岡本健一郎さんより標記論文の抜刷を1冊、私へも贈ってくださりました。ありがとうございます。
岡本さんは、私がちょうど二十歳代ラストに当たる平成20年(2008)3月、似たようなテーマの論文「近世中期の中国船対策と沿岸警備」『たたら製鉄・石見銀山と地域社会―近世近代の中国地方―』(清文堂出版)を発表しています。私自身、それを読んで「鎖国」下外国船対応史を専門の研究テーマに組み入れようと考えた経緯があるだけに、ある意味懐かしいテーマとも感じました。
さて、論文の内容は、前年に発表した長崎歴史文化博物館『研究紀要』第16号掲載論文と読み比べれば記述の変化がわかりやすくて、私自身いろいろ考えさせられます。前号のものでは史料用語「唐船」をイコール中国船と直訳する箇所が認められたのに対し、今回のものだと、そう直訳すればさすがに説明がつかぬゆえか本文中でも「唐船」と、表記しつづけています。また、前号で「沿岸警備」「沿岸防備」を、江戸時代に見られた変化のビフォー・アフターで区別をつけつつ論じたのに対し、今回の場合は「沿岸警備(防備)体制」と、読者に類義語の印象を与えるような表記をしています。
このように1年間で記述が揺れ動くのはおそらく、第16号掲載論文で基礎的な先行研究に位置づけた上白石実『幕末期対外関係の研究』(吉川弘文館、2011年)につき、初出論文への反応まで踏まえられていないことが要因にあるのでしょう。その初出論文は2000年代初頭を中心に発表されたのですが、実はその発表から数年後、対馬以外の藩を分析対象としつつ上白石氏の提起内容に批判的な内容の研究論著が、複数発表されているのです。つまり、上白石氏の提起内容は、確定的なものではなかったのです。これらまで踏まえながら第16号・第17号掲載論文の記述内容を整理しなおせば、対馬藩を正しく位置づけられるようになると思います。