KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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2008北海道マラソン雑感・女子篇~小出監督の逆襲

2008年09月12日 | マラソン観戦記
女子マラソンが正式種目となった'84年のロス五輪以来、初めて男女ともに入賞無しという結果に終わった北京五輪の閉会式翌週の8月31日、五輪後初のAIMS(国際マラソン&ロードレース連盟)公認レースとして、北海道マラソンが開催された。日本マラソン界にとっては、「ゼロからのスタート」となるところである。

あくまでも、僕自身の個人的な感慨だが、今回の五輪の結果は痛恨の事態であるが、誰かの責任を問うようなものではないと思う。トップを目指すマラソンランナーたちは、常に故障と紙一重のレベルで戦っているのだ。これまで、競技団体の管理から「自立」して、戦ってきたランナーたちを、今さら縛り付けてどうしようというのかという気持ちが先に立つ。もし、どうしても誰かに責任を取らせたいというのなら、着地で失敗した体操や、プールの底に足をつけて減点となり、メダルを逃したシンクロナイズド・スイミングの関係者にも「敗北の責任」を取らせるべきではないかと思う。暴論と思うかもしれないが、マラソンランナーの「レース直前の故障」というのは、こうした競技の、ミスに近いものだと僕は認識している。大失敗するかもしれない難度の高い技にチャレンジしなければ、トップに立てないのと同様に、ギリギリまで自分の身体を追い込まなければ、メダルに手は届かない、そんなランナーたちの極限へのチャレンジに対する敬意の欠片も感じない報道ばかりで、誠に残念だった。

とは言うもの、今回の北海道マラソン、女子の目玉はアテネ五輪7位の坂本直子だったのだが、直前に欠場を発表。北京五輪に野口みずきが欠場し、土佐礼子が途中棄権、とアテネ五輪で金メダルも含めて、全員入賞を果たしたトリオ(当時、僕は「なでしこランナーズ」などと命名したのだった)が、全員、同時期にレースをアクシデントで走れなくなるとは、なんという偶然だろうか。誰かの「祟り」ではないかという説も、決して笑えない。

「坂本のカムバック」なるかどうかという見どころがなくなり、女子のレースに対する興味はいささかなくなりかけていた。かつての、高校駅伝のエースだった新谷仁美と、2年前の優勝者、吉田香織との一騎打ちだろう、というのが僕の予想だった。

レースが始まり、女子の先頭集団が映った時には、全く未知のランナーの姿が目に入ってきた。佐伯由香里という3ケタのナンバーをつけた一般参加のランナー。佐伯と書いて「さはく」と読む。身長142cm、体重33.5km(昨年の全日本実業団女子駅伝の選手名鑑より)の小兵だ。

過去に比べると、日本の女子ランナーの体格も大柄になり、160cm以上のランナーも珍しくなくなった。土佐礼子は167cm、彼女の高校の後輩で、増田明美さんが「和製ラドクリフ」と名づけた大平美樹は170cm。今回走っている、吉田香織もかつてはアイドル的な人気が集まり、マラソン・ファンの掲示板でも「おこちゃま」とか「走るミニモ二。」などと呼ばれていたが、実は彼女は155cm。チームメイトの加納由理よりも4cm高い。

松野明美さんでも、僕の手元の資料によると身長148cm、「アベちゃん」の愛称で人気者だった安部友恵さんも149cmと、この佐伯よりもまだ大柄だったのだ。そんな彼女が、トップの新谷にぴったりとくっついている。社会人2年目の19歳。もちろん初マラソンだ。

時として批判の的にもなる、男女同時スタートのレースで、女子の先頭集団の周囲にいる男性ランナーたち。北海道マラソンの名物的存在だった「のり子大好き」氏は、今回はもう一つのメッセージ、「母さんガン克て」を胸に走ったが、女子のトップのペースについていける体調ではなかったそうで、あまりテレビには映らなかった。前半、新谷の横にいた「テレビ東京」のランシャツで走っていたランナーは、実は100kmマラソンのワールドカップ日本代表なのである。

7kmで吉田が集団から離れていき、トップ争いは新谷、アリス・チェラガント、佐伯の3人の絞られる。新谷の所属は豊田自動織機、佐伯の所属はアルゼAC。一見、何の関連も無さそうだが、実は両者には共通点がある。この両チームとも、競技者と指導者を「社員」として雇用する、従来の実業団のシステムとは一味違う体制を整えている。ランナーは、それぞれの会社の「契約社員」ではあるが、指導に関しては、あの「佐倉アスリートクラブ」の代表者である小出義雄監督に委託しているのだ。豊田自動織機といえば、中部実業団のイメージを持つ人も多いが、新谷たちの本拠地は千葉県佐倉市である。つまり、この両者は異なるユニフォームを着ていても、「同門対決」なのである。

チェラガントも離れ、新谷と佐伯のマッチレースとなる。昨年の第1回東京マラソンに一般参加で出場し、初マラソン初優勝というサプライズ・デビューを果たした新谷。その後、北京五輪マラソン代表選考レースをあえて回避し、今回の北海道マラソンに備えてきたのだが、28kmの折り返し手前で佐伯にトップを奪われた。この佐伯、19歳の初マラソンとは思えぬほど、ここまできちんと走ってみせた。心肺機能が強固であれば、小さな身体はむしろ優位に立てる要素だ。全身にくまなく酸素を供給できるのだから。僕は身長179cmなのだが、ストライドを走りに活用できるだけの筋力を持ち合わせていないのだから、自分の身体がマラソンに有利と思ったことは1度もない。

30km過ぎて、佐伯の独走となる。併走していた、一般参加の男子ランナーをペースメイカーにするのではなく、前に立って、振り切ってみせた。

35km過ぎて、さすがにペースは大きく落ちたが、小柄な少女のマラソン独走優勝、というのは「鮮烈なデビュー」という印象付けには十分だ。大通り公園から、中島公園へと続く、札幌のメインストリート。ここを走った時の、鳥肌が立つような感覚は、僕にも忘れられない思い出だ。まして、ここをトップで通過できるというのは、至福の境地だろう。

2時間31分50秒でゴール。19歳のニューヒロイン誕生だ。後半の粘りに課題を残したとはいえ、「五輪での惨敗」直後の優勝というのはインパクトがある。
2位には新谷。3位には、前半で集団から遅れた吉田がよく粘ってゴール。上位3人が全て、初マラソン初優勝経験者という結果になった。

4位に田上麻衣、6位に疋田美佳とアルゼACのランナーが入賞。6位以内の4人が小出門下生、というのも驚異だ。3位の吉田もかつては、

「駅伝で高橋尚子さんからタスキをもらいたい!」

と言って、積水化学に入ってきた、元小出門下生で、「Qちゃん2世」と呼ばれていた時期もあった。

ともあれ、今回の結果は「小出監督、健在」をアピールするのに十分な結果だった。マラソンで日本人初の五輪メダリストとなった有森裕子さんを育て、以後3大会連続してメダルを持ち帰りながら、アテネに北京と2大会連続して、マラソン代表を出せなかったのだが、
「日本のマラソンの再建はオレにしかできないよ。」
と、してやったりの表情を浮かべたことであろう。次は記録を狙うレースでどれだけ走るかを見たいところだ。

レースのエンディングで、佐伯のトレーニング風景の写真がタイトルバックに映された。「一般参加」とはいえ、事前にかなりテレビ局に向けて「売り込み」があったのかなと想像してしまった。




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