私の英文法ルールの体系的な説明のやり方と瓜二つと言ってよいもの。というか、仮定法が説明の便宜上最終章に置かれている以外、私が生まれる前に出版された本書を、私は結果的に「剽窃」あるいは「盗作」していたと言われても満更文句も返せないお恥ずかしい立場にある。そのことが判明したという話なのです。赤面。
流石は--その活躍時期を基準にして--、『総解英文法』(美誠社・1970年)の著者、高梨健吉(1919-2010)さんと並んで戦後第一世代を代表する英語学者の江川泰一郎(1918-2006)さん。私は、江川泰一郎さんの掌の上で滑稽にも「自説の独自性」を毫も疑わずこの10年余を生きてきたということ。赤面。
(><)
では、なぜに本書と私の英文法の体系的な理解の仕方が似ていたのか。
はい、種明かし。そして、それが本書を読んで愕然とした第二の理由なのですが・・・。
それは、本書の初版、上下の2巻本を私は父に買い与えられ--というか、終戦直後の戦後、新しくできた大検制度を経て、本書の初版が出版された前年に働きながら大学を卒業した数学専攻の父は英語が苦手であり、卒業後も良質な英文法書を求めて本書に遭遇した形跡が濃厚--、小学校高学年のころから高校卒業まで、はったり抜きに20回近く通読したことがあるのでした。
最初、その事実に気づかず、新版の4頁、10頁-11頁の懐かしいイラストを目にした衝撃は、それから数日が経過した現在も鮮やか。畢竟、世の中には摩訶不思議な話はないということ。要は、私の英文法理解の基底には元々、本書『英文法の基礎』があったというだけのお話。
実に、懐かしい。
実に、清々しい。
本書の内容については研究社のサイト記事(↓)を読んでいただくとして、
以下読後の感想。
http://webshop.kenkyusha.co.jp/book/978-4-327-45263-6.html
著者が戦後第一世代に属するためもあるのでしょうか、本書には良くも悪くも、日本の英文法研究の<英雄時代>を彩った--つまり、海外の学説の単なる受け売りではない日本独自の、しかし、国際的な水準や学問的関心とは些か切り離されたところでビッグネームが雄々しく活躍した時代、例えば、ドイツ語学における関口存男(1894-1958)の如き、--正則英語学校の創立者、斎藤秀三郎(1866-1929)、あるいは、市河三喜(1886-1970)、もしくは、勝俣銓吉郎(1872-1959)の諸先生の著作のような独自性や躍動感は感じられない。
良く言えば肩の力が抜けてすっきりしており、悪く言えば個性が乏しい。それは、例えば、現在、英米で出版されている初学者用の英文法テクストの翻訳のようなもの、鴨。けれど、よくよく読み込んでみると、ある意味、現在、例えば、『実例英文法』が体現している方向性と水準が37歳の著者が初学者のために練り上げた本書にはひっそりと可憐に華開いているのではないか。
ならば、名人に鬼手なし。囲碁の世界では江戸時代の本因坊秀策の棋譜は現在のプロ棋士の水準を遥かに越えていると言われているようですが、あるいは、それとパラレルに本書は現在の日本の英文法研究の水準を--流石に超えまではしないものの--、十分にそれに匹敵するテクストなの、鴨。しかも、入門書の形態において。もし、私のこの評価が満更間違いではないとすればこれ驚異的なことではないでしょうか。
ならば、古き良き<英雄時代>が良くも悪くも過ぎ去って久しい散文的な2014年において、本書にこそ高いオリジナリティーが認められるべきではないか。数十年ぶりに本書を一読してそう感じました。
よって、小学生からシニアまで英語に関心のあるすべての方に、本書をお薦めします。