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ニューヨークタイムズ社説の集団的自衛権批判に思う<壁パス>の効能

2014年05月28日 16時40分16秒 | 英字新聞 de 政治経済


安倍総理が期す「集団的自衛権を巡る政府解釈の変更」を批判したNYT社説「War, Peace and the Law:戦争と平和と憲法」(2014年2月19日)を俎上に載せます。「紹介」と言わず「俎上」と記したのは、その内容は読むまでもないものながら、ある意味、実に興味深い社説だったから。

蓋し、これも人口に膾炙していることですが、日本国内の反日リベラル勢力と海外のそれとの間には--例えば、朝日新聞とNYTの間には、少なくとも、安倍政権に対する批判に関しては--、()朝日新聞の無内容で情緒的記事→()NYTの事実関係の理解は杜撰ながら論理的記事→()そのNYTの記事を朝日新聞が「アメリカの主要紙も安倍首相を批判している」と喧伝する。そういう一連の流れが定式化している。正に、これはサッカーで言う所のワンツー、つまり、<壁パス>の様相。


朝日新聞→ニューヨークタイムズ
・            ↓
・            ↓
・・・・・・・・・・>朝日新聞



例えば、()朝日新聞の星浩特別編集委員が夙に述べている「これまでの政府の憲法解釈を要約すれば、自衛隊は合憲だが、海外での武力行使は出来ないということに尽きる」という現在でも不正確な政府解釈の理解--なぜならば、現在の政府解釈でもそれが自衛のためにそれが不可避ならば核兵器を使用した敵基地先制攻撃も許容されるからです--を受けて、()本稿で「紹介」するNYTの社説なりが書かれた。そして、()このアメリカ製の「錦の御旗」を得た朝日新聞はその社説で「集団的自衛権--解釈で9条を変えるな」(3月3日)、「法制局長官--法治国家の番人とは」(3月14日)、「集団的自衛権--砂川事件のご都合主義解釈」(4月6日)等々とほぼ3日とおかず安倍政権批判社説を国内の津々浦々に撒き散らしているということ。

(ノ-_-)ノ ~┻━┻・..。





畢竟、これは敵ながら天晴れな完成度の高い<壁パス>ではないか。と、そう私は考えます。而して、我々保守派も国際的な連携を強化すべきであるということもまた。そして、現在における保守主義を、

①自己の行動指針としては自己責任の原則に価値を置く、そして、②社会統合のイデオロギーとしてはあらゆる教条に疑いの眼差しを向ける、よって、③社会統合の機能を果たすルールとしては、さしあたり、その社会に自生的に蓄積された伝統と慣習に専ら期待する、換言すれば、その社会の伝統と慣習、文化と歴史に価値を置く態度を好ましいと考える--白黒はっきり言えば、伝統と慣習の中には(もちろん、その領域は時代と共に変動するのでしょうけれど)社会的非難という道徳的強制のみならず国家の実力を発動してなされる法的な強制によっても維持されるべき領域が存在すると考える--立場。

ならば、④その社会の伝統と慣習、歴史と文化に価値を置く態度や心性がその社会のスタンダードな態度であり心性であることを認めリスペクトするような<外国人たる市民>に対しては、逆に、--古来、日本が「帰化人」の人々に対してそうしであったように--彼等の伝統と慣習、歴史と文化を<国民>の方も尊重しリスペクトするべきだと考えるタイプの社会思想である、と。


思想の内容面ではなく、思想の形態面から「保守主義」をこのように再定義する場合、世界の保守派の連携と連帯の強化は可能である。ティーパーティーに集うアメリカやロシアの保守派、英国国教会やカトリックやルター派はもちろん、イスラームやヒンズーの--論理的には、もし、そんな勢力が存在するとすればですけれども、支那や韓国の--保守派と我々も連携が可能ではないか。もちろん、国が異なれば国益が完全には一致するはずもなく、この連携は「どこから先は連携できないか」をお互いに効率よく確認する営みにすぎない、鴨ですけれども。と、そう私は考えます。

б(≧◇≦)ノ ・・・万国の保守派よ、団結せよ!


尚、本稿で「紹介」したNYT社説の礎石、「立憲主義」
に関しては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。


・立憲主義の無知が爆裂した朝日新聞(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/44eedad84676b8f4cee93611c9b5dc2c

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
 あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79







War, Peace and the Law
Prime Minister Shinzo Abe of Japan is getting dangerously close to altering a cornerstone of the national Constitution through his own reinterpretation rather than by formal amendment.

Mr. Abe wants to pass a law allowing the Japanese military to act offensively and in coordination with allies outside Japanese territory, even though it is accepted that the Constitution allows only a defensive role on Japanese territory. He has moved aggressively to bolster the military after years of cuts. And, like other nationalists, he rejects the pacifism exemplified by an article in the Constitution.

“The Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes,” it states. Successive governments have agreed that a constitutional amendment would be required before the Japanese could take a broader role. The civil servants of the Cabinet Legislation Bureau in the Office of the Prime Minister, which checks the constitutionality of new laws to prevent the abuse of power, have agreed with this interpretation.


戦争と平和と憲法
日本の安倍晋三首相は、公式な手続を通してではなく、首相自身の解釈変更によってこの国の憲法【占領憲法】の基底の一つを修正しようという危険な動きを加速させている。

首相は、日本軍が海外でも攻撃的、あるいは、同盟国と協働して機能できるようにするための法案成立を狙っている。けれども、「日本軍の行動は、日本国内に限り、かつ、防衛的なものに限定されている」という一般に広く了解されてきた現行の占領憲法の理解からはそのような法案は容認されないはずのものなのだ。安倍政権成立以前、数年にわたり減額されていた国防費は首相の主導で増額された。そして、他の民族主義者同様、安倍首相は、占領憲法のある条項の中に結晶している非戦主義を歯牙にもかけない。

占領憲法は「日本国民は、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」【9条1項】と謳っている。よって、歴代の政権は、日本がより広い領域で軍事行動を行うためには憲法改正が不可欠としてきた。他方、新しい法案が権力の濫用につながらないかどうかをチェックしてきた、総理府の内閣法制局【2001年に総理府は内閣府に統合されています】もこの歴代内閣の解釈を支持してきた。



To help push the bureau to reverse that position, Mr. Abe broke normal procedure in August and appointed as the agency’s chief an outsider, Ichiro Komatsu, a Foreign Ministry official sympathetic to the idea of collective defense. A group of experts picked by Mr. Abe is expected to back him up when an opinion on the matter is released in April. In Parliament recently, Mr. Abe implied that the people could pass judgment on him in the next election, but that is an erroneous view of constitutionalism. He could, of course, move to amend the Constitution. That he finds the process too cumbersome or unpopular is no reason for him to defy the rule of law.

If Mr. Abe were to persist in forcing his view on the nation, the Supreme Court, which has long abstained from taking a position on the Constitution’s pacifist clause, should reject his interpretation and make clear that no leader can rewrite the Constitution by personal will.

内閣法制局にその旧来の立場を変えさせる一助として、安倍首相は、昨年8月に慣例を破り外部からこの組織のトップを据える。集団的自衛権に関して首相と同様な認識の元外務官僚の小松一郎氏がその人。そして、これまた首相が任命したメンバーが構成するある専門家グループが4月にもこの問題に関して首相の解釈を支持する意見書を提出するようだ。最近、国会答弁の中で首相は、集団的自衛権を巡る自分の姿勢が気に入らないということなら有権者国民は次の選挙で私に鉄槌を加えることもできるではないかという趣旨の言葉を漏らした。けれども、これなどは立憲主義の間違った理解からの発言と言わざるをえない。いずれにせよ、安倍首相は憲法の改正の道を選択することも可能なのであり、ならば、それがやっかいで国民の支持が得られないからといって、法の支配を首相が無視することなど許されないはずだ。

而して、もし安倍首相が首相個人の見解をこの国に押しつけることができたとしても、最高裁判所が--それは占領憲法の非戦主義の条項の解釈に関しては長らく態度を留保してきているのだけれども--首相の解釈を否定するかもしれない。すなわち、最高指導者といえども彼や彼女の個人の意向通りに憲法を読み換えることは許されないということを最高裁も示すかもしれない。


б(≧◇≦)ノ ・・・ばぁ~か!









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