[H]We sat talking about that problem for a while.
[H]Go on walking.
[K]They told her not to waste her time watching "talk show" on TV.
[K]We had great difficulty finding our flat in London.
[K]She spent three hours repairing the car.
[T]You've done a great job raising your daughters.
[T]He photoed her changing.
[T]She's so busy looking forward, that she never take time to look back.
(しばらくその話題について話し合った/歩き続けましょう/
ワイドショーなんか見なさんな/ロンドンでのアパートさがしは大変でした/
車の修理に彼女3時間とられたって/あなたはあの立派な娘さん達を見事にお育てになられた/
カメラマンさんはHKT48の田中美久さんの着替えシーンを撮影した/
彼女は前進有るのみでこしかたをふりかえることは決してしない)
記事タイトルにもある通り、英語のネーティブスピーカーの講師は、受講者さんから上に挙げたようなセンテンスをもってこられ「こは動名詞なりやはたまた現在分詞なるか? して、その根拠理由は如何❗」と詰め寄られるのがあんまり好きではありません。多分。いや、間違いなく。だって、わたしは四半世紀以上、英語のネーティブスピーカー講師の方々の総レッスンプロもしてたから、「そんな、どっちかてええやん❗」と即答したい彼等の心の叫びは当時のわたしのメール受信箱に小山をなしていましたから。
しかし、当時も一応、全員が TESL の学位もっていた講師陣がこれに答えられないわけはないのです。要は、
【1】英語史からの説明
【2】文献学からの説明
【3】機能英文法による解釈
【4】実用・受験英文法による解釈
くらいのやり方で、その質問者さんが満足するジャンル(↖これ今でも【4】のニーズが圧倒的、鴨)で回答すればよいだけの話なのですから。
而して、ネーティブスピーカー講師がこの質問を嫌がるのは、寧ろ、日本語母語話者の受講者さんや研修生さんが――往々にして、このタイプの質問を持ってこられるのは TOEIC でも860点はある中級以上の方々だからなおさら――「なぜ、こんな論点にこだわるのかわからない❗」「気味悪い💀」「an enigma🍎」という思いがあるからなの、鴨。
「センテンスの中でのその V-ing の働き方と意味がわかっていて、そして、そのセンテンスを含むパラグラフやコンテクストの流の中でその当該センテンスが合理的に理解できておられるのなら、それ以上、何を何故に望むと言うのですか? Why is that ?」とネーティブスピーカー講師はいぶかしがる。
わかる❤ ネーティブスピーカー講師の困惑も、このタイプの質問を日本語母語話者が途切れることなく聞き続けにくる心性も。ちなみに、冒頭の例文は、【H】現在分詞, 【K】動名詞, 【T】合理的な根拠を備えた上で現在分詞とも動名詞とも両方説明可能です。
これは想像の域を出ないのですが、日本語母語話者以外の多くの英語学習者にとって英文法の知識は――つまり、アメリカの大学のライティングコースやアメリカのESLで教えられる英文法、よって、TESLでその教え方を教わる英文法の知識は、――英語を使うための「マニュアル」であればいいのに対して、日本語母語話者にとってそれは英語の「設計図」ともいうべきものだからではないか? わたしは常日頃そう思っています。
ならば「英語は使えればいいのですよ」と考えられるネーティブの講師の方から見れば、「こは動名詞なりやはたまた現在分詞なるか? して、その根拠理由は如何❗」というのは日本の悪しき因習や伝統、受験英語&英文和訳道の露呈であり、ネーティブの講師や英語のおできになる「子供たちには英語は英語で学ばせましょう」とか戯れ言を唱えておられるハイソな識者さんからは蛇蝎のごとく嫌われる邪悪な考えなのかもしれません。
TOEFLやTOEICの中級以上のクラス(ここではTOEICで800点以上の方のクラスとしましょうか)やGMATやGREのクラスでは、しかし、「英語は使えればいいのですよ/確実に正解できるのならそれ以上の理屈は覚える必要ないではないですか」という<実践的&合理的講師>は日本では極めて評判が悪い場合が多いのです。
会話もそこそこできる中級以上の日本人の受講者の本音は「なぜAが正解でBが不正解なのかなんか、正解は動名詞のAだということ、そして、その理由なんかは授業受けなくともわかっているんです。私が知りたいのは(そのために高い授業料を払い仕事を積み残してまでここに通っているのは、彼氏とのデートもキャンセルしてここにいるのは)理屈がトータルにコンシステントに知りたいからです。何ですと? 大学院留学しても国際結婚するにせよ海外赴任したってそんな知識なんか何の役にも立ちませんよ、ですって! 先生、そんなんは余計なお世話です。文法がきちんとわからなければ気持ちが悪いんですよ」というものではないでしょうか。
🍎🍎🍎🍎🍎
そうわたしは想像しています。そして、その気持ちは日本語母語話者の一人としてよくわかります。ということで、別に学術的な記事を書くつもりはないのですが、本稿の後半で列挙する、ウィトゲンシュタイン流「言語ゲームの家族的類似性」を念頭に置いた例文紹介の前哨としてこの中盤では、些か、【1】~【4】についても触れておきます。それは講師としての KABU の回答の枠組みみたいなもの、鴨。
書評:はじめての言語ゲーム
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/10d53758eaae62bffd83dc909a4ea99a
【1】英語史からの説明
動名詞と現在分詞(gerund and present participle)は古英語期(+700 - 1100)から存在する制度なのですけれども、中英語期(1100 - 1500)のほとんど終わりの15世紀の終盤までは――the Wars of the Roses(薔薇戦争, 1455 - 85)のころ、本邦では、応仁の乱(1467 - 77)のころまでは――、①語尾形態も異なり、②センテンス内部で果たす役割や機能面でも、③よって、帯びる意味からも両者はまったくの赤の他人でした。このことは英語史ブームの昨今、ご存知の方も多いことでしょう。
現在21世紀に日本で教鞭をとられている英語のネーティブスピーカーを困惑ささせる質問を日本語母語話者の受講者や研修生に思いつかせるには、下記(a)(b)の事情が大きいと思います。すなわち、
(a)15世紀末に現在分詞の語尾が(-ende→-ind→-ing)動名詞の語尾(-ing)と同じになった。ということは両者の音声も同じになった
(b)古英語期はもとより中英語もほぼ一貫して、機能面からは、動名詞は純粋の名詞であり、現在分詞と過去分詞は純粋な形容詞だった。しかし、後期中英語期(1300 - 1500)から前期近代英語期(1500 - 1700)にかけて両者とも、
▽意味上の目的語や補語をとる
▽意味上の主語が明確化される
要は、動名詞と現在分詞および過去分詞の「動詞化」が一気に進んだこと。換言すれば、ともに動詞化した分、動名詞と現在分詞に共通する機能や意味が生じたということです。
中尾俊夫『英語の歴史』
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f64de3ba90ee36bde0927619de3a4cd0
英語史的文法論の要点覚書--異形の印欧語「現代英語」の形成、それは「格変化」の衰退から始まった
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/91718985f1a5d1b7df4c7485a966c123
【2】文献学からの説明
現実的には、①前期近代英語期以前の文献テクストで、②研究者ではない素人が、③安心して利用できるデータベース化されているテクストは Shakespeare翁(1564 - 1616)の作品集とか「the Authorized Version」(欽定訳聖書, 1611)に限られている。ですから、この戦線では専門家のお力を借りるのが潔く賢い態度というもの。よって、ここでは素人としてこの「V-ing 問題」について今まで検索した限りでの感想を二つ記しておきます。
[1]コロケーションは役にたつ
[2]V-ing の前に置かれていた前置詞を復元してみよう
英語のネーティブスピーカー講師を悩ませる「V-ing 問題」を引き起こす構文は、実は、限られた「動詞」「動詞+名詞」に集中しています。例えば、「The children came running.(子供たちは走ってきた)」「Mt. Fuji lay covered.(富士山は雪に覆われていた)」と現在分詞や過去分詞を補語にとる動詞は、come, go, run, stand, sit, lie, keep, go on 等々にほぼ限られている。
ならば、上述の「家族的類似性」のアプローチが有効、鴨。本稿後半に例文をいくらか紹介することのこれがその理由です。と、これが第一の感想
そして、実際に、文献を遡ると「動名詞」は「in+動名詞」として登場する場合が少なくない。その後、漸次、「前置詞の in」の省略化が標準となった。他方、わたしが見る限り、動名詞ほど多くはないものの「現在分詞」に関してもこれとパラレルな現象が観察できる。すなわち、「with +現在分詞」から裸の「現在分詞」への移り行きが推測できる、鴨ということ。こう仮説を立てれば、冒頭の例文は前置詞をくわえてこうリライトできると思います。
[H]We sat 【with】talking about that problem for a while.
[H]Go on 【with】walking.↖この「on」は副詞ですから♪
[K]They told her not to waste her time 【in】watching "talk show" on TV.
[K ]We had great difficulty 【in】finding our flat in London.
[K]She spent three hours 【in】repairing the car.
[T]You've done a great job 【in/with】raising your daughters.↖形態は[K]ですがセンテンスの意味的に❗
[T]He photoed her 【in/with】changing.
[T]She's so busy 【in/with】looking forward, that she never take time to look back.
【3】機能英文法による解釈
文献的なアプローチからする、「わが家のご先祖は平家とばかり思っていたら、なんとわが家は源氏でしたか❗」というような、個々の動名詞と現在分詞のルーツ探しにはロマンがありますよね。しかも、文献証拠があるから説得力も備えた「V-ing 問題」に対する戦法でもある。しかし、この戦法は「現在の英文これからも作成される英文」を理解する手法としては限界と問題がある。そうもわたしは思います。理由はシンプル。
元が動名詞であれ機能的には形容詞として現在分詞として働いているV-ingは「現在分詞」であり、――数は相対的に少ないと思いますが――、元が現在分詞であれ名詞として動名詞として働いているV-ing は「動名詞」と考えない限り現在と将来の英文を説明できないから。
実際に、西欧の言語の中でも希な文法形式である「進行形:be +現在分詞」が広まり始めたのは17世紀ですが、それが確立したのは1800年前後と英文法というか統辞論の時間感覚からは比較的最近のこと。そう、それはアメリカ独立革命(1776, 1789)、ならびに、その北米を巡る失策を契機にイギリスは片やナポレオン戦争に備えつつ<大英帝国>に向けて雄飛しようとしていたころ。本邦では、天明の大飢饉(1782 - 87)を受けて松平定信公の寛政の改革(1787 - 93)のころ。そして、この「進行形」の確立には動名詞が大きく貢献していたらしいのです。こんな(⤵)感じ。
be on reading↖前置詞の on と動名詞のreading
be a reading ↖前置詞「on」の音声弱化
be a-reading ↖前置詞「on」の更なる音声弱化と動名詞との連語化
be reading ↖今ここ❤
要は、現在では現在分詞の一大雇用先である「進行形」もつい200~300年前までは動名詞の勤め先だった。少なくとも、「on+動名詞」の構文の存在が進行形の確立に死活的に重要な貢献をしたことは間違いないらしい。あるいは、アイルランド語では、完了形は「have + 過去分詞」だけでなく「be + after +動名詞」(ex, I am after reading the book.)で表すとか。
葢し、動名詞と現在分詞や過去分詞の相互の陣地への移動はかなり激しいのです。ならば、ご先祖の由来と無関係に――センテンス中の役割が名詞なのか形容詞なのかという――機能論的なアプローチでの「V-ing 問題」判定も許されるのではありますまいか。
「of 禁止令」を真面目に考えたくなる日本人英語の特徴 (/。\)
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/431919d142418ee269ec84dbeb5a7870
イギリス英語の入門書紹介――役に立つのにお洒落で楽しい「イギリス英語」の招待状のようなもの
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2387050ede4ca0a2947e1c5783157128
【4】実用・受験英文法による解釈
英文法を完成品の閉じた体系と考えるらしい受験英文法。
しかし、これは(⤵)冗談半分のコメントではありません。
誰からも評判の悪い「受験英文法」からの説明も、
わたしは悪くないと思います。
理由は二つ。
【甲】受験英文法は極めて良くできている(ever so exquisite)
【乙】それはほとんどの日本語母語話者の英文法のバックボーン
後者についてわたしが想起するのは次のWilliam Geldart「Elements of English Law」(Eighth Edition,1975, chap.1)の中の言葉です。受験英語を否定することに受験英語と共存している現在よりも差し引き具体的なメリットはないのではないでしょうか、と。わたしはそう思っています。
It is sometimes more important that law should be certain than it should be perfect. The consequence is that even a higher court, though it may think a decision of a lower court wrong in principle, may refuse overrule it, holding that the evil of upsetting what everyone has treated as established is greater than the evil of allowing a mistaken rule to stand.
(法においてはそれが内容的に完全無欠であるよりも安定させておくことの方が重要な場面も少なくない。而して、上級審の裁判所たる裁判官が、たとえ、下級審の判断が原理的に間違っていると考えたとしても、その下級審判決を却下しないこともありうるのです。つまり、あるルールをみんなが確立しているものとしてそのルールを織り込んで日々の社会経済生活をおくっているようなルールを動揺させる害悪の方が、間違ったルールをそのまま存続させる害悪よりも大きいと、上級審裁判所が判断された場合には)
ご来訪いただいている皆さまへ。
KABU家です。
ウクライナがこんなときにアイドルさんの記事ばかりですか?
と、同志の数名から問い合わせがありましたので、同志のみなさんに
共通のコメントさせていただきます。
ウクライナの話は情報が信用できない。
日本語のものはもともとみないのですが、
左右とも英語のものドイツ語のものもあやしい💀
ウクライナの広報かアメリカの願望の垂れ流し🔥
よって、①プーチン先生が核兵器を使う可能性が極めて高い。
②ウクライナの大統領はかなりいかがわしい。自国民を人間の楯に使いほうだい💀
③国際機関は権限をこえる政治的発言をしている。
④アフリカと中南米とアジアの少なくない国がロシアを支持している。そして、ロシアは自給自足できる数少ない国。
というくらいしか自説は作れません。
よって、ウクライナ関連は当分「黙秘権」を行使させていただきます。
わからないのに書くのわが家は嫌ですから。
はぁー、プーチンさんを支持するのですか?
そういうことではないのです❗
瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79
そして、
資料”ウクライナを1ミリも悪く言ってはいけない雰囲気が怖かった”
https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12739536925.html
万引きが横行しても窃盗罪は存在する❗ なら、核兵器の使用は?
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/6d5df1aed474fded49e82f4e96accb6b
第三次世界大戦=a third world war, これが「the third world war」にならないことを祈ります
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/cd9f371eb4328bbc3997bab87c00b07b
わが家は日本国の安泰と平穏無事を祈ります。
早寝早起き朝ごはんのいつものくらしを望みます。
フットサル倶楽部仲間とたわいもない世間話したい。
不在住宅の雑草退治に区市呼びかけの仲間とボランティアしたい。神奈川の区市の呼びかけのボランティア活動で、不登校や塾予備校に通いにくいご家庭の子供逹にこれからも英語と数学の楽しさを伝えていきたい。
「第三次世界大戦」でわが家のフランチャイズのミネソタ・ウイスコンシン・ルイジアナ・アイルランド・デボンシャーが核攻撃を受けないことを願います。
暴論? 不謹慎? 依怙贔屓? 冗談抜きのぎりぎりの本音です😢 善悪の問題ではない。
生存と実存と個々の国の国民のプライドと運命の問題です。違いますか?
だからこそ、プーチン先生が核戦争するはずはない❗
という前提の議論はきわめてこわいです。
ロシアにも時間と資金とプライドの限界がある。多分。
(理想論はおいて実定国際法でも「経済制裁・敵対的プロパガンダ」は立派な「自衛戦争」の開戦事由だから🐙)
(そして、なにが「経済制裁・敵対的プロパガンダ」は原則、一次的には当該主権国が判断することですから🐙)
完版:保守派のための海馬之玄関ブログ<自家製・近代史年表>みたいなもの
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96
【追補版】濫用される「国際社会」という用語についての断想
https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/f225b6e70b921cae1057e9d87c4bda0b
第一次世界大戦も、当時、だれもあのオーストリア―ハンガリー
帝国皇太子夫妻暗殺事件が大戦につながるとは思っていなかった。
心底、和平と平和を祈ります。「善悪ではなく秩序を❗」(ゲーテ)