KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2007札幌国際ハーフマラソン雑感vol.1

2007年07月29日 | マラソン観戦記
今回で50回になるという札幌国際ハーフ、と言うと大きな誤解を招きそうだ。50年前から21.0975kmで競われていたレースではない。

かつてはタイムス・マラソンと呼ばれていた、真夏のフルマラソンだったのだ。同様に、現在はハーフマラソンで実施されている玉造マラソンと同様に、五輪でメダルを獲得するには、暑さに強いランナーを養成することだということで生まれた大会だったのだ。

50年もの時が経過して、大会の目的やあり方が変化するのはいたしかたないとは思うが、今回のテレビ中継の冒頭のモノクロの映像が瀬古利彦さんが早稲田大時代の箱根駅伝の映像だったのは、違和感を覚えた。

タイムスマラソンの映像は残っていないのだろうか?'73年まで行なわれたフルマラソン、歴代優勝者には、川島義明、内川義高、君原健二、水上則安といった五輪代表ランナーや、世界記録を作った重松森雄の名前も残されている。特に君原さんが優勝したのは、東京五輪の年、五輪に向けての練習の一環として出場し、2時間17分12秒の大会レコードを残した。ちなみに、2位は円谷幸吉、3位は寺沢徹と五輪代表ランナーが上位を独占していたのだ。

どうやら、テレビ中継を担当する局は、その局にとっての最高のイベントである、箱根駅伝とこの大会を結びつけようとして、視聴者の関心を引きつけようとするつもりのようだ。

「箱根から札幌へ、そこから世界へ」

とのキャッチコピーの下、今回は箱根駅伝を走った学生ランナーや社会人一年生ランナーが多数招待された。しかし、おそらくは最も「目玉」とするつもりだったと思われる、今年の箱根のMVP、今井“山の神”正人は欠場していた。

違和感を覚えたのはもう1つ。スタートラインに立つ学生ランナーたちを、中継アナは「駒澤大学」、「順天堂大学」と校名でしか紹介せず、画面のテロップも校名しか現れなかったことだ。ロードレースは、個人と個人の闘いではないのか?
いや、本来、陸上競技というのは、個人と個人の闘いだ。この点においては、
「エキデンは陸上競技じゃない。」
という意見も認めざるを得ないと思う。個人がチームという団体の中に埋没しているからだ。

瀬古さんと、この大会の接点というと、マラソンを30年以上観戦している人は過去の苦い出来事を思い出すだろう。今から27年前、当時はタイムス30kmとなっていたこの大会に瀬古さんは宗兄弟とともに出場するはずだったのだ。モスクワ五輪のマラソンに向けての最終調整のために。

3人の「幻の五輪代表」不在のレースを制したのは、現在、天満屋女子陸上部の監督である武富豊さんだった。

この大会は現在も、目前に迫った五輪や世界選手権の最終調整のためのレース、という役割も果たしている。今回も男女ともに世界選手権の代表ランナーが7人エントリーし、2人が欠場したが、レースの主役となったのは、男子はケニア人留学生、女子はアテネの金メダリストだった。

男子のレースを制したのは、山梨学院大のメクボ・ジョブ・モグス。2月の香川・丸亀ハーフ(今年で61回目にあたるこの大会も、かつては香川マラソンと称するフルマラソンの大会だった)に次いで59分台でゴール。

圧倒的な強さを見せたモグスだが、今年の箱根の2区での終盤に失速した姿を印象に刻む駅伝ファンも多いだろう。駅伝において、ごぼう抜きとブレーキは、コインの裏と表だ。どちらも、前区間のランナーが不調だった時に、エースと呼ばれるランナーが起こすのだ。

かつての山梨学院大は、決して「留学生頼み」のチームではなかった。オツオリ&イセナ、あるいはマヤカらの活躍で優勝した時、日本人ランナーにも優秀な人材が少なくなかった。今回の世界選手権代表で、このレースで12位でゴールした尾方剛もその1人である。現在の山学大のキャプテンは「ランナーズ」誌の取材に対して、
「モグスは別格、という雰囲気を作らないようにしている。」
と答えていたが、今や彼は日本の長距離界全体において「別格中の別格」となってしまった感がある。少しでも、彼の負担を軽減させるようなチームメイトの成長が待たれるところだ。

いくら、下り坂とは言え、モグスに5kmの入りが13分台というレースをさせてしまえば、他の学生ランナーは太刀打ちできない。1人くらいは、監督やコーチの指示を無視して、モグスに食らいつく学生ランナーを見てみたかったと今にしてみれば思うが、よもや、社会人7年目のワセダOB、佐藤敦之がそんなレースをやってみせようとは思いも寄らなかった。この数年、男子のレースは日本在住のケニア人ランナーの独走となり、日本人ランナーがトップ10にさえ入れない年もあったほどだが、SUBARUに所属するエチオピア人ランナー、ギルマ・アセファと激しい2位争いを演じつつ、1時間1分38秒で3位でゴール。この大会での日本人ランナーの最高記録である。トラックシーズンを終え、秋のロードレース(駅伝も含む)に向けての走りこみを始める今の時期にこれだけ走れるとは、マラソンに向けての準備が着実に進んでいると言えそうだ。今年の元旦の駅伝で見せた、驚異的な走りで、
「現在、最もマラソン日本新記録を出せる可能性の高いランナー」
との評価が高まったが、それは今でも変わっていない。そして、今年の別大で、佐藤に「記録を狙わせなかった」同郷の先輩ランナー、藤田敦史も佐藤から61秒遅れでゴール。今の時期としてはまずまずというき、十分過ぎる走りだ。

尾方剛は1km3分ペースをきっちり守って12位。あくまでも、世界選手権に向けての「練習」のための走りに徹した。2年前、メダルを獲得した年の札幌に近い走りをしているから、トレーニングは順調と見ていいだろう。
思えば、4年前の世界選手権パリ大会代表に選ばれた佐藤と尾方が1時間2分台でゴールしたのには驚かされたものだった。耐暑レースとなるのではと思われた、世界選手権本番前にこれだけ走れるとは、彼らは、高速レースを想定しているのか?と思ったものだ。

結果として、彼らの狙いは正しく、パリ大会は冷夏の下でのレースとなり、大会新記録が更新された。佐藤も尾方も、入賞ラインには届かなかったものの、2時間10分台でゴールし、日本の団体優勝に貢献することができた。

尾方は、はたして、大阪での優勝タイムをどのくらいと想定しているのだろうか?

中継アナたちは、来月に迫った世界選手権にはさほど興味が無さそうだった。他局が独占中継するイベントだからか?

「第一回の優勝は中央大で、その翌年から中央大は箱根駅伝6連覇の偉業を達成しました。」
と、中継アナはコメントしていた。それは間違いではない。しかし、歴代の箱根駅伝の優勝メンバーを調べれば、第一回タイムスマラソン優勝の中大生、鈴木昌夫さんは箱根駅伝は一度も走っていなかった。

今回、活躍の目立った、佐藤、藤田、そして尾方、いずれも「箱根出身者」である。日本人学生ランナーのトップは駒澤大の宇賀地強の10位。もし、現役の学生ランナーが、今回の佐藤のような走りをしていたとしたら、そして、それが1年生ランナーだったりしたら、たちまち「箱根駅伝にも王子が出現!」
と大騒ぎになっていただろう。現実にそれだけの力のある学生ランナーがもしいたとしたら、日本選手権で世界選手権の参加標準記録をクリアして優勝していたに違いないと思うが。

もし、今井が出ていたら、
「山の神、札幌に降臨!!」
とか絶叫していたのだろうな。

(vol.2 女子篇につづく)



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