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KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
2022年は積極的に更新していく心算です。

北京の夏が終わった後で~参加するだけでは意義がないのか?

2008年09月07日 | 五輪&世界選手権
「近代オリンピック大会の創設者でありますクーベルタン男爵は『オリンピックの意義は勝つことにあらずして参加することなり。輸臝を争うにあらずしてフェアプレーを行うにあり』と申しておりますが、我々日本の水上選手はそんな呑気なことをいってはいられないのであります。是が非でも勝たなければなせないのです。」

これは1936年のベルリン五輪の男子200m平泳ぎでの、NHKラジオの実況中継の一部である。前回のロス五輪で、参加国最多の金メダルを獲得した日本水泳陣は「水泳王国」の覇権死守の重圧とも戦っていた。そういった背景を抜きにしても、五輪で金メダルを獲得することが、「御国の為」とされていた時代の雰囲気を伝えるものである。

僕が最初に、オリンピックに関する基礎的な知識を得たのは、姉が持っていた、学習雑誌の東京オリンピック記念特集号であった。
「勝つことではなく、参加することに意義がある。」
という言葉も、その本で知った。東京五輪には、当時、アフリカやアジアからの新興独立国が多数参加した。その多くは選手一人、役員一人という体制であり、開会式の実況においても、
「小さな国に大きな拍手。健気であります。実に健気であります。」
と紹介されていた。モンゴルやマレーシア、カンボジアなどの関係者の
「アジアで行われる五輪だから、是非とも参加したかった。」
という言葉も記されていた。

僕の小学校の教科書においても、東京五輪の男子10000mで、トップから3周遅れでゴールしたセイロン(スリランカ)のランナーの物語が「美談」として、紹介されていた。

当時は、テレビドラマや漫画では「スポ根」が全盛期だった時代である。その一方で、こうした「反・勝利至上主義」的なエピソードが教材になっていた。もしかすると、円谷幸吉さんの自殺も何からの影響を与えていたのだろうか?

'72年のミュンヘン五輪の女子バレーで、銀メダルを獲得した日本代表チームのキャプテンが悔しさのあまり、
「こんなメダルはいらない。ドブにでも捨ててしまいたい。」
という発言が「失言」として、批判された。16年後のソウル五輪の男子マラソン4位の中山竹通さんの
「1位でなければ、ビリも同じ。」
という言葉も、当時の陸連幹部から
「スポーツマンシップに反する暴言」
「人間教育が必要だ」
と批判されたのだった。

この最近の五輪報道を見ていると、なんだかベルリン五輪の頃に戻ったみたい、とは言いすぎになるが、少なくとも、女子バレーのキャプテンや中山さんのコメントが
「なんで批判されなくてはいけないの?」
と思えるように、「空気」が変化したのではないかと思える。と言うよりも、クーベルタン男爵の言葉が、単なる建前に過ぎないことにみんな気づいてしまったと言うべきなのだろう。

2年前のトリノ五輪の後、JOCの福田富昭選手団長は、

「メダルを獲得できない選手を五輪に派遣しても意味が無い。」

と発言したことを以前にこの欄で紹介した。彼によってその年のドーハアジア大会の選手団は大幅に削減された。それまで、全種目派遣されていた陸上競技も、
「アジアでさえ、メダルを獲得できない種目」は派遣が見送られた。

福田団長の発言を全否定はできないかもしれない。その直後の日本選手権で走り高跳びの醍醐直幸選手が日本新記録を更新したし、アジア大会でも、前回釜山よりも金メダルの数を3個増やした。ある意味「ショック療法」だったのかもしれない。

それにしても、いくら野球日本代表の戦いぶりがひどいものだったからと言って、野球とサッカーとマラソンを名指しで批判した福田団長の帰国後の記者会見を批判的に捉えたメディアは決して多くなかったのはどうしたものかと思う。

確かにこれらの種目は期待を大きく裏切る結果しか残せなかった。ただ、これらの競技団体には共通点がある。プロ選手を抱え、潤沢な財源を持っているという点である。いわば、JOCにとっては、自分たちの思い通りにならない競技団体と見なされているのではないか。傘下の競技団体を全て自分たちの思うままに支配したいと思っているだけじゃないのか、という疑問を持ったのは僕だけか?

特にマラソンにおいては、今後は代表選考から強化についても、口を挟んできそうである。結果を出せなかった以上、それもやむを得ないことかもしれない。

それにしても、こうした、財源豊富な競技団体を批判する一方で、強化予算の倍増を政府に要求し、さらには、「最後の五輪」で金メダルを獲得したソフトボールに対して「五輪種目にあらずんば、競技にあらず」とばかりに強化費を大幅に削減するなど、実にやりたい放題じゃないか。それよりも、五輪に5大会連続出場して、全てメダルを持ち帰った柔道代表選手に特別表彰でもしたらどうか?

マラソンをはじめとして、メダルを逃した男子ハンマー投げの室伏広治にしても、陸上競技は今回、「期待外れ種目」の代表だったかもしれない。しかし、多くの代表選手は堂々と戦った。

男子4×100mリレーの銅メダル獲得は、佐瀬稔氏が描いた、戦後の日本のスポーツ界の「工夫と努力で世界の頂点に追いつき、追いつくまでの物語」が、21世紀においても健在だったことを示してくれた。昨年の世界選手権で不本意な結果に終わった50km競歩の山崎勇喜の7位入賞、昨年同様に完全生中継で見たかった。天衣無縫なコメントがメディアを喜ばせていた、女子10000mの福士加代子と渋井陽子、今回は最後にゴールした赤羽有紀子をゴールで出迎える姿に、「オトナになったな。」と感じさせた。ワセダの箱根駅伝のエース、竹澤健介は、ラスト1000mまでは、何かやってくれそうな予感を漂わせた。もう一人の長距離代表、松宮隆行は、シューズが脱げても、片足で走り続けた。

たとえメダルを逃しても(現時点で、繰上げメダル獲得は未決定)、室伏広治はたたずまいから「品格」を感じさせる、日本では希少なアスリートであることに変わりは無い。そして、やはり、佐藤敦之の一礼。今大会の日本陸上勢の最後をしめくくるのに、最もふさわしい姿だった。

メダルの数と色にしか興味のない人には、何の価値もない風景だったかもしれないけれど。

※参考文献
「オリンピア ナチスの森で」沢木耕太郎 集英社
「オリンピック ヒーローたちの眠れない夜」佐瀬 稔 世界文化社



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