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ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:岡上地区-完全包囲編(八)

2009年10月04日 11時45分11秒 | 徒然日記


横浜市青葉区の「寺家ふるさとの森」から幽体離脱中の<本体>が待つ鶴見川と麻生川の合流点まで戻ります。「脇道散策A&B」を通して、「岡上地区が飛び地になった」原因がどうやら地形や地勢とは関係ないらしいということが確認できたことは収穫でした。けれど、その真の原因は不明なまま。而して、先取りして結論を記せば、私はその解明の鍵は「柿生」にある予感がしています。それを検証するためにも<本体>と一刻も早く合流しなければ。


【地図画像】
・岡上地区包囲Map
 http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap13a.jpg




と、脇目もふらず進む。而して、「寺家ふるさとの森」の里山を縦走すると、そこは例の明治22年(1889年)の町村大合併の際、寺家村・市ケ尾村他10ヵ村とともに旧都筑郡中里村を形成した鴨志田村地区。そこからバス停1個分だけ寺家町側に戻ると「寺家ふるさと村」があります。住所表示は、横浜市青葉区寺家町414。幽体離脱中の<私>まで直線距離で1キロ強、Yahoo地図の「道案内」のご宣託では道筋で1900メートル(徒歩22分)といった所。この「1000:1900」の差は、「その間に里山があるから」です。

・寺家ふるさと村
 http://homepage3.nifty.com/jikehurusatomura/








下は、脇目もふらず進む道中で見かけたアイテム。昭和の風情と平成の首都圏近郊の農村の趣を感じました。







ふるさと村から徒歩10分、目の前に鶴見川が現われます。対岸は麻生区下麻生地区。下の1枚目の画像がそれ。この画像は画面手前の鶴見川と右横から流れてきた真福寺川のこれまた合流点。ちなみに、現在、真福寺川の上流は新百合エリアのお洒落な「昔の新興住宅地」(皆、子供が独立してしまった老夫婦と初老夫婦の街の)白山地区に遡りますが、歴史的には真福寺川は下麻生エリア農村の母なる川だったのだと思います。2枚目は、鶴見川・真福寺川の合流点の対岸、そう、「今」いる青葉区側にある東京田中短期大学の門。実は、この門の向こう側は東京都町田市三輪町。ここも玉川大学キャンパスと同様、麻生区・青葉区・町田市が鼎立する激戦地帯なのです。

・東京田中短期大学
 http://ttc.tanakachiyo.ac.jp/index.html









東京田中短期大学の門を過ぎ、更に、歩くこと6-7分。

そこで我々が見たものわぁー!

はい。

当然ですが、<私>が私を待ちくたびれている、

鶴見川と麻生川の合流点。

これでやっと「脇道散策」も終了です。







幽体離脱も解消。しかし、更に進まねばなりませぬ。今回の散策のゴール柿生駅まではここから1800メートル、その間、麻生川沿いの麻生通りを進みます。而して、ここは、中世・近世において麻生川を母なる川と頼んだ人々が生きてきた上麻生地区。下の画像は、鶴見川と麻生川の合流地点、麻生川に架かる亀井橋の傍にある月読神社と、その月読神社と敷地を接している(あの「里山の中の幼稚園=ゆめのもりようちえん」と経営母体を同じくする)「柿の実幼稚園」。園児数1300人、教職員160人を擁する間違いなく新百合エリア最大最強(そして、おそらく最高のグループに属する)幼稚園です。










・柿の実幼稚園
 http://www007.upp.so-net.ne.jp/kakinomi/top.html

・夢の森幼稚園
 http://www004.upp.so-net.ne.jp/yumenomori/top.html

・月読神社:熊野神社関連サイト記事
 http://www.kumanojinjya.or.jp/company.html

・【月読神社】ウォーキング de 我が街「新百合ヶ丘」:
 あざみ野~浄慶寺~柿生編 (上)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/58193170.html



柿の実幼稚園・夢の森幼稚園の経営者一族・小島家は、後北条氏の有力武将に仕えた、在地給人(現地マネージャーまたは後北条FCのエリアFC傘下のFCオーナー)小島佐渡守の後裔。そして、月読神社はその小島佐渡が天文3年(1534年)に建てたとされる社なのです。

ただ、柿の実幼稚園の成功は、そんな地縁だけではなく現在の園長先生の情熱と独創性と行動力と組織力、就中、スタッフや保護者を巻き込み鼓舞する人間力に負う所が多いと私は考えています。教職員の方々や保護者の方の立ち話を聞くにそう思います。実際、上の画像を撮影していたら園長の小島澄人先生に誰何されましたから(笑)。

今時、毎朝すべての園児を校門で出迎え、一方、「デジカメを構える不審者」がいると見るや即自分自身で対処する幼稚園園長など稀有の存在ではないでしょうか。

畢竟、流石に幼児教育専科の短期大学を擁する「鶴川女子短期大学附属幼稚園」、シュタイナーばりの自由な幼児教育の旗幟を鮮明にしている「風の谷幼稚園」、そして、ハイソな名門「カリタス学園幼稚園」は独自の<マーケット>を確保しているし、我等が千代ヶ丘幼稚園、香林寺幼稚園・川崎青葉幼稚園、そして、ルミエール幼稚園等々といった地区に根ざした<老舗>の牙城は堅固であるものの、新百合エリア全体で見る限り、現在の所、小島佐渡守の後裔の優勢は動かないと思います。

・鶴川女子短期大学附属幼稚園
 http://www.meisen.ac.jp/fuzokuyouchien/

・風の谷幼稚園
 http://www.kazenotani.net/

・カリタス幼稚園
 http://www.caritas.or.jp/kd01.html


・千代ヶ丘幼稚園
 http://www.ans.co.jp/u/nanreigakuen/chiyogaoka/index.htm

・香林寺幼稚園
 http://www.ans.co.jp/u/nanreigakuen/kourinji/index.htm

・川崎青葉幼稚園
 http://www.kawasaki-aoba.ed.jp/

・ルミエール幼稚園
 http://www.lumiere-youchien.net/







幼稚園談議はこれくらいにして先に進みます。「今」通過しているのは「脇道散策B」のゴール地点だった「亀井バス停」あたり。鶴見川と麻生川の合流地点から480メートルほど前進しました。而して、このエリアは源義経の四天王・亀井六郎の居城があったと伝えられる「亀井」地区。ちなみに、先程通過してきた鴨志田町は、源頼朝の御家人・鴨志田十郎の領地だった所。鴨志田十郎の本姓は不詳で出自は在地豪族層と見られていますが、亀井六郎は紀州熊野の出身で、本姓は「穂積=鈴木」氏とされています。

柿の実幼稚園の小島家のご祖先は、関東地方での後北条氏の覇権が確定する以前、月読神社創建の350年前には、あるいは、亀井六郎や鴨志田十郎と関係があったの、鴨。そして、月読神社創建の200年前には、麻生郷(旧柿生村・旧三輪村、そして、恐らく、旧岡上村を含むエリア)の総領主となった我等が足利尊氏公にも仕えられたの、鴨。根拠はありませんが想像を逞しくしてしまいました。

と、源平の盛衰・鎌倉幕府と室町幕府の草創期に思いを馳せているとき、見慣れた鶴川高校の塔が禅寺丸柿の実りの上に顔を出してきました。2枚目の画像は、麻生川沿いで見かけた、鶴川高校の「うるさい」生徒達。これから、町田市三輪町と麻生区の境の小川というか堀を越えて登校するところでしょうか。






けれど、白黒はっきり言って、私は鶴川高校に好感を持っています。それは、ある鶴川高校の生徒に、それこそ三輪町と麻生区の境の小川というか堀の辺りで道を聞いたら(←全国の女子中高生諸君! 知らないおじさんに声かけられたら気をつけましょう!)、「チョットまって下さい」と可愛い声で一喝された。で、何をするのかと思えばiPodのイヤホンを外す。彼女曰く、「だって、音楽聴きながら人と話すのは失礼でしょう」、と。なんたる礼儀正しさ。私はその時、鶴川高校が本物の教育をしていることを確信しました。

下の画像は、そんな礼儀正しく、うるさい、もとい、元気な鶴川高校の生徒の多くが毎日通っている麻生川沿いの風景。しかし、この画像は「飛び地=岡上地区」の由来を考える上で死活的に重要です。




而して、上の画像は、小田急の線路から550メートル、「壱」で最初に麻生川を越えた地点からは400メートルの所に架かる橋。

これが何か?



というところで、適度な長さなので最終回に続きます(;・ω・;)。



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