鶴見川と麻生川の合流点。鶴見川に架かる麻生橋を渡り麻生川に架かる亀井橋のたもとに我々は来ています。Top画像の撮影地点です。本線の順路はここから麻生川を遡り小田急柿生駅に戻る。ゆっくり歩いても20分の残行程。けれど、今回のテーマ「岡上地区完全包囲」を補完すべくここから最後で最大の脇道散策に向かいます。
「なぜ、岡上地区は飛び地になったのか」ということをもう少し突き詰めたいから。目的地はTop 画像の画面右手、横浜市青葉区の鴨志田町・寺家町、つまり、旧都筑郡中里村あたりです。而して、脇道散策のスタート地点は岡上地区の氏神様、岡上神社。
【地図画像】
・岡上地区包囲Map
http://www31.ocn.ne.jp/~matsuo2000/shinyurimap13a.jpg
ということで、我々は「今」岡上駐在所交差点にワープしました。「弐」で「東西南北の人・物・金・情報が交叉する岡上地区の交通の要衝」と書いたあの交差点です。上は「弐」搭載画像の再掲。これから画面中央の道路を直進します(本線経路は岡上小学校に向かうべくここを右折しました)。実は、この画面、中央奥に見える林は岡上神社の鎮守の森なのですよ。而して、これまた前にも書いたように、この道路こそ三輪町と岡上地区を、つまり、町田市と麻生区、東京都と神奈川県を東西に隔てる「南北のライン」なのです。
岡上駐在所交差点から岡上神社本殿までは250メートル、そこから、700メートル行った「三輪緑山2丁目バス停」のちょびっと手前、三輪緑山中央住宅入口のT字路を左折します。ちなみに、TBS緑山スタジオまではこのバス停から道なりに450メートル足らずしかありません。けれど、スタジオの住所は横浜市青葉区。なぜか。はい。ヒントはこの(↓)再掲画像。そう、玉川大学に続く尾根道から岡上営農団地に下りきった地点の画像です。
目印の赤いお家の横を通っていたあの道。岡上地区と青葉区を南北に切り分けている東西のライン。TBS緑山スタジオはこのラインよりも400メートル南にある。そして、そのラインよりも「三輪緑山2丁目バス停」はほんの50メートルだけ北に位置しています。而して、下は、岡上地区と青葉区を南北に分断するラインと、三輪町と岡上地区を東西に分断する(岡上駐在所交差点から続く)ラインの交点にある青葉区のフットサル練習場の看板。画面の向こう側は当然、我等が岡上地区です。
こんだけ距離と方位を書き連ねて何を言いたいのか。それは、岡上地区と「三輪町=鶴川村」、岡上地区と「青葉区緑山地区=奈良村」を分節しているものは深くて広い川でも高く険しい山でもないという事実の確認です。
脇道の経路は三輪緑山中央住宅入口のT字路を左折して道なりに直進します。ほんの25年か30年くらい前までは、今の岡上地区と同様、里山と谷戸が広がる田園地帯だったということですが、ここ(↑)三輪緑山地区は町田市でも有数の新興高級住宅街。我が家も憬れる住宅地です。
と、先を急ぎましょう。なんせ、幽体離脱してきた<本体>を鶴見川と麻生川の合流地点に残してきているのですから(笑)。
道なりにただひたすらに直進すること10分。我等が鶴川高校の<姉貴分>、鶴川女子短期大学が出現します。三輪緑山中央住宅入口から約900メートルです。ここは幼児教育の単科大学ですよぉー。
・鶴川女子短期大学
http://www.meisen.ac.jp/tsurukawatandai/
・鶴川女子短期大学附属幼稚園(鶴川高校に隣接しています)
http://www.meisen.ac.jp/fuzokuyouchien/
鶴川女子短期大学対面の丘の斜面には「西谷戸横穴墓群」の威容が。実に異様で威容な景色。岡上地区に来られる機会があれば足を伸ばして一見する価値ありです。
それにしても、(現行憲法制定に関して日本側の交渉者として活躍した白洲次郎氏夫人、白洲正子さんも述べられたとのことですが)西谷戸横穴墓群、そして、広慶寺のある辺りの雰囲気は、奈良県は明日香に通じると思います。蓋し、「奈良」「三輪」という地名といい遠く離れた大和との偶然を超える実体的なつながりを感じる。
実は、旧岡上村、旧柿生村エリアを含む鶴見川沿いの多摩丘陵地帯には熊野神社が密集しており、また、鈴木姓が多いのですが(ほらそこ、「「鈴木さん」は全国的に多いんちゃうやろか」なんて言わない!)、それは熊野の「穂積氏=鈴木氏」が奈良期・平安期にかけて移住したためではないかと言われています。
而して、西谷戸横穴墓群が造られたとされる6-7世紀とは、継体天皇即位から、大化改新と壬申の乱を挟んで持統天皇の御世までをカバーする期間。ならば、総選挙の地すべり的敗北による「政権交代」の結果かなにか、都落ちした貴族やその眷属の帰化人テクノクラートグループがこのエリアに新天地を求めて入植したの、鴨。
・西谷戸横穴墓群
http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/tam/tama/ogu/o023/o023t.htm
ここから名刹・広慶寺を経てバス通りを徒歩8分、鶴川女子短期大から約800メートルのところでT字路に出ます。T字路を前後に挟む三輪町内案内図と私設道路標識(?)が目印。ちなみに、何の変哲もない地点ですが、ここがこの最後の「脇道散策」を更に二分する運命の分岐点なのです。
それにしても町内案内図はまあよいとして、バス通りとはいえなぜにこんな田舎道に「TBS緑山スタジオまで2キロ」の私設道路標識があるのか。蓋し、その機能から言っても宣伝不要のTBS緑山スタジオのこととて、かつ、「論理的なものは現実的であり現実的なものは論理的である」というヘーゲルのテーゼを持ち出すまでもなく、当然、必要があっての標識なわけでしょうから、その理由は川崎ICか青葉ICで東名高速を降りた「奈良・岡上・三輪地区初心者」のための配慮なのだと思います。
と、今は「幽体離脱中」なのだから先を急ぐのでしたね。はい。ここ町内案内図と私設道路標識のあるT字路で決断しなければなりません。(A)右に行けば、旧都筑郡中里村の里山。(B)左に行けば、鶴見川、そして、鶴見川に架かる「四ッ木橋」を越え、麻生川を「新三輪橋」で渡った亀井地区で麻生通りに出る。この(A)(B)の二つの経路のどちらを先に踏破するべきか。
To go right or left that is the question.
比較的短いコースと長いコースのどちらを先にclearするか。簡単な問題と難題のどちらを先に済ますか。このような決断って、その人の性格がでますよね。KABUは大体、困難なものから手をつける傾向があるのですが、ここはその裏をかき(?)。比較的短い方の(B)「左」から攻略することにしました。而して、下がその「脇道経路B」の画像。
ここまでが、
四ッ木橋の手前(四ッ木橋の渡り口から撮影。三輪小学校の父母の方が「旗のお母さん」されてます)→四ッ木橋から見た鶴見川上流と沢山城跡のある小山→四ッ木橋を渡った地点→麻生川に架かる新三輪橋
そして、下は、
麻生通り→「亀井バス停」→(「麻生」とくれば、)「まずは、景気だ!」ポスターとその背後の麻生川
而して、
б(≧◇≦)ノ ・・・打倒、民主党!
б(≧◇≦)ノ ・・・「麻生総理」断乎支持! 頑張りましょう。
画像合計7枚。何か手抜きで並べただけって感じがする、ですって?
思惑は別にして、それは誤解です。
なぜならば脇道経路の分岐点から麻生通りまでは約700メートル。分岐点から「旗のお母さん」がおられた四ッ木橋の手前までなら僅か300メートル余りですから書くことなんかないです。
整理すると、鶴川女子短期大学から「まずは、景気だ!」ポスターのある麻生通りまでは1500メートル、岡上地区と対面する三輪緑山中央住宅入口からでも2400メートル足らず。畢竟、これは、旧岡上村と旧三輪村と旧柿生村がそんなコンパクトな範囲に収まっていたということでもあります。「脇道経路B」を通してこの事実が確認できたのではないでしょうか。
というところで、適度な長さなので次回に続きます(;・ω・;)。