アシュラ男爵。
侘びしき秋の野を飾る
その敗北からまっすぐに立ちあがれ
大きく風をはらんで揺れながら
再生の時を待て
負けて尚、逃げることを知らぬおまえは
今日を限りに希望の花となれ
天気は上場、微風。絶好のテニス日和。
今日は、やたらとライン上にボールが落ちた。
コードに当たってインも多かった。
クレーコートのラインは、塩ビでできている。ラインに落ちるとイレギュラーする。
それでポイントになるケースが多かった。
近頃は、けっこう続けてやってるので、多少、上達している。ラリーも続くし、ミスも少なくなった。
だから、こういうポイントが多く感じたのであろう。
同じ高校のテニス部同志、その後のブランクも同じ。したがって実力は互角。
ゲームの勝率は、なぜか相手が上。
凡ミスが多いみたい。ていねいを心がけなくては。
とても楽しい。
まあ、そう落ち込むなって。
悪いことばかりじゃないさ。
出番が回ってこなかったのは、そりゃ不運にすぎない。
お前のほんとうの実力は、運なんかに左右されるようなものじゃないさ。
だいじょうぶ。俺は知ってる。
ウォークマンで、CDラジカセで、DENONの140Wでも、こればかりを聞いている。
もうここ一か月は、他の音楽は全く聞いていない。
いままでの、上原ひろみの全キャリアの中で、最も濃い内容である。
聞いても聞いても飽きるどころか、聞き足りないのである。
こんな音源に出会ったことがない。
たとえば、250度の芋焼酎。
薄めても薄めても薄まらない。強烈な芳香と圧倒的な存在感の味わい、
そして、いつまでも消えない余韻。
3人とも、演奏レベルが高すぎて、聞き流すと、まるで、フツーのことをやっているように
聞こえてしまう。
そして、あまりに一体化した演奏は、ひとりの人間が演奏しているように聞こえる。
ひとつの意思でひとつのカラダで演奏しているように聞こえる。
ひろみの音、アンソニーの音、サイモンの音、それが存在しない。
あるのは、トリオの音なのだ。
なんとも表現しがたいのだが、この世の中に、今まで存在しなかったものが創作された、
そんなアルバムです。