お疲れ様と声を掛け合い、御座候とファミマのコーヒーを買ってアーバンライナーに飛び乗った。
録りたての演奏を聴きながら考えた。
なぜ、マリーアンドファナーズでコピー曲をやるのががそんなに楽しかったのだろうか。
そんな疑問が生じるくらい、心の底から楽しかったのだ。
スタジオの重い扉を開けるとき、今でもわくわくする。
高校のとき、初めてドラムやアンプなどが設置してある小さな音楽のための部屋は、
ネバーランドそのものだった。
それは、今も変わらない。
なのに、今日演奏したコピー曲がそんなに特別に楽しかったのはなぜだろう。
スタジオ内の誰もがずっと笑っていた。
ツインリードがキマッたとき、ギタリスト同志、顔を見合わせて笑った。
そんなの、このバンドを始めて以来のことだ。
オリジナルを演奏しているときとは、まったく違う感覚だった。
何が違ったのだろうか。
オリジナルは、いつも未完成だ。
ライブに向けて、リズムアレンジを加えたり、フレーズを替えてみたり、テンポだったり、
コーラスだったり、アンサンブル、いつも実験を重ねて、本番までにより良い演奏ができるよう、
無い知恵を絞り、乏しいテクニックでなんとか少しでも見栄えがするようにともがいている。
緊張感のあるスタジオの中には、何もないところから何かを作り出す、創造の楽しみがある。
それは、本番のライブで、とりあえずの完成を見ることになるのだが、それまでは、気の休まる
ことがない。演奏しながら、歌いながら曲の感じや、全体のアンサンブル、個別の楽器、リズムの
絡みをシビアにストイックに聞いては相互に提案、修正を繰り返している。
創造の楽しみは、生みの苦しみを含んでいて、本番ライブが終わるまでは解放されることがない。
コピーは、すでに完成された曲、演奏が存在している。
生みの苦しみを超えて、そこには純粋な演奏する喜びのみが結晶として存在しているようだ。
自宅の机の上で、音源を聞きながらギターソロの音をとっていく作業も、電車の中で音源聞きながら
譜面と対峙するのも苦にはならなかった。
スタジオで笑い合っている姿が想像できたからだ。
今回は良い刺激になった。